110 計算vs予測
ジャラザのちゃんとした勝負ってこれが初か……
「どうしてとめるの、ジャラザ!? クータはまだ――」
「そうとも、負けてなどおらん」
鷹揚に頷き、「だがな」とジャラザは楽しげに笑う。
「このままだと本格的な戦闘になりそうなのでな。その前に、ちと儂にも試させろ。主様の従者はお主だけではないのだ」
「むー……、わかった」
共にナインに仕える仲間。
その後輩からの言葉に、クータは渋々といった様子で矛を収めた。
本音で言えば勝負を続行したい気持ちのほうが強いが、しかしそうであるからこそジャラザも同じ思いなのだろうと理解もできる――だからクータは下がり、入れ替わるようにしてジャラザが前に出た。
「感謝するよ、先輩殿。……と、いうわけだ。ここからは儂が相手となるが、良いか」
「容認いたします。模擬格闘戦を継続しますか?」
「良かろう、全てクータと同条件だ。ただし……儂の手並みは一味違うぞ?」
ずい、とジャラザが進み出る。
滑るようなその足さばきは対面者の不意を突くに十二分の隠密性を持っている。
踏み出しもなければ歩調も読めないその歩法を使われたらば、目を離していないはずの相手が突然眼前に出現したようにも感じるだろう。
「――……」
「! ぬっ、」
そんな技巧を凝らしてぬるりと懐へ潜り込んだジャラザを待ち構えていたのは、折りたたまれた肘であった。
敵の接近を許したというのに表情ひとつ変えないクレイドールは、まるでジャラザの行動を読み切っていたかのようにそこに肘を置いていた。しかしこれは事前に知っていたのではなく、あくまで彼女の行動に対しタイムラグなしで計算された最適解がゆえの淀みなさ。接近に合わせて腕をたたみ、仕掛けようとしたところで肘を打ち据える。やったことと言えばただそれだけだが、それだけを思考の遅れなく実行してのけることにこそクレイドールの異常性が垣間見える。
見れば、分かる。そこから対応できる。
要するにそれは、彼女に対し不意だとか不測といった事態は起こりえないということであり、取りも直さず戦闘におけるこの上ない強みとして機能する――今し方ジャラザの技巧をあっさりと無効化してみせたのがその何よりの証左となる。
だが、しかし。
「!」
「ふん」
確実に命中するかに思えたエルボーを、ジャラザはこきりと首を動かすことで躱した。顔の横スレスレを通り抜けていく肘へ目を向けることもない。
これはクレイドールとは正反対。見てからの対応ではなく、ジャラザは知っていたのだ。己の歩行技術が初見で看破されることを、この相手ならそれくらいはやってのけるであろうということを、事前に予測していた。
だからこそ予定通りに来た反撃を、不可避に見えたその攻撃を避けることも、彼女にしてみれば容易いことであった。何せ知っていたのだから――自身がクレイドールへ近付くよりも前からその未来を前提にしていたのだからそれも当然だ。
考えれば、分かる。だから対応できる。
不測がないのは両者同じ。
そしてだからこそ、一歩先を読んでいた分、次の一手もまたジャラザが先んじた。
「ふっ!」
腕をしならせ、返した手首をクレイドールの喉へ叩き込んだ。情け容赦なしの急所への攻め。見ているナインのほうがぎくりとさせられる苛烈な一打だが、食らった当の本人は僅かに視線を下に向けただけで、それ以上の反応は見せずに拳を振るった。まるでダメージなどないかの如く……これにはナインもクータも驚くが、ただ一人予見していたかのように――攻撃を仕掛けた側であるジャラザにとってはこれすらも予想の範囲内だったのだろう――するり、と。
絡めとるようにしてクレイドールの腕へ自身の腕を這わせる。
「――」
その瞬間、ほんの微かにではあるがクレイドールが瞠目をした。どれだけの技術を駆使されようと自分という『作品』には通じない。そう確信を持っていた彼女にとってこれは異常事態であった。
――相手の力に逆らえない。
「どれ、これならばどうだ?」
敵の力をも利用し、腕を引くことでその体勢を無理矢理に崩す。クレイドールの下がった……下げられた頭部はジャラザが誘導した通りの位置にある。先の意趣返しと言わんばかりに彼女は肘を振り上げ、下ろす。同時に下からは膝を突き出す。
ごぅん!
ジャラザの繰り出した肘と膝でのプレスは痛烈な音を周囲に響かせた。その加減を放棄したような攻め方にも驚嘆させられるが、それ以上に――そんな攻撃を受けて鳴る音にもナインは違和感を持つ。
この固い響きは、どう考えても生身の身体ではない。
やはり彼女は全身機械のサイボーグ――否、オートマトンで。
パラワン博士という人物に作り出された人型のマシーンであるのか。
疑うというほどでなくとも積極的に信じようともしていなかったナインだが、にわかに話の信憑性が高まるのを感じた。そして傍から見ていてもそうなのだから、実際に戦っているジャラザには完全な理解が及んでいる。
(やはり思った通り、いや、思った以上に――こやつは固すぎる!)
