162 新生『ナインズ』は次の街へ
十秒――否、もうあと九秒。
ナインの脳は残りの時間で無事に脱出できるかをシミュレートする――うん、余裕だ。
通路を全力で駆け抜ければ階段を昇って劇場に出て建物の外に出て……おそらくそこから今泊まっている宿にまで(また迷子にでもならなければ)たどり着こうと思えばできるだろう。
しかしそれは自分一人だけならの話だ。他の三人は自分ほど素早く動けないし、そもそも通路も階段も狭く、来るときだって縦一列になって移動をしたのだ。一斉に逃げようとするとつっかえてどうしても遅くなる。きちんと意思疎通を図ろうものならそれでまた遅れることになる。つまり足並み揃えての脱出は不可能――、
と、そういった結論に四人は同時に達し、結果として彼女たちは通路から逃げることを誰も選ばなかった。
「最短ルートだ! ついてこいよ!」
代表してナインが号令を発し、力いっぱいに跳び上がって全力のアッパーを天井へ見舞った。コンクリートや分厚い地下層に阻まれようとナインは決して止まらず、それどころかなお加速するようにして地下フロアごと劇場を突き破った。彼女の通った道、ごっそりとくり貫かれたその穴を利用して、クレイドールとクータがそれぞれジャラザの両脇を抱えながら研究室から逃れる。
彼女たちがちゃんとついてきているのを見て、十分な高度を取ったことを確認してから、ナインは念のためにと守護幕を発動させて虹色のオーロラで劇場をすっぽりと包み込んだ。咄嗟ではあったがやはりこちらの能力はかなり扱いやすい――とその操作性に満足いったところで、
ヴェールの内側が大爆発した。
「うおっ……!」
劇場がまるで倒れるようにして地に沈んでいく。
土煙が立ち込める虹色の内部を眺め、ナインは「ふう」と息を吐く。
(なお、このテープは自動的に消滅する……の建物版かよ。相当ファンキーなばあさんだな、パラワン博士ってのは。危うく巻き込まれるところだったぜ――っと。クレイドールは平気なのか?)
この場所で生まれ育った――元のパーツという意味では他国にこそその起源があるのだろうが、彼女が『クレイドール』として生を受けてからは間違いなく研究室が生まれ故郷であり、要するに実家のようなものであったはず。
生みの親であるパラワン博士との思い出の場所が、その当人の遺体までも一緒となって爆発とともに消え去ったからには、彼女も平左ではいられないだろう、と。
そう心配してクレイドールの様子を窺ったナインだったが。
「いいえマスター。私は平気です。寂寥のような感情を味わっていることは否定しませんが、それでもこの心は落ち着いている。ひょっとしたら私は、こうなることがわかっていたのかもしれません」
「わかっていた、だって?」
「はい。これは決別なのでしょう。他の研究成果や発明具を全て処分してまで、その痕跡をなくしてしまったのは――きっと博士なりの決別の意志。巣立つ私たちへのメッセージであると受け取りました。博士のいないこれからを生きていく私やティンクらに対する、前へ進めという彼女からのメッセージだと」
「なるほど……」
悲しくないわけではない。寂しくないわけではない。
しかし嬉しくないわけでもないし、進めないわけでもない。
クレイドール、そしてティンクやトレルもまた、次へ向かうことができているようだ。
ナインはそれを深く肯定する。
「そうだな。前へ進むことは大事なことだ。俺たちの人生は続いていくんだ。受け取ったものを大切にしながら、次へ繋げていかなくっちゃあな」
「はい」
頷いたクレイドールの表情は、とても人間味のある良い顔をしていた。
◇◇◇
宿に戻ってからナインは、研究室で得た情報を基に強めた懸念――高まった『揺り戻し』の信憑性をミドナにも伝えることにした。
最高位冒険者として忙しい立場の彼女は既にスフォニウスを去り、『ヘルローシンス』のパーティメンバーのもとへと向かっているところだ。この街にいないのにどうやって連絡を取るかというと……その手段は即ちクレイドールである。
「ミドナさんに繋げてくれるか?」
「お任せを。別れ際にチスキス様のアドレスは登録しましたので」
大会終了の翌日には、出会ったときと同じように固く握手を交わして別れたナイン一行とミドナであったが、その際に向こうからコールセクトのEgアドレスを交換しようと言ってきたのだ。
