147 語る子食べる子働く子
休息という名の相談回
「いやー、なんだか悪いわね。ご相伴にあずかっちゃって」
「気にしないでください。明日に試合を控えてるミドナさんをこうして呼び出したからには、せめて食事くらいは……っていうこっちの我儘ですから」
本戦Aブロックを終えた夜。ナイン一行は会場にいたミドナ・チスキスを誘って、昨日も利用した個室のある店で夕食を取ろうとしていた。わざわざプライベートな空間を用意したのは、これから話す内容がややもすると迂闊に市民へ聞かせてはいけないものになるかもしれないからだ。
注文した料理を待つ間にネームレスから聞かされたことをそのままミドナへ教えるナイン。彼の言葉の意味をナインがまるで理解できていないが為に語り口は少々心許ないものとなったが、拾ったワードは漏れなく伝えられたはずだ。
話を聞き終わったミドナは難しい顔をする。
「揺り戻し……一番気になるワードはそれだわ。ネームレスの言った内容を要約すると、これから世界が荒れるように聞こえる。大戦の頃と比べてこんなにも平和になったっていうのに――いえ、彼の言い分からすると、その平和が長すぎたせいでしわ寄せが来るってことなのかな?」
「俺にもそう聞こえました。でも何を以ってあいつがそう判断したのかが不明です。王っていうのもよくわからないし……」
「そうね。国の歴史についてもちょっとだけ学んだけれど、王がどうのなんて話は私も聞いたことがない。それこそ他国の王様とかなら別だけど、あの男が言っているのはどう考えても王族のことじゃあないものね」
「王とは」
どこか厳かな声で言ったのは、ジャラザ。
彼女は頭の中の情報をひとつひとつ丁寧に精査しながら口にしていくように、静かでゆっくりとした口調で喋った。
「神代と英代、それぞれの終わりに多くの神やそれに類する者たちが地上を去り、それらの創造物や子孫だけが残され独自の発展を遂げた。多くの魔物や亜人種、そして最も繁栄している人間もこれに当たる。近代から特に人間たちの飛躍は著しいものとなったが、そのせいで人と人の争いが絶えず起こるようにもなった。これが大戦時代、今から三百年ほどまえに終結したいわゆる暗黒期だな。国同士は勿論、内紛も溢れかえっていたその暗黒の時代に、それでも人間が絶滅しなかったのはその繁殖力とそして――人知を逸脱し超越した幾人かの存在が大きい。それは竜人の長であったり、始まりの吸血鬼であったり、人助けをする変わり者の悪魔であったりと、一癖も二癖もあるような連中だったが――こやつらの介入によってどんな大きな戦も尻切れで終わったという。人がよく死ぬ時代で、しかし死に過ぎなかったのは、一部の頂上者たちの大いなる力が振るわれた結果だ。当人らにすれば単なる力の行使に過ぎなかっただろうが、それによって救われた人々からすればその者らは神の使いか何かにも思えただろう。その当時に生きた者にしか分からない、記録にも残らない呼称ではあるが――そういった者たちを人は『王』と呼んだのだ」
語り終えた彼女は息をつき、手元のグラスからレモン水を口に含んだ。
思った以上にしっかりとした情報を得られたナインは、意外そうな顔を隠そうともせずに言う。
「そこまで期待はしてなかったんだけど、ひょっとしてジャラザ……当時のことを?」
「いいや、これは儂の記憶ではない。主様の情報から復元できた、我が母を端とする脈々たる先祖らの知識の一欠片よ。蔵書の中から一冊取り出して該当する紙面を読み上げた、と言えば理解できるかの?」
「ああ、そういうことか……でも便利だな、ネットみたいで」
「ねっと、って?」
今回はちゃんと会話に耳を傾けつつも口を挟むことはしなかった――というかできなかった――クータが、ナインの口にした聞き覚えのない単語に反応する。うまく説明できない言葉を使ってしまったことをナインが謝るよりも先に、返答は個室の入り口から放たれた。
「大規模化した魔力回線のデータバンクを網にたとえ、『ネット』と呼ぶことがあるようです。他の呼称に『バンク』や『ワイヤード』とも」
「へー、そうなんだ!」
「お主、まったくわかってなかろう」
ジト目を鳥娘に向けるジャラザ。一方でナインは、たった今部屋に入ってきたクレイドールへと不審人物を見るような目を向けた。
「おいクレイドール。いつの間にかいなくなってると思ったら、そんな恰好で何をしてるんだ?」
「配膳を。服装はこの店舗の従業員服です」
「いやそれは見れば分かる。俺が聞きたいのはどうしてお前がその服を着ているのかってことな。まさかここでアルバイト始めたなんて言わないだろうな」
「ノン。勿論そのようなことはありません」
メイド服めいた例の妙な衣装はどこへやら、今のクレイドールはフロア担当の少し華やかさを持ったエプロン姿である。元からエプロンドレスを着用しているうえに容姿の整った彼女がそれを着こなせているのは当然かもしれないがその一方、表情筋をまるで動かさないせいで接客衣装が『似合っている』とは評し難い。
