13 ようこそ始まりの街リブレライト
大都市リブレライトにおける住民たちの中流層が主に住まうエリアの一角にその広場はあった。
そこは露店などが立ち並ぶ活気のある場所で、道具や食材が売られているのではなく軽食屋が集っていた。落ち着いて飲み食いするための場として座席まで並んでおり、時間帯関係なくいつでもそこそこの賑わいを見せている場所だ。
今日もその例に漏れず、利用者たちは各々の時間を楽しんでいるようだ。
そんな利用者たちの中に、ひとつの小柄なローブ姿もあった。フードで顔を隠すようにしてサンドイッチを頬張っているその子供。
ナインである。
具はタレに付け込まれた一塊の大きな肉とこちらは僅かばかりの野菜一切れという清々しいまでのジャンクフードを胃へ収めながら、ナインが真に噛みしめているのは街暮らしの恩恵についてであった。
(一時はどうなるかと思ったが、いやぁ順調順調。幸運に感謝だなー)
街中で寛いでいることからも察せられるように、ナインは無事森を脱出することができていた。
クータがナインの肩を掴み飛び上がることで――掴まれた肩はなかなかに痛かったが――空の移動が可能になったおかげだ。
ナインにとって幸いなことに穢れの地は森の出口にほど近い場所にあった。加えて、その先で外壁に囲われた街らしきものまで発見できた時には、宝くじの一等を引き当てたような気分になったものだった。
しかし外壁で街を守っているその様は、迂闊に入ろうとしても門前払い……ならまだいいほうで、即拘束からの更迭のコンボを食らう可能性があることを示唆している。
見つけたからといって意気揚々と乗り込んでいくわけにもいかない。
そこでナインは一計を案じる。
クータに運んでもらったまま、上空からの侵入を決行することにしたのだ。
外壁上部は通路になっているようで見張りらしき者が巡回しているので、一旦街の内部直上まで飛び、そこから落としてもらった。
人目につかないことを祈りながら実行したダイブ。落下地を破壊してしまわないよう軽やかな着地を心掛けて(不思議とイメージ通りにできた)路地裏に到着。
初めこそ魔法のセンサーか何かで察知され捕縛者がやってこないかとビクビクしながら街中を移動していたものの、いくら時間が経ってもそんなものが来る気配はなし。
一安心したナインはなるべく料金の安い、しかし安すぎない宿を人伝に探した。最高なのは食堂を兼任しているようなところだったが、これまた運よくまさに狙った通りの宿を発見することができた。
「旅の者です! ここで働かせてください!」
毛むくじゃらのいかついおっさんis宿屋の主人。そう判断したナインは店内に入るなりカウンターにいたおっさんに開口一番そう言い放って頭を下げた。
これには宿屋の主人も苦笑い。
ひげもじゃの奥に隠れた口を困ったように歪めている。
「なんだい嬢ちゃん、藪から棒に」
「ここで働かせてください!」
「いや、それは聞こえたが……。働かせてやりてえところではあるけどよ」
「ありがとうございます! せいいっぱい頑張ります!」
「いやいや待て待て。雇うなんて一言も言ってねえぞ」
「お願いします。自分、無一文なんです。財布すら持ってないんです」
「財布はともかく金がねえってのは……ううむ。あー、お嬢ちゃん。ただ働かせてくれっつったって役立たずを雇ってくれるとこなんてどこにもねえぜ? お前さんみたいな子供に何ができるっていうんだ?」
