168 村娘マルサの向上心
5話目ぶりのマルサさん
村と街の違いは一言で言えば住民が税金を納めているかいないかである。
万理平定省が実質支配しているすべての都市――無論都市ごとにどれだけ干渉があるかは細かく違っているが――では必ず納税の義務が発生する。対して村というのはその義務がない代わりに国の援助を受けられない。
そもそも現在の都市構想が計画され、それが形になったのは大戦後、人間社会の成長期に行政機関の再編が大々的に行われた流れから波及したものだ。大戦時代中期まで栄えていた貴族社会が崩壊したこともあって、再編後は省が国のワントップになるというおかしな事態が起こった。トップダウン式の組織構造は混乱期の国を立て直すのに一役も二役も買ったが、その強引な手段のしわ寄せは確かに現代にまで続いている。その弊害のひとつに、都市から取りこぼされた国民たちが身を寄せ合って作った集落――村の存在がある。
村人は基本として地産地消の生活を送り、行商人を介して国ではなく近隣都市と物品のやり取りをするのが常だ。村の中には完全自給自足を貫いている集落もあるが、それが成立しているところは決して多くなく、また年月とともに減少傾向にある。……これは村全体にも言えることだ。村民の高齢化や作物の不作、魔物の襲来――去年まであった村が今年には消えている、といったことはさほど珍しくもない。安全と最低限度の衣食住が保障されている都市とは違って、そういった国の支援が望めない村々はちょっとしたことで簡単に滅びてしまう。
国の領土内で暮らしてはいても国民とは呼称しづらい村人たちは、故に自治の責任が街住みの個人とは比較にならないほど重大である。とりわけ住民たちをまとめ、あらゆる交渉事の矢面に立ち、非常時には指揮に当たる『村長』の役割はとても大きい。村の行く末はその双肩にかかっていると言っても過言ではない。
「ふう……、」
――だからこそ彼はため息を吐いた。
エルサク村の村長であるこの老人は、歳以上に老けて見える。
「村長。村長!」
「……おお、ミッドに、トリオルか。どうしたんだ?」
自宅で考え事をしていた彼は、自分を呼ぶ声に遅れて気が付いた。自分の傍らに、いつの間にか男性二人が立っていた。彼らはどちらもこの村の住民で、よく知った者たちである。
「ノックをしても返事がなかったんで、勝手に入らせてもらいましたよ。もうすぐ商人の方がいらっしゃる時間だと知らせに来たんです」
「お加減でも優れませんか、村長? でしたら俺たちで相手をしておきますが……」
「――いや、大丈夫だ。私が直接話したい」
彼が村長となって以降、村外から訪れる者とは必ず顔を合わせてきた。その通例を崩したくないと彼は重たい腰を上げる――しかし、やはりその口からは深い吐息が漏れる。
不安げな表情をする村人たちに、村長は苦笑を浮かべながら言う。
「なんだか、歳を取ったことをいやに実感するようになった。あのオーガが消えてから村は大きく変わった……もはや過去は遠く置き去りになっている。私という旧時代の人間と一緒にな。新しい日を迎えようとしている村に、もはや私という長は相応しくないのだろう」
「なんてことを言うんですか、村長!」
「そうですよ。あなたほどこの村を想ってきた人はいないんです」
「想い続けるとも、これからも。ただしそれは、長としてでなく一村人として……最近はそれもいいかと思うことが多々ある」
本気で言っているのかどうか判断がつかず顔を見合わせる二人を余所に、自宅を出ながら村長は――村と同じく、最近急激な変化を見せているとある少女を思い浮かべていた。
◇◇◇
相手の剣が振り上げられたのを見て、少女は落ち着いてバックラーを掲げる。斜に構えたそれに当たった刀身は弾かれるように逸らされ、バグベア(ゴブリンの一種。毛むくじゃらで図体がデカい)の体勢は大きく開くことになる。そこへ少女は素早く自らの剣を振るった。
「グゲァッ!」
毛深い体毛は防具の代わりを果たすようだが、それでも剣撃を完全に防ぐことは叶わない。バグベアは痛みに苦悶の声を上げる――体中に浮かぶ裂傷が、そのまま少女に斬られた回数を表している。
赤黒い血が垂れ、ダメージの蓄積によってバグベアがよろりと傾ぐ。その手の内から、どこかから奪ったのであろう古い刀剣が零れ落ちたことで少女はこの戦いに決着がついたと判断する――判断してしまう。
「グアウッ!」
しかしそれは相手の油断を誘うバグベアの小癪な策略であった。通常のゴブリンよりも鋭い爪を持つバグベアは、その体格も合わさって素手でも人間にとって十分な脅威になる。剣を落としてみせることで気が緩んだところを、爪で掴みかかる。いざというときにバグベアがよくやる常套手段であり、それは今回もうまくいった。完全に不意を突く形で、まさか得物を持たぬまま飛び掛かってくるとは思いもしてない少女の柔肌へ爪を――
「グカッ!?」
伸ばした爪が中途で空振る。バグベアは頭部に衝撃を受けたのだ。ついでに片目も見えなくなっている――彼はすぐに理解した。自分がどこからか弓矢で狙撃されたのだということを。
このニンゲンには仲間がいる!