そんな珍妙に思えなくもない恰好のまま、当人は些かばかりもミスマッチを気にせずに主人へ己が動機を説明する。
「マスターをお世話することが私の本懐ですので。昨日今日とそれらしいことができていないのを非常に悔しく思っておりました。今ようやくそのチャンスが巡ってきましたので、お客様であるチスキス様ともどもマスターへおもてなしをしなければと思い至った次第です」
「それで配膳を……え、でもお店の人は? 無理やり仕事を奪ったのか?」
「ノン。無理強いなどしません。私の悪評は即ち所有者であるマスターの悪評となりますから……私はただお願いをしただけです」
「お願いしたら、制服をくれたのか。料理も運んでいいって?」
「はい、快く」
怪しい、とナインは思った。仮に彼女が嘘をついていないにしても、事実認識がクレイドールと店側でズレている可能性は大いにあり得る。
若干恐怖を覚えるレベルで無表情の彼女がじりじりと詰め寄りながら店主に『お願い』をしている図が頭に浮かび、これでは脅迫と変わらないなとナインは苦笑する。あとで店に確認を取って謝っておく必要があるだろう――もしかしたら本当にこれは杞憂で、クレイドールの言う通り快く仕事を任せてくれたのかもしれないが、それは実際に確かめてみなければ判じようがない。
謝罪と感謝の違いはあれど、どっちにしろ頭を下げることにはなるだろうが……。
「あっはっは! あなたたちって本当にいいチームだね! 私のパーティにも負けてないかも」
ミドナが愉快そうに笑ったものだから、しずしずとクレイドールの手によって運ばれる料理を眺めていたナインは彼女へと視線を移して訊ねた。
「それって『ヘルローシンス』の皆さんのことですか」
「あ、知ってたの? それとも大会パンフレットで読んだりした?」
「後者です。お恥ずかしながら、それでようやくミドナさんが最高等級をお持ちだって知って」
「あはは、気にしない気にしない。私の知名度なんてそんなものよ。等級五を貰ってからやたらと持ち上げられるようになったけど、それも関係者たちの間だけだしね。ナインみたいに小さな子はそりゃ知らなくたって当然よ」
「でも、聞いてますよ。等級五に至った人たちは、冒険者の中でも別格だって」
「へえ、誰から?」
「リュウシィ。リュウシィ・ヴォルストガレフからです」
「あら……思った以上に有名人が出てきたわね」
ミドナはにやりと口角を上げて、黒鮭とミストオリーブの生春巻きに伸ばしかけていた箸を置く。食事を中断したのはナインへ向き直るためだ。
「あなたの口からリブレライトの辣腕局長様の名前が出るってことは、向こうでも色々とやってたみたいね?」
「ええっと、まあそうですかね……別にそう大したことは何もしてないんですけど」
「あ、その誤魔化し方。なんとなくそうじゃないかと思ってたけど、やっぱり気付いてなかったかー。会場があれだけ沸いていても不思議そうにしてるだけだったものねえ」
「? あの、なんの話でしょうか」
「あなたの知名度の話」
そこでナインは、初めて街の噂について耳にするととなった――リブレライトで名付けられて以来の『白亜の美少女』という呼び名を中心に、エルトナーゼでの復興に尽力した謎の少女として一躍有名になってしまっているという、思いもよらぬ現状についてとうとう認識してしまったのだ。
「うえぇ!? なんでそんなことに?!」
「ピカレ・グッドマーの誘導にまんまと乗った形だの、主様よ。あやつは市井へ好意的に主様の認知度が上がることを望んだようだ。その狙いまでは窺い知れぬが、状況としては儂らにとっても悪くはなかろう」
「その言い方からして、お前もこうなるってわかってたんだな……?」
「無論だとも。これから先も主様が主様らしく生きるのなら、戦いの運命からは逃れられん。その途中で身の不幸や良からぬ者の企みで不当に貶められることもあるやもしれん――しかし大勢にとって主様が『良き者』であり『応援すべき者』であると認められれば、そのような事態も未然に防げる。これはクータとも話し合って決めたことよ」
そこでナインがクータを見やれば、まるで誰かと競争でもしているかのように残りの生春巻きを勢いよく頬張っていた彼女はごっくんとそれを飲み込んでから、笑みを浮かべる。
「そーだよ? だってこれまではご主人様、悪い奴らと戦っても誰にも褒めてもらえなかったでしょ?」
「いや、そんなことは……リュウシィとかアウロネさんがいたし、エルトナーゼでもピカレさんやエイミーは俺のやったことを知ってるし……」
「少ないよ!」
「う、」
ぴしゃりと遮られてナインは思わずクータを相手に竦んでしまった。
「ご主人様は、もっと認められるべきなんだ。クータはそう思ってるよ。ううん、そう願ってるんだ。もっといろんな人に、ご主人様はこんなにいいご主人様なんだって、知ってほしいの!」
「クータ……、ありがとよ」
普段は元気一辺倒な彼女からの思わぬ真剣な言葉に、ナインはもはや言うべきことが思い浮かばず……ただ礼だけを告げながら、その口元についた食べかす(鮭の切れ端)を優しく拭ってやるのだった。




