137 ミドナ・チスキスからの警告
一人で戦うと言い放ったナイン。その言葉への三人の反応は一様に芳しくなかった。クータとジャラザは『アンノウン』という不気味極まりない連中を相手に単身臨むという考えのなさを危険視し、クレイドールは心配というよりも己がまだ正式にパーティに加わっていないことを危惧して活躍の場を欲するが為の反対をした。
クータとジャラザの懸念はもっともであるし、またチームの一員として登録されていてもまだナインの口から直接同行――それはこの大会中だけでなくその後、街を出て以降のことも含めてだ――を許可されていないクレイドールの功を焦る気持ちも、抱いて然るべきものだと言えるだろう。
ということをナインは重々承知しながらも、それでも反対意見を押し切った。
不評を買ってまで我を押し通すのには勿論それなりの訳がある。
説明しやすかったのはやはり、怪我のことだ。
三人ともに軽傷とは言い難い傷を負っており、治癒術師によってそう時間をかけずに完治するとは言っても体力までは戻らない。むしろ治癒にあたっては過剰に体力を消耗するらしく、そういう意味もあってジャラザは『怪我を治したとしても後の試合に響く』旨の発言をしたのだろう。
それを教えてくれたのが他ならぬジャラザだったために彼女の説得は容易かった。自分で述べた通り治癒術師の手にかかって体力を消費してしまったからには反論ができなかったのだ。
クータの場合は理詰めではなく感情論で説き伏せた。彼女たちを試合に出さない訳のもうひとつである、『アンノウンが不気味だからこそ一人だけで挑みたい』というナインの我儘をどうか聞いてくれないかと頼み込んだのだ。これにはクータも頷かざるを得なかった。
自身がナインの実力に遠く及ばないことを自覚しており、何よりも足を引っ張ってしまうことを恐れる彼女だ。自分のせいでナインが不利になるようなことがあればクータは血の涙を流すだろう。正体不明の『アンノウン』に相対するにあたって自分では力量不足。そう言外に告げられているのを敏感に察した彼女はもう反対をしなかった。
クレイドールに対しては理詰めと感情論の半々といったところだろうか。とにかく一番の重態なのだから大人しくしていろと問答無用で寝かしつけ、今後のことはそれこそ大会終了後、パラワンの研究室を訪れてから話し合おうと約束をした。
自分の意思というものが明確になった彼女であれば、ナインとしても同行を断るような理由は特にないと教えてやればそれでクレイドールは安心を得たようだった。すぐに意識を手放したところを見るに、オートマトンとしての特性で無理をしていただけで傷の具合がだいぶ応えていたらしいことがはっきりした。
そういうことで三人分の説得を終えたナインは後のことを治癒術師の女性三人に任せて、治療室を出た。せめて傷が塞がるまでは彼女らの傍にいたい気持ちもあったがそろそろ第六試合が始まる時刻だ。ナインは『アンノウン』が勝ち上がるものと予想しているが、仮に『アダマンチア』が上がってきても次の対戦相手であることに変わりはないので、その戦いぶりを見逃す手はない。
静かな場所から段々と喧騒が聞こえるエリアへ移動しながら、ふとエルトナーゼ以来の単独行動をしていることになんとなく懐かしさを覚えた。復興作業中は求められる仕事柄一人で作業地へ赴くことも多かったが、それ以降はほぼ常にクータかジャラザが一緒にいて自分一人の時間というものがほとんどなかった。
別にそれを不満に思っているわけではないが、こうしていざ周りに誰もいなくなってみると思いのほか落ち着けてしまう。
そういえば自分がまだ男、普通の男子高校生をしていた頃から友達といるのと同じくらいに一人だけで過ごす時間も好きだったことを思い出した。生来ガヤガヤと盛り上がるのがあまり得意ではないタイプなのだろうとナインは自己分析をしているが、その割には一人で長くいすぎると人恋しい感覚に襲われるのだから半端者にも程がある。
今もそう、落ち着けるとは思いながらもクータの明るい声もジャラザの理性的な喋りも聞こえない状況に、明確な寂しさを抱いている――。
「……ん、あれ?」
そんな寂しがり屋な彼女に天の計らいか、目の前に知人が現れた。
それは女性で、そして剣士で、屈託のない眼差しの人物。
「ミドナさん!」
「やっほー、ナイン」
手をひらひらと振って笑顔を見せているのは、先日知り合ったばかりの冒険者ミドナ・チスキスだ。ナインは彼女のもとまでとてとてと走り寄っていく。
「こんなところでどうしたんですか? ミドナさんってBブロックのほうですから、今日は試合出ませんよね」
パンフレットでの選手紹介を思い出しながら――というか自分のいるAブロックに彼女がいない時点でそれは明らかなのだが――彼女の予定について言及する。
するとミドナはあっけらかんと「ナインを待ってたのよ」と口にした。