そう悟った時にはもう遅かった。眼球を潰して脳にまで達している矢が与えるもはや痛みとすら名状しがたい感覚によって片膝をついたバグベア。すかさずその膝を足場にして少女が跳び上がり、バックラーで矢を更に押し込んできた。激痛に悶絶するバグベアの悲鳴が響くよりも速く、少女は渾身の力を込めてトドメの剣を突き刺す。喉の毛も肉も突き破って深く侵入した刀身は魔物の断末魔の咆哮すら許さずその命を奪った。
「……ふう」
バグベアの絶命を確認し、剣を引き抜く少女。噴き出す血とともにドサリとバグベアの遺骸が倒れ込む。……今度こそ本当に決着がついたことに、安堵の息を吐く。
そんな少女にかけられる声。
「最後は危なかったな、マルサ」
「カイニスさん」
振り返った少女――エルサク村に住む村娘マルサの視線の先には、茂みをかき分けるようにして姿を現わす二人のリザードマンがいた。
彼らは三ヵ月ほど前からエルサク村と交易を行なっている、リザードマン集落の代表たちである。とある事件をきっかけに人手を大きく減らしていたエルサク村において彼らとの交流は非常にありがたいものだった。初め、彼らが接触してきた際にはごたごたもあったものだが、それもカイニスの口から出された名前によってすぐに収まったのも記憶に新しい。
「ごめんなさい、あんなに言われたのに油断しちゃいました……フロウスさん、助けてくれてありがとうございます」
「なんの。君もよくやった」
言葉少なに労うフロウス。あまり褒めすぎてもよくないため同意はしないが、カイニスもまた彼と同じ気持ちだった。
マルサの成長は著しい。
いきなりただの村娘から「戦い方を教えてほしい」と言われた時にはなんの冗談かと思ったし、本気であるなら「舐めるな」と言ってやりたいところだった――しかしあまりにしつこく懇願するものだから根負けし、しばし稽古を付けてやることになってしまった。どうせすぐに音を上げるだろうと手加減抜きでしごいてやれば、意外なことにマルサはするするとその技量を伸ばしていった。当初こそろくに動けず、事あるごとに情けなくダウンしていた彼女だが、今ではどうだ。リザードマンとも与するほど体格のいいバグベアを相手に、一人で戦えるようにまでなった。
最後の最後に弓の援護こそあったが、控えていたカイニスもフロウスも手を出したのはあれだけだ。それまでの戦闘は彼女単独で行なっており、バグベアを追い詰めたのは完全にマルサの実力ということになる。
多少筋力はついたか出会った時よりも腕や脚は逞しくなったが、それでも少女らしい細さである。なのにリザードマン用の刀剣を軽々と片腕で扱えるようになっていることからしてもうおかしい――タガが外れているのだ、とカイニスは見ている。
意気込みもそうだが、何より強敵を恐れない、絶対に勝ってやるというその執念こそがマルサを強くしている秘訣である。淀みなく振るわれる剣は技術のほかにもうひとつ、迷わない精神性にこそその理由があるのだろう。
以前、どうしてそんなにひたむきでいられるのかと訊ねた際――少し照れ臭そうに、マルサは頬をかきながらこう答えた。
「ナインちゃんを見たから、私も強くなりたいって思ったんです。あんな小さな子がどうしようもないと諦めていたこの村を、あっさりと救ってくれた。だから私も諦めるよりも、挑みたいと思いました。……え、どれくらい強くなるか? ――もちろん、私の目標はナインちゃん以外にないです」
あの強大な気配を持つナインと同じくらい強くなりたい――そんな大それたことを言ってしまえる少女に、カイニスは瞠目し……その時を境に、彼女にとことんまで付き合うことを決めたのだった。
「全体通して及第点はやれる戦闘だった。ただし詰めの甘さで全て台無しだ」
「うう、ですよね……」
「ふ……まあいい。そろそろ村のほうに戻ろう。商人が来ているらしい。マルサも荷馬車を覗きたいだろう」
「え、もうそんな時間なんですか!?」
「ああ。なんでも今回はしんぶんなるものが届いたらしいぞ。マーススがそう言っていた」
「わっ、全国紙ですね! 私すごく楽しみにしてるんです。首都とは二、三週……ひどいときには一ヵ月以上の遅れもあるんですけど、それでも流行服の特集なんかを読むのはすごく楽しみで――」
と年頃の少女らしい一面に安心するやら苦笑するやらのカイニスとフロウスの様子にも気付かず、今の今まで熾烈な戦闘をこなしていたとは思えない明るさで意気揚々とマルサは村へと帰還し。
そこで新聞の一面を飾る、見知った少女の顔に仰天するのであった。
毎回誤字報告どうもありがとうございます。
みんなに……支えられてるんやなって(恍惚)