160 博士の隠れ家と託した願い
闘錬演武大会の終了からしばらく、ナインは忙しい日々を送った。あちらこちらの雑誌社や個人記者などからのインタビュー尽くめで、ただの一般人からも取材まがいなことをされ続け、連日それだけでその日の予定が埋まってしまうほどだった。
数日経ってもフィーバーが収まらないことからナインは本格的に焦りを覚え、仲間の助けを借りて行方をくらませることにした。と言ってもスフォニウスからの脱出を図るのではなく、単に宿を二重に取って追跡者(ファンたちをそう呼ぶのは忍びないが)の目を欺いたのだ。
彼女にもやらなければならないことがある。
いつまでも市民に付き合っていてはナイン個人の用事が果たせない――即ち、かねてよりの約束だったクレイドールの研究室へ赴くという用件が。
「悪かったな、ティンクにトレル。俺のせいで遅くなっちまった」
「こうなるだろうとは予想していた」
「ですね。なにせ武闘王ですから……お忙しいだろうことくらいわかりますよ。まあ、それでも焦れるには焦れましたが」
合流したチーム『ファミリア』――いや、この呼び方は大会の終わった今となっては相応しいものではないだろう。ティンク、トレル両名と閉会式ぶりに顔を合わせたナインはひとまず謝罪をしたが、思ったよりも長らく待機させられたことを根に持っている様子はなかった……トレルはちくりと嫌味を言ってきたが、それも軽口のようなもので本気で責めるような雰囲気ではなかったことに少女が安堵する。
彼女たちがいるのは、小さな劇場。クレイドールがナインを呼びつけ、そしてテストと称して戦いを挑んだあの劇場である。その時の戦闘痕は今でも生々しく残っているが、荒れた内装を気にする者はこの中に一人もいなかった。
「ここのどこにけんきゅーしつがあるの?」
「ここではなく、地下に。こちらから行けます」
クータの問いに、舞台袖の奥へ先導するクレイドールが答えた。彼女はそのまま一番端の楽屋のような個室に入ると、その壁際にある荷物置きを数メートルだけズラした。露出した床には、取っ手のようなものがついている。
「ほう、隠し扉か。随分原始的ではあるがの」
「この劇場の所有者はパラワン博士でしたので。元の権利者が持て余しているのを生前の彼女が買い取りました。こういった増築も博士本人が行なったものです」
いくら破壊しても誰も困らない、とはそういう意味でもあったのかとナインは床の一部を持ち上げることで現れた地下へ続く階段を降りながら納得する。あの時はまさか、ここがクレイドールの隠れ家であるなどとは思いもしなかった。
「灯台下暗しってんじゃないけど、上手いよな。ぜんぜん気付かなかったよ。博士の指示か、それともお前が自分で考えてここを戦う場所に選んだのか?」
「ノン。博士からそのような指示はありませんでした。私はただ近場にマスターを呼び出しただけです」
「……あっそう」
考えてみればとうの昔に亡くなっているパラワン博士がいつ主人候補を見つけられる定かではないクレイドールに戦う場所まで指定するのは無理がある。そしてクレイドール自身も稼働したてであることを考えれば、心理的盲点を突く駆け引きのような真似ができるはずもない。
推理を外した、というか勝手に考えすぎていただけのナインは黙って階段を降りた。
感覚として三フロア分程度の下に、その地下空間は広がっていた。
「ここが――」
「はい。スフォニウスでの博士の研究室。彼女が最期に過ごした場所となります」
ごちゃごちゃと機材にまみれたその部屋は、お世辞にも住みやすそうな環境だとは思えなかったが、研究者が研究するために用意したものと思えばそれも当然なのかもしれない。
「あの奥には何があるんだ?」
「居住区と資料室が。寝室も用意されていますが、パラワン博士はいつもここで仮眠をとっておられました」
廊下先を指差すナインにクレイドールは簡素に応えた。本当にここで生活を送っていたらしいと知り、ナインはなんとなくだが博士がどんな人間だったかが分かった気がした。
まさに研究者気質の、頭の良すぎる変人。
そんなイメージである。
「……遺体はどこに」
「あちらです」
ティンクとトレルが研究室の一角にある器具へと――ナインの目にそれは酸素カプセルのようにしか見えなかった――案内され、ガラス越しにその中を覗き込んだ。二人は無言のままだったが、その心中にはいろんな思いが湧き上がっていることは想像に難くない。ナイン一行は言葉を挟まず、彼女たちからそっと目を逸らして供養が終わるのを待つことにする。
クータやジャラザが思い思いに何かしらのパーツやアイテムを見学する中、ナインもまたとある物に目を引かれた。
それは頭部のように見える機械だった。クレイドールとは異なり生体部位のない完全なるロボットの試作品か何かだろうか? 大方そんなところだろうと予想しながらも、ナインはどうしてかそれが気になって仕方なかった。