全力に近い勢いで殴ったからこそわかった。何せ手応えはあれどそれは「大して効いていない」という絶望的な感触でしかなく、むしろ殴りつけたジャラザの手足のほうがイカレてしまいそうなほどに痛みを訴えている。
敵の逸脱具合に顔を顰めるジャラザの目に、更にとんでもないものが映った。
片腕を掴まれ頭部を挟み込まれ、半ば上半身を固定された状態であるクレイドールが――当然の打開策として選んだのが下半身を駆動させること。ただしその動かし方が常軌を逸していた。
ぎゅぃん、と風切り音を立てて……下半身が回転しだしたのだ。
「うぬおっ?」
あり得ない姿勢、あり得ない角度。本来不可能なはずの体を固定された体勢からの背足回し蹴り。さしものジャラザもこれは予測の外であったらしく、慌てて逃れるようにクレイドールをパッと放して距離を取った。咄嗟の行動だったのだろうが、少しでも判断が遅れていたら彼女は床に沈むことになっていただろう。
それだけクレイドールの攻撃が重いのは、クータへの蹴りだけでも見て取れた。固すぎる手足はたとえ受け止めたとしてもその箇所に無視できないだけのダメージを残す。故に、ジャラザは己の追撃も諦めてただ離れるしかなかったのだ。
がちん、とまたしても機械音を鳴らして直立の姿勢に戻ったクレイドール。どう見ても二回転ほどしていた腰も無事というか、なんともないようだった。
こうなればもはや、彼女がただのメイド服もどきを着込んだ少女ではなく、そう見えるだけの自動人形であることは疑いようもない。
「…………」
「儂もここまでにしておこうかの」
継戦の意思があるのかどうか判然とはしないが、とにかく不動で自身を見据えているクレイドールに、ジャラザは終戦を宣言した。
片手片足の関節部はじくじくと痛むが、それも無駄な傷ではないと彼女は納得している。
「お主は強い。経緯や目的はともかく、その出自に嘘偽りがないことも分かった。ならばもはや試す必要もない……あとのことは主様が判断すべきだろう」
そう言ってジャラザはくるりと踵を返し二人の位置へ戻っていく。彼女はまずクータへ視線を向けた。クータは「まだ自分がやりたい」といった風な顔をしていたが、クレイドールの実力自体は認めているのだろう。こくりと頷くだけで、口を挟むことはしなかった。
次いでジャラザはナインを見た。
「申し訳なかったの、主様。結果的には邪魔をしただけになってしもうた」
「いや、邪魔なんてことはない。お前たちのおかげであいつのこと、少しだけわかった気がする」
「ふむ……気を付けろよ」
「ああ、心配はいらない」
これ預かってくれ、とナインはローブを脱ぐ。
その下からはもたつきのないスリムなシルエットの衣服が現れた。
少女が着るには似つかわしくない、黒を基調とした色味かつ遊びのない非常に簡素なデザインだが、それ故に着用していて戦闘の邪魔をしないという明確な利点がある。これはスフォニウスに到着して以降に購入したもので、『闘錬演武大会出場選手用にオススメ!』という謳い文句で売られていた様々な品の中のひとつである。自分の背丈に合った物を探すのにナインがそこそこ苦労したことをここで付け加えておこう。
クータへ大切なローブを預かってもらったナインは、それだけクレイドールの強さを高く評価しているのであろう。彼女は大会の予選でもローブを脱がなかったのだ。それは自身が傷付けられる恐れを抱いていなかったということであり、つまりは不特定多数の予選選手たちよりもクレイドールただ一人のほうが警戒に値すると見なした、ということでもある。
ナインはクレイドールの本気を見極めたいと考えている。
それは強さもそうだし、そして彼女の本心についても。
自分の意思の有無について訊ねられて「ありません」などと断言した彼女のことが、ナインには妙に気にかかった。
だからこうしてクレイドールからの要求をあっさりと呑み、戦おうという気になったのだ。
「待たせたな、って言うべきなのか? なんにせよ次は俺の番だ。お前さんが疲れていないなら、すぐにでも始めようか」
「私が疲労することはありません。スラスター及び武装不使用であれば理論上は無限に戦い続けることが可能です」
「そりゃすごいな。じゃあこっからは――なんでも使っていいから全力全開で来い。お前が俺をテストするように、俺にもお前の力を見せてもらう。殺し合わない程度に思う存分戦り合おうぜ」
「――了承しました。模擬格闘戦は中止。これより殺傷行為以外の全てを解禁いたします」
そのとき確かに、クレイドールから放たれるプレッシャーが増したようにナインには感じられた。