142 星輝のサイレンスvs聖冠のナイン
「こいつはいったい……?」
「……」
サイレンスに対して抱く理由不明の強い共感。
困惑するナインとは対照的に、サイレンスは気にする様子もなくやおら距離を詰めていく。
「来るか!」
ひとまず謎のシンパシーについては置いておき、ナインもサイレンスとの戦いに集中する。
彼女の戦闘は先の『アダマンチア』との試合で確認したものの、相手選手を倒したその手法はさっぱり分からなかった。『アダマンチア』のリーダーが彼女に突撃したかと思えばいきなり倒れ込んだ、ようにしか見えなかった――しかしそれだけでもサイレンスが得体の知れない術を用いているらしい、ということだけは見て取れるというもので。
だからナインは、それ以上サイレンスの接近を許さなかった。
それは何も物を投げつけたりだとか自分が後退して詰められた以上に距離と取ったなどという消極的な行動ではなく。
ナインはサイレンスよりも圧倒的に速く、自ら接近していったのだ。
「……、」
「おらぁ!」
何かされるよりも早く敗退させる。
仕組みの読めない術を持つ相手にナインが取れる最上の策がこれだった。
嵌ってしまう前に術者自体を封じ込める――その意図で放った速攻は、しかし空振りに終わる。
「なに……!」
「――カリギュラ」
空振りというのは文字通りのこと。
確かにサイレンス目掛けて打ち込んだはずの拳が、何故か空を切った。
おかしいのはナインの目から見てもサイレンスが回避を行ったようには見えなかったことだ。
無論、自分から拳を逸らしたりもしていない。
ではどうして命中しなかったのか――?
「ちぃっ!」
既に自分は敵の術中に嵌ってしまっている。それに薄々勘付きながらもナインは連続で殴りかかった。その一発一発が途轍もない威力を誇るナインの恐るべき連打――が、まるで通らない。どの殴打もまるで明後日のほうを狙ったかのようにサイレンスを通り抜けてしまう。
やはりおかしい。何かが尋常ではない。
蜃気楼でも殴っているような気分に陥ったナインへ、サイレンスの手が伸びてくる。それをわざと大きく躱したナインは、そのまま少女の背後へと回った。傍目からは無防備にしか思えないその背中へ、ナインは渾身の力を込めてパンチを見舞う。
地平線の彼方まで吹き飛ばすつもりで繰り出したその拳は――。
「カリギュラ」
ズドン、とナインの体内へ重たい衝撃を走らせた。
「な、んだと……っ」
◇◇◇
サイレンスは人間ではない。彼女はネームレスの手によって生み出された人造生命体である。こう表現するとクレイドールとよく似ているように思うかもしれないが、両者はその中身において大きく異なっている。技術と魔力、そして機械生命の融合によって生まれたのがクレイドールだとすれば、サイレンスの出自は星の力に由来する。星の力とは即ち浄化作用を指す。生物であればどんな存在でも持ちうる細菌や外来の穢れを払う生き物としての能力を星もまた持っているのだ。法術などで扱う『地脈』の源泉とも言うべき星輝の力を一部抽出し、人の形にしたのがサイレンスという少女の正体だ。
彼女が少女として生を受けたことやもっと言えば人間らしい外見をしていることは、製作者であるネームレスにとってもまったく意図しないものであり、偶然の産物でしかなかったが、そのお陰で行動を共にすることに苦が無いことは歓迎すべきだろう――だからこそこうして大会の一選手として登録することもできているのだから。
ネームレスはサイレンスを自身の後継者とすべく育て上げている最中だ。
自分に万が一のことがあった場合にその役目を引き継ぐのがサイレンスの使命なのである。
星の浄化作用を身に秘めた、限りなく清らかなこの少女であればその役を担うに相応しいとネームレスは考えている。
ナインとのシンパシーもまた彼女の出自が原因だった。
ナインの持つ七聖具もまた太古の昔に神が作り出した土地に加護をもたらす神具である。
元来地を守護する力を持つ者同士として彼女たちの間に共鳴が起こったのも当然のことだろう。
ただし歴史の遍路、その紆余曲折の中でただ使用する分にならどんな人間にも扱うことが可能というレベルにまで神威を落とした七聖具、しかもその内のたったひとつを胃に収めているだけのナインと比べて、力の源を純度100%という濃密さで体内に宿すサイレンスとでは、原典の規模ではどちらも神大なれどその身だけを比べれば、どちらが濃いかなどまるで比較にもならない。
だからこそ戸惑いを見せたナインとは違って、サイレンスはほんのちょっとの驚きこそあれどそれ以上の感情を抱くこともなく、淡々とネームレスからの指示通り戦闘行為に入ったのだ。
――ナインという少女はネームレスが目をかけるだけあって確かに強い。
――けれどその強さも私に届くことはない――。
サイレンスが持つ生来の存在感の薄さが星の力によって極まった結果、彼女は自身に影響を与えるものを自由に選べるようにまでなった。彼女がその気になればどんな存在もその身に触れられなくなる――それが可能なのは上位存在であるネームレスくらいで、また彼にとっても決して容易いことではない。
敵の攻撃は決して当たらず、自分の攻撃は防御をすり抜けて必中。
