15 怪物少女の提案
「……ッ」
ぎちり、と締め付けられる腕。
振りほどこうとしても、それができない。
どころかまったく動かせない。
信じがたいほどの握力にリュウシィは戦慄する。エイミーからその脅威は聞かされていた。実際に対面してからも戦わぬ内からその強さはひしひしと感じていたし、何度も警戒度を引き上げさせられたものだ。
だが、それでもまだ足りなかった――全然足りていなかった。
至近距離からこちらを見つめるナインの瞳が、紅く染まる。薄紅色が輝くように光を放ち、より鮮やかに、より強大に、敵対者へ不吉な予感を覚えさせる凄絶な深紅へと変貌していく。
ごく、とリュウシィは我知らず喉を鳴らした。
――こいつは異常すぎる。
今のリュウシィは全力こそ出せていないが、本気ではある。そして全力を出さずともその実力は間違いなく大都市リブレライトのトップを張るに十分なものである。そんな彼女が、まったく力で敵わない相手。それがナインというどこからともなく現れた、正体不明の少女であった。
流れる冷や汗を努めて意識しないようにしながら、リュウシィは笑った。それはただの強がりだと、自分だって、相手にだって分かるような笑み……けれどそれでもリュウシィは笑ってみせる。
強がり上等。
負けを認めるよりはよっぽど自分らしい。
「ふふ……許せなくなるとは、興味深いね。これだけ好き放題殴られて、お仲間まで傷付けられたのに、今のあんたにはまだ許す気があるってことかな。それはそれは寛大なことだね」
「少しだけ思うところがあってな。すぐに殺すのもどうかなってさ。悪人ならともかく、お前がそうじゃないことはなんとなく分かるしな」
「ふうん。その心は?」
「お前には殺意がないし、言動からして街を守りたいってのも本心だろう。一方的に悪い奴扱いされるのは癪だけど、それだけそっちが街を守るのに本気だってことだからな……お前にもあのエイミーってのにも言えることだけど、そんだけ一方的ってことは、つまりは自分たちが『正義側』だって強く確信してるからだろ? まあこれは価値観の問題だから、信用云々には持ち出せないけど」
「…………へえ」
面白い物の見方だ、とリュウシィは思った。これだけ異端の強さを持つ者がこんな物言いをするというのが、非常に面白い。
それは滑稽という意味でもあるし、素直な感嘆でもあった。
自分にはできなかったことだ――否。自分があえて捨て去った善性を、当たり前のような気軽さで彼女は保っている。
たとえ相手が悪でなくとも拳を向ける、向けられるようになってしまった自分とは、明らかに違う。
この、ナインという少女は。
「……評価してもらえて何よりだよ。けれど、分かっているかな。私はそれでもあんたを排除しないわけにはいかないんだ。街の安全を第一に守るためには、あんたのような不穏分子を見逃すことなんて――」
「そこだ。俺が信用ならないのが問題だって言うなら、それはすぐ解決できるじゃないか」
「解決できる? いったいどうやって」
怪訝な顔をするリュウシィに、ナインは臆面もなく言ってのけた。
それは要するに、森でリザードマンたちにした要求と同じことであった。
「俺に仕事をくれないか、リュウシィ。街を守る手伝いをさせてくれ。そうしたら――ちょっとは信用してくれるよな?」
掴んだ腕を躊躇なく放しながらそんなことを言うナイン。
彼女の思わぬ提案にリュウシィも、静かに体を休めているクータでさえも、目を丸くした。クータの場合は己が主が敵と和解しようとしていることへの驚きだが、リュウシィの場合はもっと複雑な心境だ。
(だから、それができないんだって言ってるのに……仕事を任せるってことは、その時点である程度信用があるってことじゃないか。異端者にそんなこと頼めるなら今こうして戦ったりしてないっての……ああ、でも、そうか。敢えてそうする、というのも……辛いけど、ギリいけるかな?)