しかしナインたちは誰一人として汎用通信アイテムであるコールセクトを所有していない。こんな便利な物(要は携帯電話なのだから便利で当然だ)をなぜ持たない、と疑問に思うかもしれないがそれも仕方のないことなのだ。
何せ彼女たちにはどういうわけかコールセクトが反応してくれない。甲虫のような虫と使用者の脳波をハウリングさせ増幅し、対象のコールセクトの脳波の波長をキャッチして声を伝えるという魔法世界らしい訳の分からなさで通話を可能とするこのアイテムも、しかしナイン、クータ、ジャラザの脳波には見向きもしない――というかおそらく感知できていない。
いくら腹部のボタンをポチポチしてもくすぐったそうに身をよじるばかりでどこへも電話をかけてくれないことをリブレライトで確かめ――ジャラザに関してもエルトナーゼで確認済みだ――それっきり遠距離通信を諦めていたナインだ。ミドナには悪いがコールセクトでのやり取りは無理だと断ろうとしたところで、一筋の光明が天より降り注いだ。
何を隠そうそれこそがクレイドールである。彼女はシークレットハック機能の応用で、自力で通信具の代用を担うことが可能なのだという。個人番号さえ知っていればコールセクトを持たずとも相手に通話をかけられると知ったナインは大喜びでミドナのアドレスを受け取ったのだ。
「こんなことならリュウシィやアウロネさん、ピカレさんとかのアドレスも貰っとくんだったな……それが分からないと電話できないんだろ?」
「はい。脳波の海は広大ですので」
「脳波の海……」
SFチックな単語にナインは自分が今いる世界観を見失いかけたがどうにか気を取り直し、ひとまずはミドナへとふたつばかりの連絡をした。ひとつはネームレスとは別筋からも『揺り戻し』に似た証言が手に入ったこと。そしてもうひとつは万理平定省までもがこの件に備えるような動きを見せている、というもの。
七聖具集めに関しては何故か把握済みだったらしいティンクたちと違って、聞かされたミドナは素直に驚いていた――やはり最高峰に位置するマジックアイテムとして七聖具は非常に有名であるらしい。それが一個、実は自分の腹に収まっているなどとはさすがに言えず、どうやってその情報を得たのかはぼかしにぼかしての伝達となったがミドナはその点については大して気にする様子もなく、普通に礼を言って通話を切った。
「これで『ヘルローシンス』に、つまりは冒険者全般にも揺り戻しについて情報が行き渡るはずだな」
「それはどうかの。不確定ながら規模が大きい『世界の脅威』をどこまで共有すべきかは判断の難しいところだ。『ヘルローシンス』と同じ等級五の冒険者たちやギルド上層であれば知るに相応しいだろうが、一介の冒険者程度では教えられることなどまずないのではないか?」
「む、確かに……俺たちだってまだ半信半疑だし、そもそも信じたところで何をすればいいかもわからんしな。こんな状況で知らせたところでいたずらに不安を煽るだけか……」
だがしかし、気の持ち方だけだとしても備えておくことは無意味ではないだろう。仮にこの先、この異世界に何が起こるにしても――ナインはそれに立ち向かう。拳を握って、戦うこと。それだけを覚悟しておけば足りる話なのだ。
「武闘王なんて立派過ぎる肩書きを、ミドナさんを差し置いて貰っちまったわけだからな。俺もそれらしく振舞ってかないといけねーよな」
「クータも手伝うよ、ご主人様! ぶとーおーのペットとして頑張る!」
「ふふ、儂らも主様のペットとして負けてはおれんな……のう、クレイドールよ」
「ノン。私は愛玩動物ではなくあくまで従事者ですので」
「俺としちゃあペットもメイドもあんまり自称してほしくないな……世間体的な意味で」
鳥と蛇と自動人形と怪物少女――変わった組み合わせの四人組、チーム『ナインズ』は闘錬演武大会優勝の誉れを受けて新たな門出を迎え。
その知名度を飛躍的に上昇させて、闘技都市スフォニウスを出立する準備を進めたのであった。
3章完結!明日からは4章までのつなぎの章です
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