130 自分の頭も爆破せよ
(腕だけでなく、全身を余すことなく硬くする。それがやつ本来の能力! ……そういうことか、道理で水滴の猫騙しによる目潰しが効かなかったわけだ――眼球そのものを硬化されてしまえば、目潰しになどなんの意味があろうか!)
その厄介な力に苦汁を舐めさせられたような気分になりながらも、ジャラザはそれを表には出さないように努めた。気圧されてしまえばそれが趨勢にも反映されかねない――気力は常に高く保つ必要がある。それが彼女なりの勝負の鉄則であった。
「その盾、いったいどこから持ち出した?」
「これは私のストレージ内に収納されている。収納魔法のようなものだと理解すればいい。違うのは魔力ではなく体内のナノマシンによって作動しているという点だが、傍から見るに大差はないはずだ」
「ほう……貴様らは儂が思うよりもずっと高性能なのやもしれんな」
「皮肉のようだが……素直に謝辞を返しておこう」
「ふん――行くぞクータ!」
「うん!」
ジャラザが駆け、その横にクータが並ぶ。
接近してくる両者にティンクは盾を剣のように扱い、横薙ぎに振るった。
「――ほう」
二者の反応は鋭かった。ジャラザがしゃがみ、クータが跳び上がってそれぞれ盾を躱す。クータはそこから蹴りつけへ移行しようとしたが、盾を振った勢いそのままにティンクは回転し、足を高く上げて空中にいるクータへ先制の足刀蹴りを食らわせた。
「うぎっ!」
硬い足をもらったクータが呻く――その間にジャラザは低い体勢のままティンクの足元を狙おうと画策するが、それを見越していた彼女はすかさず盾を振り下ろしてきた。ちいっ、と舌を打ちながらジャラザは攻撃を中断して身を捻る。盾を回避しながら立ち上がり、両の手に水流を生み出す。
細く長く伸ばしたそれを――鞭の如くしならせ、ティンクの右腕と首に巻き付けた。
「!」
「水鞭だ」
湖の魔物の触腕を参考に生み出されたこの技は、まだほんの一瞬だけしか形状を維持できないが確かに本物の鞭のように働き、見事にティンクを締め付けさせることに成功する。
「こちらへ来い、貴様のほうからな!」
盾を持つ手を封じつつ首元に巻かれた水鞭を強く引く。ぐらりとよろめき、姿勢の崩れたティンクの頭部へジャラザは水鞭を解除しつつ、クータの意趣返しとばかりに回転し――強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
大きく仰け反ったティンクだが、それだけだ。倒れはしない。急所に受けたとはいえそこもまた硬化済み、大したダメージにはならない……と姿勢を戻そうとしたところに、ひとつの影。
「爆炎キック!」
いつの間にか再度接近してきていたクータが、ジャラザの蹴りつけた部分と同じ箇所へ爆炎を伴ったキックを見舞った。ががん! と常人なら顔面ごと頭蓋骨も首の骨も圧し折れそうな衝撃を受けつつも、まだティンクは倒れない。
そこでクータは迷うことなく次の一手を打った。
「熱線!!」
またしても頭部狙いの火炎放射。一点に口径の絞られた猛火の噴射は――今度は命中せず、盾によって阻まれた。ヴェリドットにも負傷を与えた、キックを当ててからの熱線というコンボがティンクにはその武装によって通用しなかったということになる。
噴射の勢いでジャラザの横へと舞い戻ったクータは悔しげに歯を剥いた。ティンクの盾には焦げ跡ひとつついていない。それも己が自慢の必殺技である熱線の威力にケチを付けられたようで気に食わないが、それ以上に。
自分とジャラザの本気の蹴りを二連続で食らってなお素早く盾で攻撃を防ぐだけの動作を可能とするこの敵に、戦慄しているのだ。
硬くなる、という能力がここまで手強いものだとは実際に戦ってみるまで思いもしなかった。
「しかしだ。ぐらつくということは攻撃がまったく無意味ということもなさそうだぞ。僅かではあっても、たとえ目に見えずとも、何かしらの損傷はあるはず。今の連携を奴が倒れるまで続けようぞクータ――何十回でも、何百回でもの」
「わかった、やろう! メインはクータで行くからね!」
「承った。では参るぞ!」
互いに士気を高め合いながら再度攻め込もうとした、その時。
どさりと、背後で音。
なんだとジャラザが走るのをやめて振り向けば、そこにはつい今の今まで横にいたはずのクータが力なく倒れ伏している姿があった。
そしてその傍には、二股に別れた小さな器具を手に持ったトレル。
彼女は横になったクータの耳元へその器具を近づけて何かをしている様子だった。