言外に自己PRの舞台を用意されたのだと理解したナインは、今の自分にできる最大限のアピールを行うことにした。
「パワーはあります。いざとなれば用心棒としても働けます!」
「パワーって……」
「お見せしますよ」
戸惑う主人に証明するため、ナインは傍にあった大きなテーブルを人差し指と親指でつまむように掴んで、そのまま持ち上げた。
ひょいひょいと頭の上で左右に振ってから元の位置に戻す。これには宿屋の主人もお口をあんぐり。ついでに一組だけいた食事中の客たちもあんぐりだ。咀嚼中のものを口から零している。汚い。
「あと……ちょっとは可愛い、つもりです。自分で言うのもなんですけど、ウェイターになれば客寄せも期待できると思ってます」
ばさりとフードを取る。ナインの美貌に主人の顎は外れた。客たちは食べ物だけでなく内臓まで零れ落ちそうなほど大口を開けている。怖い。
それから平身低頭頼み込めば、夕方からの客入りが激しくなる頃から深夜前まで臨時の従業員として働けることになった。
それだけでは給料が心許ないので悩んでいる、と主人は伝手を使って日雇いの労働(大抵は建設現場などの力仕事)を紹介してくれた。
日中は派遣として、夕方から夜は酒場の店員として働き、仕事が終わればそのまま二階にある宿の一部屋を貸してもらって休む。
そんな生活が十日以上も続けば、慣れない生活にもいい加減慣れてくる。
ちなみにクータも、日中は自由にさせていた。ナインが宿屋に戻る時間になれば自然とクータも戻ってくる。おそらく街の空を飛びまわりながらもナインから目を離してはいないのだろう。宿屋でも夜間は大きな声で鳴くようなこともせず、クータの思わぬ賢さにナインは驚かされてばかりだった。
稀に火を吹きかけたり飛び立とうとして窓ガラスに頭をぶつけて割ったりするのが玉に瑕だが、ナインはそういうところも可愛いとあまり気にしていなかった。被害に遭う宿屋の主人は大いに気にしていたが。
そんなこんなで街での生活を実現させたナインは、野宿からの解放やクータの餌の確保など問題ごとが片付いたことですっかり気をよくしていた。
今日は早朝からの日雇い労働が早めに終わったために、酒場でウェイターとして働くまでぽっかりと時間が空いてしまった。
急にできた休みをどう過ごすか迷ったナインは、先日知ったこの広場へと足を向けることにした。食事の必要はない体だが、食べられないわけではない。美味しいものを人並みに楽しむことはできる。ので、匂いに釣られて男好きのしそうなサンドイッチを購入し、こうして味わっているのである。
(美味い美味い。最高だなこりゃ)
タレの味が濃い目なので食べ終わる頃には口内もくどくなってくる。何か飲み物も買ってこようかと思ったそのとき、ナインの前の席に誰かが腰を下ろした。
少女だ。
明るい茶髪をした、動きやすそうな服装の女の子。
「やあ」
「あっ。どーも」
挨拶されてしまったので反射的に会釈を返しつつ、ナインは辺りを見回した。
イートインスペースはそこそこ盛況だが、あくまでそこそこ。わざわざ相席を選ばずとも一人で利用できるテーブル席はいくつも空いている。つまり彼女はこの場所を自ら望んで着席したことになる――それはなぜか。どうして自分の真正面に座る必要があるのか?
