16 闇に蠢く獣が二匹
「どうなってやがる?」
苛立ちを隠そうともせず歯を剥きだすようにしてそう訊ねたのは、黒い長髪を丁寧に撫で付けた理知的な雰囲気を持つ男だった。鋭い目付きや細身の体格もその印象を強めるが、今の彼の表情は理知とは程遠く、まるで獣のようであった。
そんな表情を向けられているのは、頬がこけたどこか不健康そうな男。薄暗い気配を持つ彼もまたひどく細身の体で、一見すれば病人のようにも見える。しかしその佇まいは一本の芯が通ったように安定しており、見かけ通りの男ではないと見る者が見れば分かるだろう。
現に、線の細さや繊細そうな見た目とは裏腹に、浴びせられる獰猛な視線に揺らぐことなく彼は落ち着いた受け答えをしてみせた。
「私には、なんとも。治安維持局が積極性を見せているのは確かですが、それだけです。それだけで、こうも続けざまにというのは不気味ですね。何かしらの原因があることは明白かと。……しかし、私には見当もつかず」
「……ユダか?」
低く呟かれた言葉に、ぴくりと眉を動かしながら線の細い男は応えた。
「オードリュス様がそう思われるのでしたら、そうなのでしょう。炙り出しますか」
「ちっ、得策じゃねえのは分かってんだよ。第一本当に裏切り者がいる確証もねえ。全部が全部、ただの不運にも思える。だが、不運で片付けるには俺たちにとって都合の悪いことが起きすぎている。そうだろう、ディゲンバー」
俺たち、というのはこの男たち二人ではなく、もっと大きな括りのことを指している。
それ即ち『暗黒座会』という組織のことだ。
オードリュスと呼ばれた鋭い目付きの男こそが、裏社会に根付く闇組織のひとつにして、リブレライトにおける暗部最大勢力にごく最近伸し上がった暗黒座会という集いの発足者であり、不動のトップである。
傍に控えるディゲンバーは座会の幹部に与えられる地位『十二座』の一席を埋める人物であり、組織内唯一の『ボスの付き人』という側近の立場を与えられているオードリュスからの信頼厚い男であった。
ディゲンバーは静かに頷き、己がボスの言葉に肯定の意を示す。
「仰られる通り、些か奇妙なことは確かです。十二座が欠けることは今までにもありましたが、ここまで連続して……それもすべてが外部から潰されている、というのは初めてのことです」
オードリュスが苛立っているのは、これが原因だった。
先月から立て続けに、組織の幹部が減っていっている。
最初は十二座の中でも実行部隊を名乗る部下を率いる、戦闘部門を担当する実力派の男が治安維持局に捕縛されたこと。これだけなら、戦闘部門の担当は他にも二名いるうえ、幹部が欠ける事態も珍しいとはいえ幾例かあることなので、そう大したことではない――長であるオードリュスにとっては許しがたいことではあっても、取り乱すようなことではないのだ。
おかしいのはそこからの流れだ。
次に外商部門(ここでの外とは街の外部という意味で、当然非合法な品を扱う)担当の女が消えた。「捕まった」ではなく「消えた」と表現したのは、そう表すしかないほど彼女が静かに組織の手から離れてしまったからだ。
これもおそらく治安維持局の仕業だろうとある情報筋から当たりはついているものの、戦闘部門担当のときとは違って目に付く行為の一切を介さずあまりに「綺麗な去り方」をしたことに疑問の余地はある。それは女自身が望んでの離反をしたか、もしくは座会の情報がかなりの精度で漏れていることの証左なのではないか?
