117 知りたくなかったこともある
「その質問には、答えられません。私には権限がありません」
「権限だと? セキュリティを敷く必要性があるのか」
「その通りです。パラワン博士はご自身の計画が外部へ漏出することを徹底して防いでいました。私も概要程度の情報しか持っておらず、またそれを他者へ伝えることを固く禁じられているのです」
「でしたらもう結構ですよ……パラワンに直接聞くまでですから。あなたのお話はいいので、現在の研究室の場所まで案内してください。今すぐに」
怪訝な顔を見せるティンクに構わず、トレルは先を急がせた。クレイドールから情報を得ることなどもはや期待せずに、パラワン本人と対峙することを選んだようだ。しかし――。
クレイドールは首を振る。カチカチ、と今にも音が鳴りそうな動きだ。
「それもできません」
「……あなたねえ」
「いや待てトレル。ここは私が聞こう」
手を上げて相方を制し、ティンクは自身主導で話を進めようとする。熱くなりすぎている今のトレルではかえって円滑な会話を行えないと判断したのだ。傍からそれこそ傍観者のようにやり取りを眺めているナインからしても、それは的確な選択に思えた。
「何故案内ができない? 私たちは系統こそ違えどお前の姉妹機にも等しい。生みの親は同じなのだ。今の所属こそ異なれどそれはパラワンが選び行なったことで、私たちがそう望んだわけではない。だというのにそこまでこちらを警戒する理由はなんだ?」
「まずは確認しなければなりません。質問にお答えいただけますか」
「いいだろう」
「あなた方は敵ですか味方ですか」
「……それは、どちらの」
どちらとは即ち、製作者パラワンのことかそれとも現在クレイドールが『マスター』と仰ぐ少女ナインのことか。後者であれば、味方でこそないが敵でもない。試合で当たれば対戦者同士ということになるが、それ以外ではいかなる意味でも敵対の意思など持っていない。これは純然たる事実である。
だが、前者であれば。
第二の親にして、二度目の『放棄』を味わわされた相手であるパラワンのことを指してそう訊ねているのであれば。
それは間違っても味方などとは言えず、ともすれば。
敵として見ていると言っても過言ではないのかもしれない。
まだ自制心を保てているティンクですらも内心ではそうなのだから、特に日頃からパラワンに対し恨み節を述べているトレルにとっては当然――。
「この場合は勿論、パラワン博士にとっての敵か味方か、ということです。あなた方が博士の意に沿わぬおつもりだとすれば……」
「だとすれば、なんだっていうんです……!」
案の定、トレルは再度感情を爆発させる。
彼女にとってクレイドールの言い草は非常に我慢ならないものがあった。
「私たちの後継機、それも完成品の割には随分とすっとろい頭をしているようじゃあないですか。敵か、味方か!? この状況で、私たちの言葉を聞いて、よくもまあそんな質問ができたもんですね。なんて言ってほしいんです!? あの女に感謝しているとでも? 全く恨んでなんかいませんとでも? あの女に捨てられた私たちみなしごがそう言えば、それで満足なんですか! まったくもって下らない、この世の何より下らないことです! いいからとっとと――パラワンがどこにいるのかを吐くんですよ!!」
「…………」
もはや激憤を抑えられず怒鳴りつけてくるトレルへ、クレイドールは瞑目した。
この時、彼女には少しばかりの葛藤が生じていた――否、ひょっとしたらそれは「そのこと」を伝えた後に相手がどんな反応を見せるかについて、極めて機械的な分析を行っていただけなのかもしれないが。
配慮か演算か、その答えは本人にも分からない。なんにせよクレイドールは瞼を開いて、トレルの瞳を正面から見返した。
「どれほど望もうと、あなた方がパラワン博士と会うことはできません。何故なら、博士はもうどこにもいないからです」
ひゅ、と息を呑む声がした。
それはティンクか、あるいはトレルの出した音だったのだろう。
二人ともに顔面蒼白といった体で、何を言われたかまだ完全には理解できていない様子だった。
「それは、どういうことだ」
一縷の望みに託すようにティンクがそう言うと。
「博士は私の完成直後から体調を崩され、九年前にお亡くなりになりました」
「九年前……」
それはパラワンがティンクらを手放した数年後ということになる。あのあと時期を置かず、彼女はこの世を去っていた? 信じられなかった。冗句のようですらあった。あの傲岸不遜のマッドサイエンティストがあっさりと死んでしまっていることも、そして当時ですらとっくに高齢だったあの女が十数年たった今でも「元気」で「あの頃のまま」に「生きているに違いない」と妄信してしまっていた自分たちこそを、とてもとても滑稽に感じた。