リュウシィであっても排除困難な対象。
それは治安維持局の長としての立場に明確な瑕疵を与える失態となるが、そうなればこそ、リカバリー策として懐柔策を機能させることも不可能ではない。
言うまでもなくこの場で独断による決定・実行をしてしまえば、いかに組織の長とはいえ排除の失敗と合わさって強く責任を追及されるだろうし、万が一にも懐柔にまで失敗ないしはナインが最初からそれを狙っている小賢しい悪党であったりしたならば、もはやリュウシィは長の立場どころか治安維持局内での居場所すら失うだろう。
権力が惜しいわけではない。しかしリュウシィは誇りを持って今の地位を請け負っているし、街を守る使命を果たすためにも現状維持が望ましいことも、また事実。
リスクは計り知れないが――しかし。
ここでナインの提案を蹴って、それで彼女が街を出て行ったとして。
ある意味で「野放しになる」とも称せるその状態が、将来的にリブレライトへ多大な損害をもたらさないとは言い切れない。
予測がつかないのだ、この少女は。
つまりどちらにせよリスクはある。対してリターンは未知数。ただし、もしもリターンが生まれるとするならば、ナインと別れるよりも繋がりを持つほうにこそその可能性はあるだろう。
だとすれば――いや、けれどもやはり。
「……なあ」
「ん……なにかな」
黙考するリュウシィの結論をじっと待っていたナインだったが痺れを切らしたのか、口を開いた。一旦思考を中断させ、リュウシィは言葉の続きを聞くことにする。
「村でのことは聞いてるよな? 誓って言うが、オーガを倒したのは自分のためでもあったけど、その前にあの村の人たちのためだったし、悪人じゃなさそうなエイミーには喧嘩を吹っかけられても戦り合ったりしなかった。俺は自分本位に暴力を振るうけど、決して理不尽を振るったりはしてない。俺は理不尽が嫌いだ。この力が理不尽の権化だってのは自分でもよく分かってる。だけどだからこそ、然るべき相手にだけぶつけようと――ぶつけるべきだと、そう思ってるんだ。口でいくら言ったってお前には信じられないだろうけど……でも、どうか信じてほしい。重ねて言うが、俺は理不尽が大っ嫌いなんだ」
「……………………」
だからどうした、というのがリュウシィの偽らざる本音だった。
彼女の言う通り、その言葉のどこにも信じるに足る根拠は存在しなかった。
オーガのことは聞き及んでいるが、村のために退治したなどと確認のしようがない。村が滅んでいないからどう、ということでもなく、あくまでナインがどういうつもりで殺したかという内心の問題なので傍から確かめる術がないのだ。
エイミーに関しても、戦闘行為に付き合わず逃走を図ったからといって、それがナインの善良性を示す証拠にはならない。強者とは良くも悪くも気まぐれだ。戯れで殺しもすれば、ちょっとしたお遊びで見逃しもするだろう。
勿論、こうして直に言葉を交わし――それどころか拳までぶつけた身としては、ナインという少女に対する心証は固まりつつある。少なくともそれは悪い印象ではない。
しかし、だからこそ余計に悩ましい。リュウシィ一人がどう納得したところで、街の防衛という任務は個人の意思など及びもつかない高次での仕事であり単純な作業である。そこに私情は持ち込めないし、その余地もない。
ただし、だ。
最も個人としての意見を捻じ込めるのが他の誰でもなく自分である、という自覚もリュウシィは常に持っていた。鋼の精神でこれまでそんなことは――まあ、何回かしかやってこなかったが、此度もまた杓子定規な決まりを破るべき事態なのではないか?
ナインにはそれだけの対応をして然るべき価値、あるいは、恐ろしさがあるはずだ。
何せ彼女はいざとなれば言葉通りに「抑えの利かない怪物」へと成り得る少女なのだから。
そうさせないためというのなら――。
「……よし、決めたよ」
覚悟を持って頷くリュウシィ。その顔を見て自分にとってポジティブな意見を出してくれそうであると察したナインは、口角を上げて訊ねた。
「そんじゃ聞かせてくれ。俺は街のために、まず何をすればいい?」
提案(脅し)
作品タイトル微修正しました