14 翼を持つ少女(ペット)
突然響いたその音に、食事を楽しんでいた者たちは手を止めて首を動かした。彼らが目にしたのは砕け散った座席。なぜか無人のまま壊れた椅子と机に一同が不思議そうに向けた首をそのまま傾げる中、その広場においてたった一人だけ、事が起こる前からナインとリュウシィへ視線を向けていた女性がいる。秘書然とした格好をしているその女性は、唯一正確に事態を把握できていた。
リュウシィの懐刀である彼女は机ではなく空へと視線を動かして、尊敬する上司の背中を追いかけていた。
「ぐっ……!?」
地上が遠のく視界の中。そこでナインはようやく自分がぶん殴られて上空へ打ち上げられたことを把握した。
自らに匹敵するような怪力の持ち主がいる――いた。その事実に愕然としたナインは、追って跳躍してきたリュウシィの放つ二撃目を防ぐこと能わず。
またもや豪腕を打ち付けられ、今度は水平方向へ吹っ飛んだ。
(無茶苦茶な……っ!)
殴り飛ばされたナインは街から離れてなお風を切って移動する。させられる。勢いが弱まったころにようやくどこかの山腹へと墜落し、強かに全身をぶつけて止まった。
一瞬「これは俺死んだのでは」と思ったナインだったが、げに恐ろしきはこの体。これほどの力で殴られ飛ばされ落とされ――けれど怪我らしい怪我はひとつも負っていない。
痛みこそ感じるものの、それも深刻なものではない。いったいどれだけ頑丈なのかと自分でも呆れてしまうほどだが……そんなことに意識を割いている暇は、どうやらないようだった。
「悪いね。街中であんたと事を構えるにはリスクが大きすぎると思ってさ。ここでなら思う存分戦れるだろう?」
どうやって追ってきたのか、リュウシィはきっちりナインの墜落場所までやってきていた。拳を鳴らして笑顔を見せるその姿は、可愛らしい少女の外見とひどく不釣り合いで余計に恐ろしく見えた。
(俺も大概だがこの子も相当だな……)
落下の衝撃で陥没した地面から体を剥がすようにして起き上がれば――眼前に拳。
まったく容赦がないな、とナインは薄く息をつく。
ため息を押し返すように炸裂する殴打。首から上を根こそぎ刈り取ろうかという威力。しかしそれだけの力が込められた拳でも、ナインの意識を奪うことはできない。
「ふん……ッ」
さほど効いていないことを殴った感触で悟りながらも、リュウシィは手を休めることはしなかった。
殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る蹴りつける。
一息の間もなく連撃を放ち、フィニッシュとして回し蹴り。ナインの体は崖壁へと打ち付けられ、瓦礫とともに崩れ落ちた――が。
「やってくれるなあ、おい。一張羅が台無しだ」
事も無げにナインは立ち上がり、服から土埃を払った。マルサから譲り受けた大切なローブが傷付いたことで苛立ちを隠せず、リュウシィへ視線をぶつけた。
「――っ!!」
渾身の連撃を受けながらもまったく応えた様子のないナインに双眸を険しくしていたリュウシィは、相手から向けられた怒りに大きく反応してその場から飛びのいた。元の位置から二倍以上の距離を取った彼女。その距離がそのまま、ナインへの警戒度を示していた。
「いやはや、まさかここまでとはね……こりゃあ腹をくくるしかないか」
冷や汗を流すリュウシィ。攻めているのはこちらのはずなのに、精神的に押されている。ならばもっと果敢に攻めるしかない、と更なる攻撃を仕掛けよう――としたその瞬間、空から飛来するひとつの影。
それはナインとリュウシィの中間に落ちた。
「ク、クータ!?」
「クゥー!」
クータはまるでナインを守ろうとするかのようにリュウシィを睨みつけている。その鳴き方にもどこか、威圧のようなものが含まれていた。
「バカ、なんで出てきた!? 相手は――」
お前が敵うような奴じゃない、と言いかけてナインは口を噤んだ。
クータが全身から光を放ち、その体型に変化が生まれようとしている。また大きくなるのか、と前回の記憶と同じことが起こるのではないかと予想したナインだったが、それは半分当たりで、半分外れだった。