「ちょっと話しておきたいことがあってさー。だから試合後なら確実に会えると思ったから、ここで待たせてもらってたの。ところで、どう? あの子たちの具合は」
「おかげさまでもうすぐ治療自体は終わると思います。体力のほうがちょっと心配なんで、次の試合は俺一人で頑張ろうと……って、どうかしましたか」
俺一人、の辺りでミドナの双眸が一瞬、剣呑さを見せたことにナインはたじろぐ。何か気に障るようなことを言ってしまっただろうかと悩むが、どうやらそうではないらしく。
「私の用もそのことに関してなの。あなたたちの次の試合。相手は『アンノウン』になると私は見ているわ」
「俺もそうなるんじゃないかと予想してますよ。仮想敵は間違いなくあっちだと」
「そう、なら話も早いわね。あのチームのリーダー、ネームレスがとても気になることを言っていたものだから……ナインには戦う前に教えておこうと思ってね」
ミドナが語った内容は、ナインにとっても理解の難しいものだった。ミドナとしてはネームレスの言うことに目の前の少女なら何かしら思い当たる節があるのではないかと期待していただけに、困惑と当てが外れた落胆とで両者ともにため息を零す。
「ちょっとよくわからないですね……資格とか王とか言われても」
「そうよね……大体王様って資格でなるものなの? 治癒技能試験に合格して治癒術師になるみたいに?」
「いや、ネームレスが言ってるのはそういう資格ではないと思いますけど」
あと王という言葉のニュアンスもおそらく違うはず――とは思うがナインとしても彼が何を言いたいのかはさっぱりなので、何がどう違うのかは不明瞭であるのだが。
「とにかく、ナインもあいつらについては何も知らないと」
「はい。ミドナさんもそうなんですよね?」
「もちろんよ、あんなの一度見たら忘れないわ」
それはそうだろう。長身の真っ黒なローブ男、筋骨隆々な鉄仮面女性、無口細身な前髪少女――揃いも揃って個性的に過ぎる。目にしたら忘れないというのは至極もっともな言葉で、だからこそナインも迷いなく「あんな連中は知らない」と断言できるのだ。
ただし。
「今の格好が怪しすぎるせいで以前の印象が上書きされているっている可能性も否めない……かもですよね」
「つまり、変装のために突飛な出で立ちをあえてしているってこと?」
「はい。ひょっとしたらあのフードや仮面の下には、俺かミドナさんにとってよく知る顔があるのかも、なんて」
「…………」
そこでミドナは顎に手を置いて考えるような仕草をしたが、間を置かずすぐに首を振った。
「いや、ないわね。あいつらの気配は普通のそれとはかなり違うわ。あれじゃあ変装してようがしてまいが怪しいし、それなら尚更私が忘れるはずがない。それはナインも一緒だと思う」
ここでナインはふたつのことに驚かされた。ひとつはミドナが『アンノウン』の気配を探れているという事実。それは気を読むことができるというジャラザにすら不可能だったことだ。となると、ジャラザの特性をも上回る技量か術を彼女が持ち得ているということになる。
もうひとつは『アンノウン』への納得めいた確信だった。やはりあいつらは普通の人間ではない。少なくとも強者然としながら肉体的にはただの人間である彼女、ミドナなどとは異なりそもそも人間ではない。その範疇を逸脱している側の存在だ。大会初日から抱いていたその印象が、ミドナからの情報でより強まった。
一人で試合に出る判断に間違いはなかったと思いつつ、ナインはミドナに頷いた。
「確かにそうですね。まあ俺としても本当に一切の心当たりがないんですけど……でもそれじゃあ、俺たちはなんであの三人に――というか、ネームレスに目を付けられているんでしょうか」
「わっかんないわー。お互いに過去の因縁もなさそうだし、かと言って大会が始まってから何かあったわけでもないし……うーん、意味不明だわ」
これ以上話していても分かりそうにない、と結論付けたミドナは当初の予定通りにナインへ忠告を授けた。
「一人で戦うのは、正直賛成。クータにジャラザに、あの新しい子がナインと肩を並べて戦うのに荷が重いと思うのであれば『アンノウン』との試合に出すべきじゃないと思うから。でもその分、ナインが危険になるのも確かよ」
「大丈夫です。これでも変な連中になんか負けないだけの自信はありますよ」
心配させまいと笑顔で力こぶを作るような動作をしてみせる少女に微笑ましい気持ちになりながらも、ミドナは注意を続けた。
「うん、ナインならそう言うと思った。でも気を付けて。狙いが読めない以上、たとえナインのほうが圧倒的に強かったとしても最後の最後まで油断しちゃ駄目よ。なんならそれは、試合が終わった後にもだからね」
「――はい。覚えておきます」
その真剣さが伝わってきて、ナインも真摯に返事をした。
チーム『アンノウン』への警戒が否が応でも高まっていく。果たして彼らは何者なのか――。