そこらに転がっている他の部品とは違って、それだけは何故か「生きている」気さえしてくる。捨てられたみたいにして乱雑に置かれているネームタグのような物にはコレの名称らしき文字が刻まれていた。単文程度なら異世界文字を読み取れるようになっているナインはそれを声に出して読んでみる――「リッター……ドール?」
知らず知らずのうちにナインはそれに手を伸ばし、もう少しでその指先が触れ――ようとする直前に、電子的な音が鳴る。
それは接続音。
何事かと一同がその音がした部屋の中央へ目を向けると、その空間にホログラム映像が浮かび上がった。白衣を着た、かなり高齢の女性である。
「パラワン……!」
ティンクの声でその老婆が件の『パラワン博士』であることを悟ったナインは、そちらへと近づいた。これがただの写真代わりでないことは分かり切っていたからだ。
全員が映像のもとへ集まったのが分かったかのように――実際そのために数秒の間を入れておいたのだろう――丁度いいタイミングでホログラムの彼女は口を開いた。
『おめでとうクレイドール。お前がこの映像を見ているということは、無事に主人を見つけられたということだね。センサーで感知させているからお前以外に誰かがいることは分かっているよ。さて、早速本題に入らせてもらおう。今そこにどれだけの人数がいるのかは知らないが、クレイドールの主人と、いるのならその仲間たちも。どうか私の話を聞いてほしい。何故私がオートマトンなる戦力を用意したか。私に作り得る最高の兵力を作り出したのか――その理由を、知っておいておくれ』
老婆、パラワンはとあるテクノロジーに優れた国の高名な発明家一族の末娘として生まれ、兄とともに麒麟児として称えられたが、その優れた頭脳故に好奇心が抑えられず兄と一緒になって様々な『良くない発明』を繰り返し――やがて二人の起こした事件と、深刻化していたお家騒動が重なって一族は壊滅。生き延びた兄妹も国を追われることになり、二人はそこで袂を分かった。兄のほうはどこへ行ったかついぞ分からず終いだが、妹――つまりパラワンは国から持ち出した稀少な魔動機や道すがら手に入れた機械人の半死体を材料にまだまだ研究を続けようとこの国にやってきたのだという。
しかし彼女は、その途中であることに気が付いた――それは彼女独自の手法で行われるスペクトル解析によって明らかとなった、様々な波長を元にして導き出された未来予測の断片。そのすべてがあるひとつの事実を指し示していることを発見できたのは、偏にパラワンが天才だからこそだろう。
世界の揺らぎがある。不自然で突発的な、そして超高度な波の変調がやってくる。
――あらゆる『脅威』が私たちのもとへやってくる、と。
そこからパラワンは自分にできることは何かと考えた。答えはすぐに出た――この技術でもって来る脅威に対抗できるだけの兵器を作ればいいのだ。
しかし彼女はここから試行錯誤を繰り返すことになる。
強さを求めれば求めるほどに非人道的な道具が出来上がり、それは未来の脅威よりも先に人類にとっての脅威となってもおかしくないようなものばかりだった。
コンセプトを活かしたまま兵器として安全に運用するには『生きた戦力』が望ましいという結論に達した彼女は孤児を引き取り、その体を改造し――そこで我に返った。長年一人きりで過ごしていた彼女は初めのうちこそ孤児たちに対して情など一切抱いてなかったが、同じ時を過ごす間にもはやただの研究対象、その材料として見ることができなくなり――計画を頓挫。これ以上一緒にいることはできないとこの国で唯一の知人に連絡を取り、子供たちを保護させて……そしてもうひとつ、否、たったひとつ残されたその計画に専念するようになった。
それが自動人形計画。
自動学習と自立進化の機能を持ち、戦うほどに強くなる。そして主人たる人間に従う、機械でありながら生きた感情を持つ完全なる兵器。それが『クレイドール』――パラワンが最後に完成させた最高傑作。未知の脅威へ抗うために遺した、既存のどんな武器をも上回る究極の戦力となる可能性そのもの。
『どうか正しく力を振るってほしい。測定に合格し、クレイドールと実際に戦ったのならばきっと、あんたにも私の言いたいことが分かるだろう。そう願っている。私は長いこと好き勝手に、横暴に生きて……この技術や頭脳の使い方を誤ってきたのだと、今になって知った。あの子たちがそう教えてくれた――だから、どうかお願いだよ。あの子たちの生きるこの世界を、あんたにできる範囲でいいから……守っておくれ。私が願うのは、ただそれだけだ』
――クレイドールを、どうかよろしく頼む。
その言葉を最後に映像は途切れた。ホログラムは立ち消え、そこには元の通り何もなくなった。
一人の天才発明家の遺言は、こうして今を生きる少女ら六名へと共有された。