118 人間をやめた家族たち
この数話は完全にティンクとトレルが主役だなあ、と思いました。まる
よし、決まり! それじゃ解散解散! 明日に向けてもう休みなさい。私もあなたたちの試合、楽しみにしてるから! それじゃまたねー。
というミドナの底抜けに豊楽的な言葉を最後に、ナインとクレイドール、そしてチーム『ファミリア』の会合は終わりを告げた。
全員が同意の下その場に残ったミドナへ留別したからには、きちんと話はついている――などということはなく。
説明を試合の後に、それも勝負の行く末に託すことを自ら決めたティンクはともかくとして、それに付き合わされる身となったトレルには少なくない不満があった。
なので自分たちの停留する宿に戻ってからというもの、彼女はティンクへ湿度の高い目を向けていた。所謂ジト目である。
最初のうちこそ持ち前のマイペースさで気にする素振りを見せなかったティンクだが、さすがに数時間も会話がないままそんな視線に晒されるのにはこたえたようで、ついに彼女のほうからトレルへと話題を振った。
「どうしたトレル。何かあるなら言えばいい」
「……言わないとわかりませんか」
「当て推量より聞いたほうが早い。お前だって私に戦闘以外での勘の良さは期待していないだろう」
「ええ、ええ、そーですね。全面的にその通りだと認めましょう。ティンクになんて何も期待していませんとも」
「何もとは傷付く。それで、私に不満でもあるのか?」
「どうしてわざわざ試合後に持ち越しなんてしたんですか。あの場で聞き出せばよかったんですよ。クレイドールが渋るようなら、それこそ力ずくでも……」
「スマートではないな。二対一の状況下ならまだしも、あの場にはミドナとナインという只ならぬ強者が二人もいたんだぞ。強硬策に出ようものなら二対三の構図で徒党を組まれることは目に見えている」
「つまり、負けるのが怖かったと」
「まったくお前は、わざとらしいまでに露悪的な物言いだな。そういうことではないと、お前だって十分理解できているはずだ」
「…………」
黙ってそっぽを向いたトレルに、ティンクは苦笑しながら話を続ける。
「大会のことなどどうでもいいとあいつには言った。それに嘘はない。あの瞬間の私は確かに任務なんて二の次三の次に考えていた――しかし、そんなことが許されるはずもない。私は私の、そして私たちの価値を示さねばならない。相応の働きで持って万理平定省に我々『アドヴァンス』の成果を認めさせること。それこそが人ならざる私たちの唯一の道なのだから。故にあの提案をした。出場資格を失った『グローズ』のような愚を犯さず、また同時に、なるべく穏便に『ナインズ』へ条件を付けること。あの状況で見込める最大限のリターンを私たちは得たはずだ」
「…………」
「トレル」
いつまでもこちらを向こうとしない彼女に、ティンクは自分が動くことでその視界に入った。
大した景観も望めない窓の外を見ていたトレルの目に、屈んで視線を合わせたティンクの無愛想で冷めたような、それでも優しさの欠片を感じさせる表情だけが映る。
「性急に事を運べば必ず取り返しのつかない弊害が出た。無論、感情論で言うならそちらが正解だっただろう。それは私もお前も同じ気持ちでいたはず。だがしかし、それでも私たちは冷静でなければならない。私情と使命とに折り合いをつける必要がある。二律背反にすり潰されたくはないだろう」
「……私だけでは、そうなっていたと言いたげですね」
「事実だ。お前は少し、感情を表に出し過ぎる」
数日前と同様の指摘を受けて、トレルは閉口した。今度は不貞腐れたからではなくて、相手の言い分が正しいと認めたが故の沈黙であった。
言葉もない彼女に、僅かに慰めるような口調でティンクは述べる。
「やはり二人で行動するのは正しい。私がいなければお前は暴走していたはずで、逆にお前がいなければ私のほうこそ我に返れず暴走していたかもしれない。自分以上にお前が憤ってくれたからこそ私は冷静でいられたのだから」
「同情はけっこうですよ。失態を演じたことは自分が一番よくわかってますから」
「なに、気にするな。私たちに損などひとつもない。勝てばいい。優勝も、そしてパラワンの秘密も。勝ちさえすれば全てが手に入る。『勝って手に入れる』……それは私たちが常に行ってきたことであり、この世の絶対的な不文律だ。シンプルで侵しがたい、それ故に美しい……戦士の掟だ」
「ええ、そうですね。私は戦士を自称するつもりなんてありませんし、そもそも戦うより逃げることを選ぶ性質ですが……。けれど今回ばかりは逃げの一手などあり得ませんね。まずはAブロックを勝ち上がって、『ナインズ』を負かし、そしてクレイドールから私たちが改造されたその理由を話させる。それからBブロックの勝ち上がりに勝利し、優勝。『武闘王』の称号を掴みそのままアムアシナムへ向かう、と。スケジュールは完璧ですね。息が詰まりそうなくらいに」