それだけでなく、自分に迫る力をある程度操作することも可能な彼女は敵の攻撃を別の対象へ移し替えることも、放った当人へそっくり返すことさえもできる。
この脅威的な力は【選択権】と名付けられ、これによってサイレンスはナインの恐ろしいまでの力――この場合は単純な暴力――が込められた拳を一歩も動くことなくやり過ごしたうえに、それでも果敢に攻めてきた彼女の全力を丁寧にお返しまでした。
ナインは強いが、強いが故にその強力な一撃で自身を殺す。
星の力に対抗できるはずもないと知っている少女はそれを確信していた――今、この時までは確かに。
◇◇◇
「……!?」
確かにその渾身の攻撃を返して、しかもまったく思慮外であるはずの体内へと誘導した、なのに。
ナインは倒れない。しっかりと両の足で地を踏みしめている。
これで脱落するだろうと予想していたサイレンスには些か信じ難い光景だった。
脱落どころか、その立ち姿からはしっかりとした反骨の精神すら感じられる。
「ぐ、く……」
ナインから苦しげな声が漏れる。
さしもの彼女も自分の拳を体の内側で浴びては応えた様子で、食らった瞬間には若干のよろめきを見せたが――しかしそれだけだ。
痛みから俯けられていた顔がゆっくりと持ち上がり。
サイレンスを再度その瞳に捉えた時。
星の力を持つ少女は感じたことのない何かを味わった。
妖しく発光するその深紅の瞳に抱く、未経験の感覚とは――まさか。
「――戦闘モード。こっからの俺にゃあ、容赦はないぜ」
覚醒モードの前段階、戦闘モードとナインの自称するそれは、彼女の実力を飛躍的に向上させる能力――などではない。
これは単にナインが気合を入れ直しただけのことで、パワーアップの秘術でもなんでもないのだ。要は気の持ちようを自覚的に変化させるすべでありその一番の効果は何かと言えば、戦闘行為への忌避感を消失させるというものが挙げられるだろう。
しかし近頃のナインは戦いや命のやり取りにも慣れつつあって、もはやわざわざ戦闘モードにならなくても意識的に手加減もその放棄も可能になっている。戦闘時における体の動かし方に関しても理解の片鱗を見せてもいる――つまりは日常モードと戦闘モードの線引きが日に日に曖昧になっているのだ。ますますもって存在意義があるのかどうか判然としない代物になってはいるが、今この場面で言えばその必要性は存外に高いと言えるだろう。
ある程度戦闘に慣れたとはいえ、ナインはまだ子供だ。
数ヵ月前までは普通の男子高校生をしていたド素人なのである。
成長著しい彼女ではあるが意識の切り替えなしではまだまだ未熟もいいところだろう……なので、ここ一番に戦闘勘が必要とされるシーンにおいて戦闘モードを発動させるのは非常に理に適った選択であると言えよう。
サイレンスが【選択権】であらゆる物事を選ぶように、ナインもまた戦闘モードでそれを打ち破ることを選んだのだ。
自分以外の力の操作と自分自身の力の発散、言うなれば受信と送信の関係性である両者はまったく同時に臨戦態勢に入った。
「ガツンといかせてもらうぜ、サイレンス! そのけったいな技でこいつを止められるか!?」
「――カリギュラ」
ぎりぎりと音が鳴りそうなほど筋を引き絞って右腕を振りかぶったナインに、サイレンスは冷静に能力を発動させる。
瞳を光らせ長髪を騒めかす今のナインから醸し出されるその雰囲気は、サイレンスをしても吐き気を催さずにはいられないほどの暴威で溢れているが、しかし自分の選択権は絶対である。
たとえ先の攻撃の十倍、もしくは百倍以上の力が込められていようとただの拳撃がこの身を傷付けることはあり得ない。
その攻撃をまた反射させて、今度こそ終わりだ。
「――ぅおっらああぁ!!」
慌てることなくナインの拳を迎え撃つ。
星の力をいつも通りに扱い、来るものをそっくりそのまま返却すればいい。それだけで勝てる。何も変わらぬ、これまで何度もやってきた、いつも通りのことをするだけ。
「……!」
空気の壁を突き破り、拳の先に光が灯って見えるほどの速度で迫る殴打へサイレンスはまた恐怖『のようなもの』を抱いたけれど、大丈夫だ。どれだけ暴力的な打撃でもただの拳であれば自分に届くことはないのだから。
操る。
それを拒絶し、自分に一切の影響を与えないことを選択する。
そして標的を失った力の流れへ手を加える。
その向かう先は、反対方向。
元いた場所へ返っていくように操作する。
ほら、できる。いつも通りに選択権は作動している、作用している。この少女が相手だからとてこの力さえあればなんてことはないのだ――
「ぇ、」
ナインが攻撃のモーションを取り、その拳がサイレンスへ突き出されるまでの刹那にも満たない短い時間の中で、けれど確かに少女は呆然と言葉を零した。
選択権は間違いなく作用しナインの一撃を返却してみせた、はずなのに――その拳が自身に触れたのを彼女はしかと感じたから。
それは元の威力から言えば小鳥が肩にとまった程度の極小の感触でしかない。
しかしただそれだけの小さな衝撃でサイレンスはあえなく殴り飛ばされてしまった――。
言うまでもなく彼女が敵の攻撃を食らうのは、その人生においてこれが初のことである。