154 『最高等級冒険者』ミドナ対『怪物少女』ナイン
長めとなった3章もようやくのクライマックスです
闘錬演武大会五日目――最終日。
まるで祝辞のようなオーブエ老の演説を初めに、やたらと尺を取る演奏隊のパフォーマンス、そして長々とした選手紹介。その時を今か今かと待ちわびる観客たちのフラストレーションは最高潮に達していた。
常ならばチームメンバーの略歴や過去の活躍を余さず説明していくのでもっと長くなるのだが、今回は舞台に立つ者が両チーム合わせてたった二人という異例の事態が起きているが故に、そこで割かれる時間は最低限度のものとなった。過剰に盛り上げたい運営側としては不満が残るだろうが、一刻も早く試合が見たいだけの客からすればありがたいことである――何故ならそこで聞かされる内容程度はこの場の誰もが事前に予習済みであるからして、今更くどくどと話されても既に知っているだけになんの興味も湧かないのだ。
そんなことより早くしろ!
と満場一致のそんな心境が届いたのかどうか、たった二名のみに絞ったガイダンスとはいえ例年の一人当たりと比べても幾分かスピーディーに終えられたそれは、ひょっとすると運営側も客と同じ気持ちになってしまったからなのかもしれない。
煽る役目を放棄せざるを得ないほど、一観客のように、純粋に試合を楽しみたい――審査員を含めスタッフの全員がそんな気持ちになってしまったとしても、不思議はないだろう。
まことしやかに囁かされている、その噂。
今年の大会で『武闘王』が出るという、何の根拠もないその噂が。
それでもきっと本当になると皆が信じている――この二人であれば確実にそれだけの闘いが見られると!
会場のすべてがそのふたつの人影に注目する。
片や等級五の冒険者最高峰、ミドナ・チスキス。
片や怪力無双を誇る白亜の美少女、ナイン。
ミドナが公式で十八歳と年齢を公言しているのに対し、ナインは見かけから十にも届かないくらいかと予想されている。年齢差以上に身長や体格で一見するとミスマッチな組み合わせにしか思えないがしかし、ナインの異様な強さはもはや誰もが承知するところである。
背丈の差など問題にならないだけの規格外さがこの少女にはある――ただし。
少女の相手は、あのミドナ・チスキス。
同じく規格外と言って差し支えない高名な剣士が相手では、さすがに怪物少女も分が悪いと言わざるを得ない、と。
観客の大半はそう考えていたし、大金をナインの優勝に賭けている者も本命はミドナで間違いないと見ている。あくまでも対抗なのがナインで、二者のオッズで言えば大きな差でこそないがはっきりとミドナへ傾いている以上、ただの二択でも少女側は『大穴』と表現してもいいだろう。
優勝候補筆頭と次点の優勝候補。
最終戦に置いても他者から見た二人の力関係はそういう具合のものだった――無論。
ティンクとトレルや、リィン・アーベラインに、そしていずこかへと姿を消したネームレスたちも。
敗退した選手として決勝戦にあらゆる意味において誰よりも注目している彼女たち。
観客よりも多少詳しく決勝に臨む両名を知るかの者たちからすれば、ことはそう単純な話ではなく。
仲にはむしろ本命足り得るのはナインの方だと大勢とは正反対の予想をしている者すらいる――言うまでもなく。
それを一番信じて疑わないのがクータら従者三人組である。
「ご主人様……がんばって。ご主人様なら、絶対『ぶとーおー』になれる!」
「真摯に応援しながら売店のツイスターを頬張るのは如何なものかの」
「注意を。摂取カロリーが既に同年代女子の一日平均を大幅超過しています」
「かろりー?」
「エネルギーのことです。過剰に摂取すると脂肪分が溜り健康に害が及びます」
「肥満鳥め」
「ま、まだふとってないよ!」
……おそらく会場の中で最も緊張感がないのは、この三人が控える観戦室であることは間違いないだろう。
◇◇◇
アナウンスのマイクが切られ、長ったらしいとまで感じる紹介が終わるのを観客たち同様にじっと待っていたその二人は、舞台上で互いを見やった。
肩や肘、膝といった要所に最低限のプロテクターを纏った動きやすさ重視のミドナの装備に対し、ナインもまた動作性に重点を置いた服装――例の黒いスリムな衣服を着用している。どうやら今日は初めからローブを仲間へ預けているらしい。
沈黙を破り、先に口を開いたのはミドナだった。
「楽しみにしてたよ、ナイン。こうやって戦えるのを。ブロックが分かれたときは残念に感じたけど、すぐに思い直したのよね。どうせなら決勝の舞台で、優勝を懸けて戦いたいなって。途中でナインが負けるような心配もなかったし、実現することは分かり切ってたんだけど」
その言葉にナインはくすりと笑った。
