158 決勝戦④:剣の光はやがて星
刀身が少女の肌に触れる。
血に彩られた軌跡を残しながらナインは構わずそこへ飛び込む――無数の刃が待ち受ける、ミドナたちの中心へ。
殴打。一撃で左右にいたミドナも巻き添えになって吹っ飛び、計三人のミドナが舞台外の床へと衝突。そして煙のように消え去った。
バーハルのそれと比較すれば驚くほどの耐久度を得ているらしいミドナの分裂体だが、この状態で殴ればそれでも消せるのだとナインは学ぶ。手応えを確かめた少女の背後からまた刀身が迫る――、
「ふんっ!」
空中でスピン。剣の振りに合わせた回転で刃を避け、そのまま反撃をしようとした目と鼻の先に、別のミドナが剣先を突き出してくる。
「ちっ……!」
仰け反るように躱したそこにも既に刃が置かれている。ミドナたちの連携は美しさすら感じさせるほどに完璧だ。隙など無い。しかし怪物少女とてそんなことはとうの昔に承知済み。無理な体勢からの重心移動は彼女にとっても十八番であり、膂力を振り絞ってナインは自身の描く軌道を不自然なまでに修正、複数の剣による歓迎から逃げおおせる。
「ふぅ――、……」
ミドナの集団から一旦距離を取ったナインは幾度も切られてズタボロになった上着を自らの手でビリビリに引き裂き、締め直す。それはまさしく布切れを巻き付けているだけといった様相ではあるものの、最低限隠すべきところは隠されているので少女は良しとする。黒い布を包帯のように纏う真っ白な少女――その全身から溢れる不可思議なオーラや強烈なまでの瞳の発光と相まって、まるで人間とは思えないほどに、今の彼女はいっそ神々しいまでの姿となっている。
ナインは先程から『覚醒モード』に入っている。このモードに入ると異常に気が昂り、常を超えてより乱暴になることから人間を相手に使うことはない――ひいては闘錬演武大会においてこれを披露することはないだろうと想定していた彼女。
しかしミドナ・チスキスという本物の武芸者を前にしてはそんな控え目な思惑など綺麗さっぱり消し飛び、結果として少女は純然たる人間種を相手に自身の持ちうる最高の力を出してしまっていることになる……そして。
そのことに些かの悔悟も気後れもないことが、ますますもってナインの気持ちを昂らせるのだ。
「行くぜぇっ、ミドナぁ!」
残り十七になったミドナの集団の中から、ナインは正確に本体を見抜く。ただの分身とは違ってそれぞれが独立して動き、装備まで完全再現される『ディビジョンアバター』ではあるが、それでも本体と分裂体とではその強さに確固とした差がある。スペックは同じでもやはり命を持たず、そして本体と違ってダメージ許容量が低い点がその例に挙げられるだろう。一人にして集団、個人にして群体という統率性とは別に、本体の隠れ蓑となる存在を多数同時に操れるという利点もあるのだが――しかし今のナインはそれを労せず看破してみせた。
バーハルの時とは違って本体と分裂体と、その外見に明確な差異などないはずなのに、それでもその瞳ははっきりとミドナ本人へと向けられている。
それは途轍もなく強い視線だった。
圧力と暴威に塗れた暴力的なまでのその眼差し。
叫ぶように名を呼ばれたミドナは、胸がときめくように高鳴ったことを自覚する。頬までもがカアッと熱くなる――ひょっとしたら見た目にもわかるくらい赤くなっているかもしれない。
――少女から呼び捨てにされて照れるなんて!
心のどこかでそれを可笑しく思う自分がいたが、それ以外の全思考、全細胞、全神経はひたすらナインの動きにだけ注目していた……はずなのに。
パッと少女の姿がかき消える。
転移かと見紛うほどの速度でナインが近づいてくる――。
僅かな動揺のせいもあって目で追えなかったが、ミドナは己が直感に従って背後へと狼牙剣を振り切った。全速で風を切り裂いたそれは亜音速を超え、最も遠心力のかかった切っ先でナインを捉えることに成功する。
びしり、とナインの顔面へ横一文字に刀傷が浮かぶ。その美麗な顔を傷付けることに一瞬、言いようのない不安感を抱いたミドナだったが、それもすぐに分裂体による追撃によってかき消される。
宙を足場にする移動魔法『エアステップ』。これによって飛行しているナインへも後れを取ることなく刃を振るえる。十六体分の狼牙剣が少女へ押し寄せ、一斉に傷を負わせ――たかと思いきや。
今度こそ本当にナインが消えた。
動こうとする気配――ミドナの眼を以ってすれば隠し立てなど不可能なはずの動作の起点というものを作らないままに、少女は刃から逃れたのだ。
(転移を使った……!)
