12 麻薬と殺しと怪物少女
時は少々巻き戻り、ナインとリザードマンの接触の場面から数十分後のこと。ナインは通称『穢れの地』へと辿り着いたところだった。
「わあ。見るからに怪しい植物だぁ……」
リザードマンのリーダーが「(臭すぎて)ここまでが限界」というところまで案内してくれたので、そこからは自分とクータだけで真っ直ぐ進み、見つけたこの場所。
そこにはどす黒い色をした謎の葉が生い茂る、明らかに人の手が入った畑があったのだった。
「すっごい不気味だなー、これ。ここまで近づいても臭いだなんて感じないけど。クータはどうだ?」
「クー! クー!」
「なに、その反応。ひょっとしてクータも臭いのか? これくらい近づくとクータでも分かるってことか」
ふむ、とナインは考える。やはりこれが穢れとやらの原因とみていいだろう。犯人は人間だとリザードマンは断言していたが、どうやらそれも正しいようだ。黒い植物はどう見たって人が栽培しているものである。こそこそと森の奥で育てられている植物……うむ、怪しい匂いしかしない。リザードマンやクータほど鼻の利かないナインでさえそう感じるほどの怪しさだ。
「人間が育てる、怪しい植物。って言ったら、俺には麻薬くらいしか浮かばないが……見た目はいかにもだよな」
ということは、麻薬畑。
それが穢れの正体ということになるか。
ならば――
「うん、ぶっ壊すのに罪悪感はまったくわかないな」
リザードマンたちは最終的にナインを「人間ではない」と結論を下し、信用してくれた。その時点で疑いを晴らすために穢れをどうこうする必要もなくなったのだが、ナインは自ら言い出したのだからと善意でそれを請け負った。信じてくれたお礼みたいなものだ。……あれだけの剣幕だったというのに、フードを取っただけで疑ってすまなかったと謝ってきたのには驚かされたが。
どこかの不審者少女にもぜひ見習ってもらいたい、とナインはエイミーと名乗った謎の少女へ恨みがましく思ったりもした。
ちなみにリザードマン曰く、ナインからは薄いが確かに「人間のような」匂いがするとのこと。それで端から人間だと決めつけるような態度だったのかと納得したナインだったが、そうなるとフードを取っただけで非人間判定を受けた理由が分からなかった。何も白髪や薄紅色の瞳で判断されたはずもあるまいし……とリザードマンのリーダーと別れてから気になったのだが、別れたからには確認のしようもない。まあ、それほど気にすることでもないかとナインはその疑問をすぐに忘れた。
とにかく、今はリザードマンたちからの信用に応えるためにも、作業を始めるとしよう。
「やっちゃえ、クータ」
「クー?」
「うん、許可する。この黒いのは全部燃やしちゃっていいぞ」
「クー!」
頼られて嬉しかったのか、気合のこもった一鳴きをしたあとクータは嘴から猛烈に火を吹いた。空を飛びながら地上へ火を吹き続け、黒い畑を満遍なく業火に包むクータ。愛玩動物めいた可愛らしさからは想像もつかない極悪な姿である。さながら、世に終末をもたらす悪魔の使いと言っても過言ではない。
「クウーッ!」
「た、楽しそうだな……」
自分でやらせておきながら軽く引き気味のナイン。引かれてるとも知らず元気に火を吐き続けるクータ。どっちもどっちな飼い主とペットであった。
麻薬畑が完全に火にくるまれたのを確認し、あとは焼き尽くされるのを見届けるだけだとナインが腰を下ろしたとき、誰かの叫び声が聞こえてきた。反射的にリザードマンかと思ったナインだが、彼らがここに近づくはずない。どこかから煙が昇っているのは見ているかもしれないが、話を通している以上わざわざ確認しに来ることはないだろう。
では、誰だ? ナインは立ち上がる。
リザードマン以外の人語を解すモンスターが驚いてやってきたのか……それとも、ずばり人間なのか。