そう考えたオードリュスの眉間の皺は深くなったが、本格的に皺が取れなくなるのはここからだった。
間を空けず人身売買部門の男が死んだ。ふざけたことに繰り出した酒場で客の大勢を巻き込んだ喧嘩をした挙句、いつの間にか胸から血を流して死んでいたらしい。誰がやったのかその場にいた誰もが証言できなかった。いつ倒れて動かなくなったのかすら分かる人物はいなかった。人身売買部門担当者の部下たちは聞き込みの成果をそんな風にオードリュスへと説明したが、当然納得いくはずもない。命こそ奪わなかったが同席しておいてみすみす上司の死を見過ごした罰として彼らに制裁を加えた。
その数日後に、新設した麻薬育成部門を担当させようと最も新しく十二座に加わらせた腕利きの魔法使いが、部下ごと消えた。彼らの足取りは麻薬畑でぷっつりと途切れている。
麻薬植物『黒葉』が生い茂っていたはずの畑も何者かに焼き払われ埋め立てられた跡が残るばかりで、大いなるビジネスチャンスは失われてしまった。魔法使いもそこに一緒に埋まっているか、あるいは連れ去られたのか……どちらにしても似たようなものだ。そこで拷問されたかあとで拷問されたかの違いだけで十中八九死んでいるだろう。
その三日後に、出来上がった麻薬を任せるつもりだった流通部門担当の男が治安維持局に乗り込まれてあっさりと逮捕された。
悪いことにそこには残る戦闘部門担当二名のうちの一人もいて、一緒になって捕まってしまった。
と言うのも座会で麻薬を育てるのは手間がかかりすぎると先の件から学んだオードリュスが、黒葉の種を直接売ってしまおうと流通部門に任せたおりに、一応の警護として戦闘部門を付けた用心が裏目に出た形だ。大勢の構成員が屋敷内におり、皆相応の実力を持つ者たちばかりであったが、それでも治安維持局に制圧させられてしまった。
そこで八面六臂の活躍を見せたのは治安維持局のトップであるリュウシィ。オードリュスにとっては目の上のたんこぶ以上に邪魔で不愉快な存在であった。ちなみに屋敷は何故か爆発し何もかも消え去った。黒葉の種もこれでおじゃんになった。
そして今に至る、というわけだ。オードリュスが荒れるのも無理はない。様々な事情やトラブルから入れ替わりの激しい十二座ではあるが、ひと月の間に半数が欠けるのはこれが初であり、異例の事態と言っていい。運の良し悪し以外の何かを疑うのも当然のことであり、むしろこれを不運の一言で片づけては組織の長は務まらないだろう。
「いずれにせよ、治安維持局が本格的に仕掛けてきているのには違いがねえ。このおかしな流れのすべてが奴らの手の内かどうかまでは分からねえが、関わっているのは確かだ。だったら――」
コンコンと硬質な音が響き、オードリュスの言葉を遮った。音のしたほうへ二人が目をやれば、窓の外に立つ黒い鳥。どうやら鳥が嘴で窓を叩いたらしい。
「…………」
ディゲンバーは無言で鳥へ近づく。追い払うのかと思いきや、窓を開けて鳥を迎え入れた。鳥の体を探る彼は、どうやら首元の筒から何かを取り出そうとしているようだった。
やがて丸められた紙を手に入れたディゲンバーは、用は済んだとばかりに鳥を放した。黒い鳥は窓から外の大空へと羽ばたいていく。それを見送った彼は静かに窓を閉め、紙をオードリュスへと手渡した。
「黒い鳥は確か、順調の合図でしたか」
「その通りだ。つまりこの手紙にも朗報が仕込まれてるってわけだ」
組織が度々使う連絡手段に鳥に手紙を運ばせるというものがある。伝書鳥だ。その色によって届ける情報の種類がある程度判別できるようになっており、赤であれば「緊急かつ非常事態の発生」、黄色であれば「緊急性はないが注意案件」といった具合だ。中でも黒は座会のイメージカラーであり、その意味は「企画通りに進行中」という悪巧みの成功間近を知らせるものだ。
手紙を読んだオードリュスはニヤリと笑った。
「ようし。奴らが餌に食いついた。それもうまい具合にあの糞ガキは外れているようだぜ。なら、予定通りに狩場へ誘い込んでやるとするか」
「では、人員はいかがしましょう」
「念を入れる。戦闘部門最後の担当者にして最強のあいつを呼べ」
「畏まりました。すぐに呼び寄せます」
恭しく一礼をしてから部屋を出て行くディゲンバー。その背中を見るとはなしに見ながら、オードリュスは未来を描く。
(そっちが打って出てくるなら、手をこまねくようなことはしねえ。こっちからも仕掛けてやるよ。手始めに治安維持局内部の情報を頂くぜ……)
とある助けもあって結成当初から飛躍的に組織の力を伸ばした暗黒座会ではあったが、台頭までが早すぎた弊害として表の組織への工作がまるで進んでいないというものがあった。その点では古参連中の闇組織に一歩も二歩も劣る座会ではあるが、この作戦によって情報収集並びに牽制が行える。勢力を伸ばすにあたり疎かにしていたそちらへ目を向けるようになったきっかけは、言うまでもなく最近の頻発する不幸にある。
幹部を半分も失ったのは痛い。稼ぎが目に見えて下落したのも痛すぎる。しかしこれは勉強代でもあるとオードリュスは受け取った。手痛い学習料。しかし自分たちは悪党であり、代金をただ差し出したりはしない。払った分だけきっちり――否。払った以上に見返りは貰う。
その手始めに、これから実行する策がある。
「楽しみにしてやがれよ……治安維持局。こっちにゃ切り札だってあるんだ」
最悪、リュウシィとの直接対決と相成ったとしても問題はない。
くっく、と煮えたぎる怒気を孕んだ笑みをオードリュスは浮かべていた。