絶句し、呆けたように口を開けたジャラザは思わず素の口調で問いかける。
「なんだと、貴様……下がっているのではなかったのか?」
「一旦と言ったはずですよ。それにティンクも忠告したでしょう、敵の言うことをいちいち真に受けていては戦えませんよ」
「……ぐうの音も出んな。いや、それより貴様はいったい何をしている? その道具でクータに何をしたのだ」
「何って、音を鳴らしているんですよ。これはそのための物ですからね。音叉ってご存じありません? ま、あなたが知っていようといなかろうとそんなことはどーだっていいんですけど」
それよりもいいんですか、と小馬鹿にしたような口調でトレルは言った。
なにが――などと聞くまでもなく、答えはすぐにやってきた。
「余所見とは余裕だな」
「くっ!」
ティンクより投げ放たれた盾がジャラザに肉薄していた。三角形の頂点、最も鋭角な部分が的確に彼女のみぞおちへと迫り――それをギリギリでジャラザは躱した。生来の体の柔らかさがここで活きたと言えるだろう。通り過ぎていく盾を見送って、ジャラザは走ることを再開する。目指すは勿論ティンク。迂闊にも盾を手放して無防備になった彼女を狙わない道理はない。無論、盾がなくとも相手が鉄壁を誇る防御能力を有していることに変わりはないが、しかしそのうえで盾を装備しているよりは遥かに戦いやすい。
盾を取り戻す前にどうにか倒してしま――
「私が盾を失ったと思っているのなら」
「!」
「それは大いなる過ちだ。盾は常に私の手の中にある」
投げつけた姿勢のままで手を伸ばすティンクの姿に、ジャラザが嫌な予感を覚えたその瞬間。
どすっ、と鈍い音を立てて背中に痛烈な衝撃が走った。
「ぐうっ、な……!?」
痛みに喘ぎながら首だけを動かして背後を確かめれば……そこには遥か後ろへと通り過ぎていったはずの盾があった。
「回収機能がついている。どこにあろうとどこへ行こうと、『灰の塔』はいつでも私の手元へ帰ってくる」
「ぐうっ!」
ジャラザを弾くようにして盾が加速し、主人のもとへ戻る飼い犬を彷彿とさせる動きでティンクの腕へと再装着された。
「く、くそ……よもやこのような……!」
地面に手を突き、体を震わせるジャラザ。それもそうだ、ティンクの盾の重量は相当なもので、そんな物が予想外の軌道で背中へぶつかってきたのだからそのダメージは計り知れない。元より柔軟さには自信があっても耐久には欠けるジャラザであるから、その痛みは余程だろう。
「トドメだ」
どうしてもすぐには立ち上がれそうにないジャラザへ、ティンクが一歩一歩近寄ってくる。
盾をこれ見よがしにかざし、今にもジャラザへ振り下ろそうとして――。
「熱線!」
「なにっ、く!」
自身に向けて放たれた炎の猛射を咄嗟に盾で受け止める。この攻撃は間違いなくクータのものだ。それが分かるだけに困惑を覚えるティンク。クータは既に、トレルの能力によって戦える状態ではなかったはず――では何故自分は彼女から横槍を受けているのか?
熱線を耐えきってその方向を確かめてみれば……謎が解けた。
クータの首から上、痛ましいほどに傷だらけの惨状が何が起きたかを雄弁に教えてくれた。
「この子、正気じゃありません――自分の頭を爆破するなんて!」
離れた位置でトレルが右腕を庇うようにしながらそう叫ぶ。それを見てティンクは一連の流れをほぼ正しく理解することができた。恐らくジャラザの呻き声が呼び水にでもなったのだろう、クータはかけられた幻惑能力を振り切って自分の頭に爆炎を食らわせることで強制的に目を醒まし、それに驚いているトレルの手にある専用装備『恋心』を狙って蹴りでもしたのだ。
彼女の能力から逃れたクータは、すかさず熱線を撃つことでジャラザを救った、と。
「なるほど。驚嘆ものだな。まさかそんな方法でトレルの力を破ってみせるとは」
「ジャラザから、離れろ!」
「いいだろう、かかってこい。お前もすぐに沈めてやろう」
「お待ちを」
その声に、一同は一斉に動きを止めた。
取り落とした音叉を回収したトレルも。
痛みを押して起き上がったジャラザも。
決起とともに敵に挑もうとしたクータも。
それを悠然と迎え撃とうとしたティンクも。
全員が声の主を見て、目を見開いた。
「クレイドール……」
そう呟いたのは誰だったか。
名を呼ばれたメイド服の機械少女は――珍しくその口元に笑みを携えて言った。
「遅くなってしまい大変申し訳ありません。ここからはどうか、私にお任せを」
オートマトン『クレイドール』。彼女の初めての勝負が始まる。