更に言うなら、アムアシナムにつけばそれで任務達成という訳でもない。その後にも彼女たちには引き続きやらねばならないことがあって、むしろかの宗教都市に潜り込んでからが今任務の本番とすら言える。
ここスフォニウスでの大会優勝などはその前座に過ぎず、そして言うまでもなく『ナインズ』との出会いは突発的かつ半ばティンクらの自発的なものであって、前座の内にすら含まれない。
パラワン関連のことはその全てが私情絡みでしかない――が、二人はそれに関して足を踏み込んだことに後悔の念などただの一抹もありはしなかった。
謎を解き明かす。
いったいどんな大義名分があってパラワンは保護した自分たちの体中へメスと器具を突っ込み、好き放題に弄り回したのか。
親にも第二の親にも捨てられ開発局などという人を人とも思わない悪魔よりも悪魔じみた異常者たちの巣窟でついには人間と呼べないものにされ、上からの任務に従うだけの生ける道具と化したこの人生――人の生ではなくともそう、これは人生であると彼女たちは断じる――に果たして意義や意味はあるのかどうか。
ないのだろう、そんなもの。
不幸に原因なんて、不運に因果なんて、涙や悲しみに正当な理由なんてありはしないのだ。
どこにだって転がって誰にだって降りかかるありふれたこの空虚さに意味を見出すことなどきっとどうやったってできやしないのだ。
納得のつけようなんて、ありっこない。
そんなことは知っている。とっくの昔に知らされている。だってこの心と体に嫌というほど教え込まれたのだから――だから本当は、過去を解き明かすことの不毛さだって理解しているのだ。
それでも追いかけるのは未練からか、それとも解放されたいからか。
諦めるために諦めないことを選んでいるのか。
九人から八人へ、八人から七人へ減った家族。一事が万事、そんな彼女たちだった。
「パラワンのことは、仲間たちへの土産話にもなるか」
「もちろんなりますよ。リアクションが怖いところではありますけどね。我らがリーダーやナンバー7は大丈夫でしょうけど、ナンバー2やナンバー6は感情的に暴れる可能性もありますよ」
「いや、私は……そういった時にはナンバー7こそが危ういと思うぞ」
「はい? 何を言ってるんですか、彼女は諫め役ですよ? 完成順でこそ、もういないあの子の次に遅い七番目ですが、あなたやナンバー2の勇み足を戒める私たち全員にとっての姉のような人でしょうに。そんな彼女が暴走するなんて考えられませんよ」
「ナンバー7は滅多に研究室時代の話をしないだろう。それが気になる。彼女の自立した精神がそうさせているのならいいが、あるいはその逆。まだあの頃に戻れると信じているからこそ――彼女にとって『まだ過去になっていない』からこそあの態度なのだとすれば、パラワンの死で最も深く傷つくのはナンバー7ということになりかねない。そうなればこれまでの我慢や抑圧の分、盛大に荒れることも視野に入れておかねば。口うるさい年少組やこましゃくれた私たち年中組の面倒をみることで、傍からは想像もつかない心労もあったはずだ。それでも愚痴のひとつも言おうとしないナンバー7が、壊れてしまうことのないように……伝え方には細心の注意を払う必要がある」
「…………」
トレルは呆けたような顔をする。考えもしていなかった仲間の一人の精神状態を諭され衝撃を受けた――それも、よもやこのティンクからだ!
戦うことばかりしか頭にないと思っていたメンバーの意外な一面というものを、今回の任務は色々と教えてくれる。初めて彼女と二人きりで行動することになって――トレルは初めそれをひどく嫌っていたのだが――これまで見えなかった、見ようともしていなかった仲間の正面以外に回ってようやく見える側面というものを知ることができた。
普段は堅物で戦闘一辺倒なこの少女が、ユーモアと思慮深さも持ち合わせていることを、トレルはこれまで気付けていなかった。
否、彼女だけではない。他の誰もが他の誰に対しても真の意味で理解しているとは、まだ言えないのではないか。十数年の苦難の時を共に過ごした家族であったとしても、否、だからこそまだまだ互いに知らないことはたくさんあるのではないか。リーダーたるナンバー1あたりなら、あるいは過不足なく仲間のことを把握しているのかもしれないが……。
「……あなたと二人の任務でよかった」
「トレル?」
「なんですか、その顔。鳩が豆鉄砲でも食らいましたかね」
元から若干苦手意識を持っている、という程度に過ぎず決して嫌いでこそなかった相手だが。
今回の任務で「嫌いではない」から「好き」に変わってくれそうだった。
珍しくいつもの無愛想な表情を崩して間の抜けた驚き顔を見せるナンバー5に、ナンバー3も彼女にしては珍しい、なんの含みもない明るい笑顔で応じたのだった。