トレルが喘ぐように、言葉を絞り出す。
「う、嘘、ですよ……私たちに会わせたくないばかりに、あなたは嘘を言ってるんです。姑息なことをしないでくださいよ、こっちはただ……」
「嘘などではありません。博士の死亡は事実です」
「う……」
強く断言され、トレルはもう二の句が継げられない。そこに自分たちを騙ろうなどという意思がないことは彼女とて見抜いているのだ。その程度の腹芸は身に着けてきたのだから、嘘の気配くらいは簡単に見破れる。
クレイドールにはそれがない。一切の虚偽が、偽装がない。それはつまり、パラワンの死が否定しようもない事実であることを意味し――。
「死因は」
「老衰、ということになります」
「体調を崩したのではなかったのか」
「とうに寿命なのだと博士は仰っていました。今は私を完成させることを目標にしているのだと」
「つまり、お前を作り上げたことで張っていた気が緩み、そのまま逝ってしまったということか」
「表現としてはそれが適切かもしれません」
「……そうか。遺体は」
「研究室に。博士専用の作業台で密閉処理が施されています。二年ほどでミイラ化し、その状態で現在まで保存が続いています」
「悪いが、話ができないのであればもう会う気もない。……だが頼みがある」
「なんでしょうか」
「こいつをパラワンのもとへ」
ティンクはその手にいつの間にか帽子を持っていた。
女子には少々不釣り合いにも思える黒い山高帽を、そっとクレイドールへ差し出す。
「手向けだ。私の帽子を捧げたい」
「いいのですか」
「ああ。予備はある」
トレルはどうする、とティンクが訊ねるが、彼女は黙ったまま応じない。
「……私のだけだな」
「了解しました。必ず」
と、クレイドールが丁寧に山高帽を受け取ったところで。
「あれー? 話がちょっと違うね。喧嘩だって聞いたんだけどなあ」
そんな声が四人の耳に届く。それはナインにとって聞き覚えのあるものであった。
「え、ミドナさん?」
なぜここに、と言外に疑問を込めて彼女の名を呼べば、ミドナはひらひらと親しげに手を振った。
「やっほー、ナイン。治安維持局からの要請で来ちゃった。あなたが街中で喧嘩してるようなら止めようと駆けつけたんだけど……もうその心配はないかな?」
「え、ええ。俺は暴れるつもりなんてありませんから」
「そっか、それはよかった。そっちの君たちはどう?」
明るい口調で、自然体にティンクらへ確認を取るミドナ。
それはナインに向けた口調と同様、まるで友人へ予定を尋ねるような気安さだが――そこには一切の隙も見受けられない。
あえて腰の剣に手を伸ばすこともせず、笑みを浮かべながらこちらを見る最高等級冒険者へ、ティンクもまた口元に薄く笑みを作った。
「……ミドナ・チスキス」
「はいはーい、ミドナでーす。それで、どう? いざこざでもあったんだろうってのは分かるけどさ、君たちはせっかく大会に出てて、同じAブロックのチームなんだから……わだかまりは試合で決着をつけたらいいんじゃないかしら?」
ほう、とティンクは呟く。トレルは黙したまま、ミドナに目すら向けない。
ナインはあー、と曖昧に頷いた。クレイドールは口を挟まずに静観している。
ミドナは周囲を見渡しながら言葉を続けた。
「選手が四人も集まってごたごたとやるもんだから、ほら。注目されちゃってるのよ。場外乱闘を期待している人もいるみたいだけど、大半はやっぱり怖がってるのよね。だから治安維持局にも通報がいったし、私にも応援要請が来た。でもここであなたたち全員をお縄にかけるなんてことしたら、大会への影響が大きすぎるわ。ただでさえ既に本戦進出チームのひとつが不祥事を起こしちゃってるし」
どうやら自分たちを襲った『グローズ』についてもミドナは把握しているらしい、とナインは気付く。冒険者でありながら治安維持局と協力体制を構築していることや、一選手でありながら大会運営側からの観点を持つことからも、彼女はやはり大物なんだなという感想を抱く。大会パンフレットの選手紹介において、ただ一人だけ見開きで大々的に紹介されるだけのことはあるようだ。
「私はそれで構わない。分かりやすくて実にいい――こちらが負ければ、もう何も聞かない。こちらが勝てば、権限とやらを無視してでも知っていること全てを喋ってもらう。それでどうだ?」
「……だってよ、クレイドール」
ティンクの提案は辻斬りが如くナインたちの足を止めさせた当初から比べればかなり譲歩的である。パラワンの死やナインへの誤解を悟ったことで幾分か彼女は冷静さを取り戻したのだろう――しかし、クレイドールは。
「戦わねばならないのですか」
「戦って、勝ち取る。戦士の基本であり、それは生者の基礎でもある」
「…………了承しました」
あくまでシステマティックな仕草で、けれどどこか重々しくティンクへと頷いたのだった。