少しだけ離れた位置にいたミドナ本体が先に、近づきすぎていたために数舜遅れて分裂体がそれに気付く。正真正銘、転移によって包囲を脱出された。しかし問題はそれ自体ではなく、ナインがどこへ跳んだかという点だ。次の瞬間にも彼女はその埒外の腕力をぶつけてくるはず。一刻も早くナインがどこからどう攻めてくるつもりか見抜かねばならぬ、と。
そこで怖気と共に、ミドナの総身にぞわりと鳥肌が立った。
一流の冒険者としての直感がまた悲鳴を上げている――見抜く見抜かないじゃない、とっとと逃げろ!
「くっ――!」
身を翻す。姿勢にも気を使わずがむしゃらにその場から離脱する。それに続くように分裂体も三々五々に散っていく――が、僅かに遅いのが数体。その刹那の遅れが命取りとなった。
「うおっらあああ!!」
遥か上空から弾道ミサイルのように降ってくるナイン。威力もまたそれに恥じないだけのインパクトで逃げ遅れた数体のミドナをまとめて殴りつける。拳を受けた彼女たちはどぱん、と蒸発するように消失し、突き抜けた余波がとうに瓦礫となった舞台へ叩きつけらることで観客席まで衝撃が撒き散らされた。
地鳴りが観客たちを襲い、爆風が会場を所狭しと荒れ狂う。
そのあまりの威力、滅茶苦茶な戦いぶりに、ミドナはとんでもない大怪獣を相手にしているような気分になった。今まで戦い屠ってきたどんなモンスターよりも小さく可憐で愛らしく、それでいて圧倒的に怪物的なモンスター。
それがナインという少女!
「恐ろしい子だわ、ナイン……本当に本当にあなたは恐ろしい――でもね!」
エアステップで宙を駆け抜け、ミドナは己が勝機を算出する。肉体的な強度だけで言えば冒険者最高峰の一員たる自分ですらも及ぶべくもない相手だが、しかし闘練演武大会の決勝というこの舞台、この試合に限って言えば、勝算が高いのは確実に自分であると彼女は確信していた。
お互いに観客を巻き込むことを避け、威力の高い技は地面か上空に向けてのみ放っているのが現況だが――しかしナインはその一撃一撃がすべて必殺。
つまりミドナよりも大きく動きや選択肢を制限されることになり、自由に戦えているとは到底言えない状況にあるのだ。
使う技を選べばいいだけのミドナとは違って、ナインは実に窮屈な戦闘を強いられている。今だって上空から拳を打ち下ろしたのはそれが原因だ。そうでなければすぐ真横に転移してそのまま殴ればいいのだから。だがそうするとすり鉢状になった底の部分で戦っているとはいえ、少女の規格外さ故客席まで被害が及ぶことを避けられず。
まず間違いなく死人が出るだろう。
ナインはそのことを恐れているのだ――だから。
「卑怯とは言わないでよね、ナイン!」
当然本体と同じ結論に達した分裂体も動き、ナインが客席を巻き込まざるを得ない立ち位置から攻撃をしかけていく。もはや舞台の破壊程度は厭わない気になっている彼女たちは容赦なく『ディメンションスラッシュ』で少女の肌に傷痕を刻み込んでいく。それでも薄皮を剥ぐぐらいにしかなっていないのが些かショックではあるものの、刃が通って血を流させている以上、いずれはナインにも限界がくる――そしてそれはいつまでだって剣を振るえるくらいには体力を持つ自分よりも確実に早く訪れる。
そういった計算のもとに振るった剣が、不意にその分裂体ごと消し飛んだ。
「は――?」
ナインが横向きに拳を振り抜いたのだ。まさか反撃されるとは思っていなかったその分裂体はあっさりと殴られて消滅した――それは分かった。それよりも疑問なのは、今の殴打が原因で起こるだろう観客席への甚大な被害に関してだ。よもやここに来てナインが人々を巻き込むことを良しとするとは――その人が変わったかのような急な心変わりにミドナは戸惑わざるを得ない。
――ところが、客席からの悲鳴はない。どころか倒壊音すら聞こえない。
「……?」