「それ、本当ですか? 『アンノウン』との試合前は、けっこう不安に思われてた気がするんですけど」
「あれは、まあ……ノーカンよ。あんなよく分からない連中があなたを狙ってるとなれば、きっと大丈夫だろうと信じていてもやっぱり気になるじゃない?」
「気持ちはわかります。改めて、あのときは忠告ありがとうございました」
「いーのいーの、そんなお礼は。というかそんなの、試合直前にすることじゃないと思うわよ?」
「はは、そうかもですね。今の俺はちょっとだけ、舞い上がってるのかもしれません。なんだか嬉しくって」
「嬉しい?」
「はい。ミドナさんとこの場所で戦えることが、嬉しい。自分でもなんでこんな風に思うのか不思議なんですけど……とにかくわくわくしているんです。だから無理言って、一対一でやるためにクータたちには待機をお願いしました」
「……そっか」
ミドナは納得したように頷き、微笑を見せた。
「私こそ嬉しいよ、ナイン。あなたにそう思ってもらえてとても嬉しい。測定所であなたを見たときから、握手をしたあの瞬間から。この子は強いと確信した。私は強い人が好き。強くて真っ直ぐならもっと好き。戦闘狂を自認するわけじゃあないけれど、それでもそうなのよね――私は私の強さを知っているから。強者が強者を好むことを知っているから。この力を、正々堂々と振るえる相手を探し求める気持ちはきっと、『壁を越えた者』たちに共通する感情だと思っているわ」
ゆらり、とミドナが立ち方を変えた。
自然体のままだが、肩幅に足が開き、脱力と緊張が合わさったナインには真似できそうもない『無の構え』だ。
彼女の両手は、まだ下げられたままだ。
それを見たナインはしかし「いつ攻撃がきてもおかしくない」という己の本能が訴える危機感に逆らわず自身もまた構えを取った。
平時通りの、独自の構え。なし崩し的な戦闘経験の中で培った自己流の戦闘態勢。
「あなたと戦えば、もっと強くなれる。そう感じたのよ。もっともっと高みに上れる――また壁を越えられる。そう強く信じさせてくれたあなたのために、私も力の限りを尽くしましょう。ナインがもっと高みへ行くための踏み台として、壁のひとつとして。あなたという強者の相手として恥じない戦いを、今ここで。この栄えある闘錬演武大会の決勝で、実現させましょう」
――最高の試合を!
ぶるり、とナインの身体が震える。
それは間違っても恐れからくるものではない。
要は武者震い。
ミドナの今にも刺さんとするような剣気、その気迫にナインは言いようのない喜びを覚える。
ぞくりと肌が粟立ち、そして――破顔する。
それは白亜の美少女の名に相応しい、見る者を虜にする優美な笑みだった。
「ありがとう、ミドナさん。この大会に出てくれて。なんのしがらみも因縁もなく、俺の前に立ってくれて。こうして戦うことをそんなにも楽しんでくれて――だから、俺は」
強さを手に入れた元彼は、彼女になってからずっと戦っている。
人間だろうと魔物だろうと関係なくのべつ幕なしに戦って――でもそれは自分が望んだからではなくて。
全ては偶然であり、彼女は流されているだけでしかない。
自分の意思で選んだことも多々あれど、本来彼女はクレイドールに自我の確立の重要性を訴えるだけの経験を積んでいるとは、到底言えない立場だ。
強くなったし、戦えるようになった。しかし彼女は『正当な理由』を抜きには戦えないという重大な欠点を抱えている。
そうすべきという理由ありきでそうしたいと行動する。
それがナインという少女である。
けれど今は、そうじゃない。
大会に出たのは『武闘王』の称号欲しさという理由ありきのものではあるが、この試合、ミドナと向かい合うこの時間だけは、ナイン本人が心から望んだものでもある。
なんの因果か判じようもない、たまたま手に入れたこの力で――もしもミドナ・チスキスという己が才能で成り上がった本物の武闘者に認められたなら。
是非も否応も彼方に置き去り、ただひたすら思いっきり力と力をぶつけ合えたなら。
――それはとても素晴らしいことだ。
「楽しもう、ナイン。戦うために戦う私たちは、今だけきっと最高に純粋な存在になれる。何よりも美しく輝く存在になれるよ」
「それを知りたいんだ、ミドナさん。本当の強者の輝きってもんを俺は掴みたい。あなたに勝つことで、それが叶うような気がする」
その言葉を最後に二人は口を閉ざした。
構えたまま、ひたすら相手を見る。
その瞳を、その呼吸を、その意志を確かめ合う。
しん、と静まりかえる会場。だがしかし、静寂とは裏腹に音のない熱風が渦巻くようにしてその勢いを増し――
それが頂点に達した瞬間、審判による試合開始の宣言と演奏隊の一際力の入った音楽が鳴り響く。
「――!」
「……!」
ナインとミドナは全く同時に動き出した。