人間だとすれば、このタイミング――麻薬畑の管理者と見るのが妥当だろう。ナインは目を細くしながら声のしたほうへ歩く。火の向こうではどうやら消火に躍起になっているらしい気配がする。木々には燃え移ったりしていないので、この慌て方はつまり、黒い植物が燃えてしまっては困る何者かであることの証左。
――ちょっと話を聞かせてもらうかな。
泰然とした歩みで火を突き破ってみれば、いた。
男が三人で身構えている。
ナインは三名を見渡し、手前の二人ではなく奥の一人に視線を向けた。
「これ、おたくらの?」
親指で燃え上がる黒い植物を指しながら問いかけるナインに、奥の男は歯を剥いて呻るように答えた。
「ああ、そうだが。焼いたのはお前か?」
「うん、そうだけど」
「そうか。じゃあ――やれ」
やれ、という意味が分からずきょとんとするナインに、男たちは容赦なく上司からの命令を遂行した。
「『アシッド』!」
「『ライトアロー』!」
セントムとクラートの殺意に不純物はなかった。リブスに命じられたからその通りにする。二人にとってはただそれだけのことであり、そこに迷いは生じない。フードで顔を隠す怪しい子供――おそらく少女――だろうとなんだろうと、関係ない。老若男女分け隔てなく、殺れと言われれば殺るのみ。
その純粋な殺意を、ナインは鋭敏に感じ取った。考えるよりも先に体が動き出す。
「おらよっ!」
地面を蹴り上げる。スパイクで土を掘り起こすような感覚で行なったそれは、しかしナインの肉体スペックならではの結果を引き起こす。
どんっ!! と地面そのものが爆発したかのように大量の土砂が巻き上げられ、魔法の酸性液も光の矢も尽く飲み込み、男たちへ降り落ちてきた。
「さがれ、退がれえっ!」
セントムとクラートは転がるようにしてリブスのもとまで退く。そうしなければ土砂に潰されていただろう。土埃にまみれながら、リブスは歯噛みした。暗黒座会と知ったうえで挑んでくる相手が一筋縄でいかないことは覚悟していたが、想像以上に厄介な相手だと悟ったのだ。
「な、何が起きたんすかあ!?」
「おそらく土魔法だ。速さと規模からして相当な使い手のようだな」
「どうしましょうか、リブスの旦那」
「俺がお前たちを補佐する。次で決めるぞ」
リブスは体外に漏らさぬよう細心の注意を払いながら魔力を練る。ここで戦闘に魔力を消費してしまったら、帰りの転移が使えなくなってしまうが、そんなことを言っている場合ではない。今の一撃だけでもよくわかった――敵は、強い。三人がかりで確実に仕留めねば、逆に食われる。ここは出し惜しみをすべき場面ではないとリブスは判断した。
「構えろ。恐らく土煙に紛れて近づいてくるぞ」
至近距離で先ほどの土砂崩れの魔法を放たれてはひと溜まりもない。だからこそ、先に相手を捕捉し、セントムとクラートが攻撃魔法を叩き込む。反撃を許さぬようにするのはリブスの役目だ。空間の歪曲によってほんの一瞬ではあるが相手の身動きを封じさせることができるのだ。上手く決まれば、一撃で仕留められるだろう。
三名が三名とも油断なく周囲へと目を光らせ、小柄な影を待ち構えるも――待てども待てども、来ない。やがて土煙も収まり、予想が外れて若干の戸惑いを覚える三名の目に付いたのは、姿勢を低くしたナインの姿。
「よーい……」
男たちの想定に反し、ナインは隠れてこそこそと近づくような真似をするつもりなど毛頭なかった。むしろ逆だ。煙も埃も収まり、視界が開けるのを悠然と待ち、正々堂々と正面突破を敢行しようと決めていた。
このように。
「どんっ!」
クラウチングの体勢でスタートダッシュを決めたナインは、もはや男たちの動体視力では捉えきれなかった。
疾風の速度で距離を詰め、飛び上がるようにして右側の男へ上段蹴り。それだけでクラートの頭部は弾けた。
そのまま勢いを落とさず体を回転させ、反対の足で左側の男を薙ぐ。踵がセントムの上半身と下半身を分断した。