光が収まったとき、そこにいたのは――鳥ではなく人だった。
目にも鮮やかな真っ赤なショートヘアーの、リュウシィを強く見据える一人の少女。腕に脚、背中を大胆に晒したリュウシィ以上に動きやすそうな服装をしており、露出が些か激しいが、しかし煽情的な雰囲気は皆無。理由はその少女がまだ十代前半かという幼い外見のせいもあるだろうが、それ以上に活発的で底抜けに明るい気配を纏っているからだろう。
赤髪の少女はビシッ! とリュウシィを指差した。
「ご主人様は、クータが守る! おまえなんてぶっ飛ばしてやる!」
「な……!」
ナインは驚愕のあまり言葉も出ない。当然だ。ペットがいきなり人の姿になったのだから、まともな反応などできるはずもない。なのでこの場面では敵対者たるリュウシィのほうが冷静であった。
「ハーピィ……? いや、ここまで流暢に喋るってことは、バードマンかな? 凄いな、初めて見たよ。そして意外だね……ナインにお仲間がいたとは」
ナインは一匹狼。そういう想定だった。彼女をリブレライト内で確認してから七日、街中での観察はきちんとしてきたつもりだった。彼女に仲間らしき影はなかったし、エイミーからのナインは単独だという報告もあった。
そしてそもそも、ナインほどの隔絶した実力を持つ者はそう簡単に徒党を組むことはできない。
これはリュウシィの経験則でもあった。
故に、ここで助けが来ることは完全な予想外。
ナインの泊まる宿に時期を同じくして出入りするようになったという妙な鳥は、彼女と決して無関係ではないと予想してはいたが、それが「戦える者」などとは夢にも思っていなかった。
フゥー……、とリュウシィは一呼吸。
二対一は想定外。
けれど苦戦は想定内。
そして勝利は揺るぎない。
「――いいよ。かかってこい」
構えを取ったリュウシィ。相手を待ち構える受けの姿勢だ。出方を見て然るべき反撃を叩き込むことを選んだ彼女に対し、クータの取った行動はこの上なくシンプルだった。
「はあっー!」
裂帛の気合。呼応するようにクータの手足に火が灯った。燃え盛る拳と脚。勢いよく地面を蹴ったクータは真っ直ぐ敵へ突っ込んでいく。
「炎キーック!」
愚直な攻め。策を弄さない正面からの一撃。それはカウンターを狙う相手に対しては極めて悪手である。
ただし、その速度だけはリュウシィの予想を上回った。
「!」
鋭く速いクータの蹴りにリュウシィは目を見開いた。思考を凌駕する速度で叩き込まれる一撃は、確かにリュウシィを捉え傷付ける――はずだった。
「えっ?!」
「甘いね」
繰り出された脚へ、腕を添わせることで蹴りを捌いてみせたリュウシィ。
それを可能としたのは「初めて人型で戦う」クータには持ちえず、リュウシィだからこそ持っているもの。
即ち経験だ。
数多の敵と戦闘をこなしてきたことで培われた技術。それが脳を介さずとも反射だけで体を動かしてしまう。即応反射とでも呼ぶべきこの技術が、演算以上の一撃にすらも余裕を持って対応せしめたのだ。
渾身の蹴りを逸らされたうえ、纏っている炎が接触しているにもかかわらずまるで熱がる様子を見せないリュウシィに、クータは困惑した。しかしいくら首を捻ろうが眉を顰めようが疑問の解は得られない。代わりに貰えるものといえば、敵からの反撃だけだ。
「ぶぎゃっ!」
顔面にパンチをもらったクータは可愛げのない悲鳴をあげた。リュウシィが放ったのは速度優先の重みのない一発だったが、それでもクータにたたらを踏ませ数歩分後退させるには十分だった。
殴られたことで赤くなった鼻を抑えながら相手を見てみると、またしても待ちの構え。追撃のチャンスはあったはずだが、もう一度攻めてみろと言わんばかりにリュウシィは冷静に佇んでいる。
「むむっ!」
侮られている、とクータは感じた。と同時に、ただ殴りかかるだけでは勝てないことも理解した。
ならば、どうする。
「むんむっぅう~~~~っ、やあっ!!」
全身を力ませてからの、解放。