なぜ、とミドナがそちらを見る。ナインが拳を打ったその方向。拳圧だけで地震を起こすようなナインの本気の拳撃の先にいて人々が無事で済むはずがない――というその疑問も、すぐに解消された。
「これは、光――?」
「ご存知、『守護幕』の光さ。覚醒モードだとカッカし過ぎて扱いが難しいってのにたった今気付いてな。しかも余波とは言え俺の拳の威力を防げるくらいには強度も必要ってもんだから、用意するのに時間がかかったぜ……だがまあ、ひとまずは上手くいった。御覧の通り俺たちはヴェールの中にいる」
球体状になった虹色の幕が、すっぽりとミドナの集団とナインをまとめてその内側へと収めている。
まるで外部からの攻撃を塞ぐバリアのようだが、用途はその正反対。
内からの攻撃を外部へと届かせないために急遽作成されたのがこの球体ヴェールである。
「決着までここからは出られないぜ……デスマッチってやつだ」
「ふふ……とんでもないことを言うわね。死ぬ気でいるの?」
「死ぬ気も殺す気もねえ――何がなんでも生き抜くつもりさ。そのくらいの意気込みでなくっちゃあなぁ!」
「勝った気でいるのなら! その勘違いを正してあげましょう――客席への被害がないとなれば、私も使える技がある!」
猛然と拳を構えたナインへ残り十体となった分裂体を向かわせる。自由な闘争を行えるようになった少女には案の定、総出の特攻でも時間稼ぎにすらならなかったけれど――それでも足止めにはなった。
この技を完成させるだけの、一呼吸の間を稼ぐことはできた!
「――『グランドクロス』!!」
十字に振るわれる剣撃。重なり合ったそれらは光と化す。暗雲を断ち切る光星が如く煌めき、残光を振りまきながら虹の中を横断する。太刀筋が光体となる前代未聞の剣技に、そしてその眩さに観客たちは目を奪われる。
息をすることすら忘れてその破壊的ながらも美しい十字に見入り――それを真っ向から迎撃せんと迎え撃つ少女にまた、心を奪われる。
迫る巨星にも少女は迷いなく、これまで通りに拳を突き出す。
小さな腕、少女らしい細い指が握りしめられたか弱きその手。
しかしながらその小さな手から生み出される力はもはや言葉になどできないほどで。
オーラを放つ少女の拳が一層の輝きを持って十字の綺羅星と激突し――閃光。
音もなく姿もなく、その一瞬だけ世界は空白になった。会場にいた誰もが無というものを感じた。そして理解する。極限の力と極限の力がぶつかり合えば、そこにはただ白さだけが生まれるのだと。
この世の何より純粋な白が――。
やがて全員の目を晦ませた強烈な光が収まり、会場中がもはや舞台とは呼べないそこへ目を凝らせば。
「…………」
「…………」
舞台の枠外に位置する場所で倒れ気絶しているミドナと、会場の中央、破壊されつくした元舞台の真ん中だったところに立つナインがいた。
これが何を意味するのか、把握するのにしばしの時間が要った観客たちだが――次第に一人、また一人と試合の決着に気が付いた。理解した者から順に控えめな拍手がなされる。次第にその数を増やし、まばらだった拍手がついには会場にいる全員からのものへと変わり。
それに押されるようにしてアナウンス室にまで避難していた審判による勝利宣言がなされる。
「い、今この瞬間! 決勝戦が終了いたしました! 『ヘルローシンス』ミドナ・チスキス様を破って勝利したのは! 白亜の美少女ナイン選手! よって第二百五十回闘錬演武大会優勝は――チーム『ナインズ』! チーム『ナインズ』が優勝となりました――!!」
「…………」
言葉を発すことなく、ぐっと拳を天に突きあげたナイン。
その姿に大会期間中一番の大歓声が沸き上がったことは、もはや言うまでもないだろう。
長かった大会も終了。締めの決勝戦は筆もかなり乗りました。ノリノリです。
ここまで読んでくれてありがとー。