蹴り終えて腰を落としたナインは流れるように真正面に立つ男へと拳を放つ。リブスの腹に大きな風穴が空いた。
「かっ、かっ……」
口をパクパクとさせるリブス。何かを言いたいようだが、言葉にならないようだ。しかし目玉が零れ落ちそうなほど見開かれた瞳は、言葉よりも雄弁に彼の受けた衝撃を物語っていた。
「かっ――」
それを今際のセリフとして、リブスの生涯は幕を閉じた。こんな結末が訪れることなど、数分前の彼に言ったところで信じないだろう。それはセントス、クラートにしても同じこと。
誰に想像できようか――これほどの暴虐を可能とする怪物が、この世にいることを。そんな怪物と出会ってしまうことを。そんな怪物と――敵対してしまうことを。
死因はシンプル。
ナインに殺意を向けてしまった。
それが彼らの、どうしようもない失敗であった。
「……やっちまったな」
絶命した三人を見下ろしながら、ナインは顔を顰めていた。
この身体になってから幾度も命を奪ってきたが、それは獣やオーガ、巨大昆虫といったモンスターだけで、人を殺めたのはこれが初めてだ。殺すことに、躊躇いはなかった。殺意を向けてきたからには、捕食目的に襲ってきたモンスターと同じようにしか見ることができなかった。だから躊躇なく殺せた。しかしそれでも、こうして戦闘が終わってしまえば、やはり思うところはある。
こいつらだって殺そうとしてきたのだからお互い様だ――なんて考えが益体もない自己弁護にしか思えないほど、悔やむような、あるいは惜しむような気持ちがあった。
そもそも肉体の強さに大きな隔たりがあるのだ。やりようによっては、戦闘は避けられずとも、殺さずに済んだのではないか? この結末は圧倒的な強さを持った――持ってしまった自分に責任があるのではないか?
これは罪なのか、とナインは自問する。明確な殺意を持って襲ってきた者を返り討ちにしただけのこと。しかし殺さぬ努力を端から放棄していたのも事実。
殺さぬ努力?
どうして敵を慮る必要がある?
そんなことをしている間に不覚を取れば、自分が殺されるというのに。
ナインはため息を零す。まるで自分の中の白い色と黒い色がせめぎ合っているように感じた。白は良識であり、黒は理知だ。どちらも正しいのが、困りどころであった。
男たちの死体を見やる。転がった惨たらしい物体を見ても、ショックは感じない。こいつらの命を奪ったこと自体に罪悪感を抱いているわけではないらしい、とナインは自己分析をする。
では、何に? ――決まっている。
自らの手を汚してしまったという感覚。苛まれているのはそれだ。
殺したことそのものにではなく、殺人という行為に抱く根本的な忌避感。その人間として誰もが当たり前のように所持しているセーフティーを破ってしまったことに、気持ち悪さを覚えているのだ。
(……馬鹿らしい)
この世界は物騒だ。前の世界よりはるかに命が軽い。そんなところで生きていこうというのなら、以前の常識や理性の一部は、捨て去ってしまうが吉だろう。
とはいえ、だ。
殺したあとに落ち込むくらいなら、その前に気付けばいいものを。実行に際してはまったく感慨を持つこともなく、一息で三人の命を散らしてしまった。これははっきり言って、よろしくないことだ。
精神は肉体に引っ張られる、とはよく聞く言葉だ。つまり自分は、強大な肉体に引っ張られてしまったが故に殺人を厭わず行なったのではないか、というおそれがある。だとすれば……。
(自重、しないとな)
今回は命のやり取りだったから、まだいい。しかしこれから先、ちょっとした諍いで人命を奪うような怪物になってしまったら、それこそ終わりだ。自分はもう人間を嘘でも名乗れなくなる。
無論、とっくに人間とは呼べないような何かになっている自覚はあるが、しかしそれでもだ。見た目だけ人間らしくも中身は人外の恐ろしきナニか――などというものに成り果ててしまったとは、思っていなかった。