叫んだクータの肉体にはひとつの新たな変化が生じていた。それは翼。一際露出の激しい背中から一対の翼が広がったのだ。髪と同じく真っ赤な色のそれをばさりと震わせて、クータは宙に浮かび上がった。
「ぃよーし!」
「なるほどね」
意気込むクータを見据えながら、納得したようにリュウシィは独り言ちた。
クータの狙いは、彼女にも分かる。空から攻めかかろうというその作戦は、確かに悪くないものだ。
制空権というものは戦いにおいて絶対的有利をもたらす。個人戦集団戦を問わず高地を取れば一方的な攻撃が可能となるし、こうした個対個の接近戦においても飛行能力の有無は隔絶した差を生む。根本的に生き物は頭上からの攻撃に対応できないという欠点があるからだ。
人間とてそれは例外ではない。
当然、訓練や磨いた技によっていくらでも克服できるものではあるが、普遍的弱点を突こうという策は決して悪いものではない。
いかに克服していようと正面から挑んでくる相手と空から降ってくる相手と、どちらが厄介かなど比べるべくもないのだから。
ただしそれは、リュウシィがただの人間であればの話だ。
「……っ、なんでっ!」
クータは素早く飛び回りながら脳天や後頭部を目掛けて蹴りを放つものの、そのすべてにリュウシィは対応してみせる。
死角からの攻めに対してどうしてこうまでも的確に動けるのか? 経験の浅いクータには何度攻撃を躱されても分からない。分からないままに果敢に攻め続け、しかし決して届くことはない。逆に時折カウンターを貰い、段々とクータの動きは悪くなっていく。
速度は落ち、鋭さは鈍り、息が上がり始めた。
攻めれば攻めるほど不利になる。
その現象にクータは戸惑い、焦り、そして恐怖した。
――ご主人様を、守れない!
突きつけられた現実にクータは今一度奮起する。許可を貰わないと使えないあの技を使おうと彼女は決心した。今は申請申し込みをしている暇はない、緊急避難として許してもらおう、と。
空中からの連続奇襲を中断し、一旦距離を取って高度を得る。
何をするつもりかと油断なく見上げてくるリュウシィに、クータは絶対の殺意を向けた。
「ッカァ――ァアアアッ!!」
練り上げる呼気。口内に迸る熱気。腹の底からせぐり上がる灼熱を、クータは全霊を込めて吐き出した。
開けた口から放射される熱線。人の口だからかそれともクータが調整を覚えたのか、森を焼いたときのような面に広がる炎ではなく一点に絞られ集中している。
故に先のそれよりも勢いと火力は格段に増しており、人が食らえば燃えるどころか瞬間的に跡形もなく焼失するのは疑いようもない。
すべては敵を焼き尽くすため。
クータの大望通り、熱線がリュウシィに直撃し、その身を覆いつくした。命中した確かな手応えに悦びを覚えながら更に炎を吐き出していく。
――何かがおかしい、と気づいたのはそれからすぐだ。全力の火力が直撃してなお、リュウシィの肉体が消し飛ばないのはどうしてか?
今度の疑問の答えは、すぐに得られた。
「残念。私に火は効かないんだ」
跳躍。熱線を逆流するようにしてクータに肉薄したリュウシィは、嘲るような笑みとともに踵落としを決行。クータに躱す術はなく、振り落ちてきた踵をもろに浴びて地面に叩き落とされた。
「がぅっ……!」
墜落の痛みに喘ぐクータ。横たわったまま身悶えする彼女の眼前にリュウシィが着地する。
まずい。このままじゃ。ころされる。でもうごけない――クータは苦痛と焦燥に揺れる視界の中で、リュウシィが握った拳を向けてくるのを見た。
「あんたは強いよ。でも、私のほうが強い。これで終わりだ――っと」
ここですぐ殺すつもりはない。ただししばらくはどう足掻いたって身動きひとつ取れなくなるような傷くらいは覚悟してもらおう。
そういうつもりで打ち下ろそうとした拳は、何者かに腕を掴まれることで阻止された。
何者か――言うまでもなく、ナインである。
「そこまでにしといてくれ。これ以上こいつを傷付けられたら、俺はお前を許せなくなる」
そして言っとくが、とナインは付け加える。
「確かにお前はクータより強い。でも、俺のほうがもっと強い……かもしれんぜ」