疑問に思ったナインが少女へ視線を戻すと、彼女は覗き込むようにしてナインのフードに隠れた顔を確認しているところだった。
いつの間にか近くに寄っている少女の相貌にぎょっとしたナインは、思わず仰け反るようにして顔を離した。
明確な拒絶反応を目にしたはずの少女だったが、特に傷付いた様子も、さりとて喜ぶような様子も見せず、アルカイックなスマイルを浮かべながらゆっくりと姿勢を戻し、
「うん。エイミーから聞いた通りだ」
そう言った。
「……ッ!」
エイミー。ナインはその名を忘れてはいなかった。何せそれは、まるで逃亡犯のようにこそこそと生活している原因となった人物だ。
あの少女との出会いさえなければ街中でももう少し堂々と過ごせるのに――と何度思ったか分からない。
出かける際には常にフードを被っているのも、検問を避けて空から街に入ったのも、すべてはエイミー。そしているかもしれないその仲間の目を警戒してのことであった。
「暫定ヴァンパイア。なるほど、こうして目の前にしてみればその意味がよく分かる。確かに異様なまでに端整な顔立ちとその紅い瞳に白い肌は、他ならぬ吸血鬼らしい特徴だ」
独り言のように呟く少女は、けれどはっきりとナインの目を見据えながら「だけど違う」と言った。
「吸血鬼の瞳はもっと真っ赤だ。血のようなどす黒い赤をしている。その目のような薄紅色ではない。そして肌の色も、少し違う。彼らはもっと病人じみた血色の悪さが特徴なんだ。対するあんたは肌こそ白いがとても健康的で、だいぶ印象が異なる。次に歯。鋭い牙は隠したくても隠せない吸血鬼の象徴。食事中に確認させてもらったけど、あんたには牙がないね。第一、吸血鬼は食事なんてとらない。だって彼らの食事とは即ち血を啜ることだから」
何よりも――と少女は指を突き付けるようにナインを指し示した。
「あんたからは血の匂いがしない。吸血鬼が常に漂わす、食後の匂いがね」
「…………、」
にっこりと笑う茶髪の少女に、ナインは何を言えばいいのか分からなかった。
エイミーの仲間らしいということはなんとなく理解できているが、問答無用で吸血鬼認定をしてきた彼女とは違って、この少女は幾分か冷静で話の通じる相手にも思える。
だとすれば――だとしても、結局どうすればいいのかはよく分からない。
無言のままのナインに構わず、茶髪の少女は話を続けるつもりのようだった。
「さて、吸血鬼容疑は晴れたわけだけど……となると問題は正体だね。強個体のオーガを一撃で粉砕し、エイミーすら翻弄してしまう実力を持つ君の正体と、その目的を、私は明らかにしなければならない」
「なんだ、またそれか」
思わずうんざりした口調でナインは零した。
「あのエイミーって子にも言ったけど。俺はあくまで観光目的でここにいるんだがな」
「観光というよりも居付こうとしているように見えるけどね」
「まあ、それは否定できない。この街の居心地がいいもんでさ。でもいつかは出て行くつもりだよ」
居心地がいい、の部分で少女は笑みを深めた。純粋に喜んでいる様子だった。
「そう言ってもらえると嬉しいねえ。出て行ってくれるつもりなのも、私としては助かるよ。でも『いつか』じゃダメなんだなあ。今すぐ出て行ってほしい。そうすればあんたの正体だとか目的だとか、そんなことを聞き出す必要もなくなるんだ」
「はあ?」
あまりの物言いに、ナインは声を荒ませる。やっぱりエイミーの仲間らしい子だと思い直したところだ。少しでも話が通じそうなどと考えた自分を殴ってやりたい気分だった。
「お前さんも俺の意思関係なしの、強硬派なのか」
「そうなるかな。確かナインと名乗っているんだったよね。こちらも名乗っておこうか――私はリュウシィ。恐れ多くもリブレライト治安維持局の長として、この街を守っている立場についている者だ。そんな私があんたに提示する選択肢はふたつ。ひとつは洗いざらい尋問に答えて放逐されること。もうひとつは私の手によって強制的に街から排除されること。どっちがお好みかな?」
「……結局追い出されるんじゃないか」
「まあね。でも一つ目なら治安維持局預かりの身柄として君の安全は保障され、穏便に済む可能性もあるけれど、二つ目だとそうもいかない。強制排除の対象として君の心身の安全は一切保証されない。さて、もう一度聞こう。どっちがお好みかな?」
明らかな警告。少女の笑みは変わらないが、しかし圧力が増した。
ナインをして空気の違いを感じ取れるほどのプレッシャー。
思わず先の挨拶同様、反射的に謝ってしまいそうになるが……少女はそれを意思の力で踏み止まった。
自分のこれまでの行動を思い返し、何か彼女へ迷惑をかけたかを反芻する。結果、何一つ謝る必然性はないとナインは判断した。
「どっちもごめ――」
んだよ、と続けようとしたナインの言葉を遮ったのは突然の衝撃だった。
はい、(街編)よーいスタート