あくまでも人である。少なくとも自分で自分をそう思える程度には、自重しなければ。
「クー!」
黙考するナインの耳に、クータの声が届く。念入りに畑へ焼きを入れる作業が終わったのだろう。
「クータ、お疲れ――わっ、どうした?」
ばさばさと翼を動かしながらじゃれついてくるクータに、初めはもっと褒めろと言っているのかと思ったナインだったが、どうも様子が違う。
「……ひょっとして、慰めてくれてるのか?」
「クー!」
嘶きからして、正解のようだ。ナインがどこか落ち込んでいるように、クータの瞳には映ったのだろう。
「そっかそっか。クータは賢いし、優しいな。ありがとう。でも、大丈夫だ。もう区切りはついたよ」
飲み込めたかというと、怪しいところだが。とにかく一旦の整理はつけたつもりだ。これから先も、同じような場面になれば同じような対応をするだろう。敵に容赦をするつもりは微塵もない。ただし、力を振るうにあたって無責任ではいけないと強く意識することができた。その点だけは、この正体不明の麻薬犯(らしき)連中に感謝してもいいだろう。
穢れ自体も、穢れの原因と思わしき人間も排除したのだから、リザードマンたちも満足してくれるはず。もう一度会う機会があるかは疑問だが、一期一会とも言うし、それでもいいのだ。
「あっ、クータ。見ちゃだめだぞ。教育に悪い」
今更だが死体を隠すために、クータの視界を塞ぐナイン。グロいものを見せたくないというのもあるし、万が一にもクータが死体を食べ出したりしたら、嫌だったからだ。鳥なら生き物の死骸を啄むくらい普通の行為ではあるが、飼い主としてはペットに人間の死体など食べてほしくはない。それに味を覚えて積極的に人を襲いたがったら困る。
「あ……そうか、餌がいるのか」
クータを抱えるようにしながら焼失した畑の跡地をあとにするナインは、随分と遅くその事実に気付いて愕然とした。
「俺は飲まず食わずでも平気だけど、クータはそうもいかないもんな。やべえ、全然考えてなかった」
ペットらしく振舞っているクータとて、元は野生動物だ。餌の確保くらい自分でできるだろう……とは、巨大蜘蛛にあっさりとやられかけていたシーンを思い出すに、言えなかった。むしろこんな森でよくこれまで生き延びたものだ――
「ん?」
そういえば、と違和感。
リザードマンの一人が、クータのことを「見たことのない魔獣」と称していたのを思い出したのだ。
(見たこと、ない? どういうことだ、クータはこの森にいる種類の動物じゃないってことか?)
とてつもなく広大な森なので、いかに原住民たるリザードマンであっても把握していない種族は多くいるはず。クータもその中のひとつであるとも考えられるが、もしそうでないなら。
クータはどこか別の場所からたまたまこの森に来て、たまたまナインと出会ったことになる。
そう考えると、少しだけ運命的に思えなくもない。
(ちょっと気になるな。でも、聞いてみたところでどうせ分からないしな)
抱っこされているのが楽しいのか「ク♪ ク♪」とご機嫌なクータを見て笑みを浮かべるナイン。クータの出自も気になるが、今は食事のほうが先決だ。
(やっぱそろそろ、真剣に街を目指すっきゃないか。ここじゃ昆虫しか取れないし……クータは鳥にしちゃデカいから、食べさせるなら肉とかのがいいだろ)
森には動物だっているはずだが、今まで(クータを除けば)一匹も見つけられていないことから、狩りの期待値は著しく低い。街を探し出して食料を購入するほうが断然算段がある。
しかしそちらにしても、問題がないわけではなく。
「迷子+無一文……の現状を、どうにしかしないとなあ」
……けど、どうやって?
ううむ、と頭を悩ましながらナインは森を行く。不安に唸るその姿は、先ほどまで苛烈な猛威を振るっていた少女と同一人物には、まったく見えなかった。