109 その少女、自動人形
そこは小劇場だった。演劇をやるのもよしスクリーンを下ろして映画を上映するのもよし、という小型ながらに設備の整った施設だ。しかしそれも今は昔、ナインから見ればそこはひどく寂れた場所だった。スクリームテラーの主催する劇を一度だけ観た彼女は、その時の舞台と比較してこの建物が経年劣化の激しい廃墟であることを見て取った。
だが、最もナインの目を引くのはそんな劇場から読み取れるあれこれではなく、舞台上に立つその人影であった。
「……行くぞ」
背後のクータらに声をかけて、ナインは一歩一歩とその場所へと近づいていった。
袖から舞台に上がり、待ち人と視線を合わせる。彼女はその間、身じろぎのひとつもせずにただナインを見つめているだけだった。
「手紙はお前が?」
舞台中央にてまるで置物のように佇むその少女へ、ナインは問う。
すぐに返事があった。
「はい。私があなたに手紙を出しました」
平坦な声だ。柔らかさのある少女らしい声音ながら、どこか硬質さを感じさせる奇妙な喋り方。アレンジされたボブカットのショートヘアで、整った容姿ながらもそのせいで余計に不釣り合いな話し方である。そんな彼女が着ているのがメイド服によく似た衣装であることも合わさって、ナインは色々な意味で戸惑いを受けた。
「なんのために俺を呼び出したか、聞かせてもらえるか」
「……………」
しばしの無言。少女はナインを見ている。観察するような目。
ああ、やはりこいつだ。そうナインは確信を得る。この無機質ながらも確かな執着を感じさせる瞳は、ここ数日の視線とまったく印象を同じにする。視線の主は手紙の主であった。
では、その用件とはいったい?
「あなたのことを、見させてもらいました。試合前も、そして試合中も」
「そうらしいな。驚いたよ、いつの間にこんな熱心なファンがついたのかってな」
「ノン。支持者ではなく従事者。私はそのように作られました」
「作られた?」
訝し気な顔を見せるナインに、少女はカーテシーで応えた。
それは完璧な所作で、しかし優雅さ以上に堅苦しさを感じさせる機械的な動作であった。
「まずは自己紹介を。私はバイオオートマトンタイプMbs、固有名称を『クレイドール』――パラワン博士によって作成された戦闘機能付き使用人型自律生体機械人形です」
「…………」
「…………」
「…………」
朗々と名乗り上げた彼女、クレイドールへ三人分の押し黙ったような間が返った。
初見で聞き取るにはその肩書きはいささか難易度が高い。ジャラザはともかくクータなんかは目を点にして呆けている。脳が理解を拒んだのだろう。
本当ならナインもそうしたいところなのだが会話の当事者としてそれはできない。
仕方なくわかったふりをしながら「そうか」と頷く。
「えっと、つまり……お前さんはロボット、いや、サイボーグ?」
「分類上は自動人形ですが、サイボーグの定義を生体部位の有無に定めるのであればその認識でも正しいかと」
「あっそう……」
とうとうこんなのまで出てきたか、とナインは異世界の裾野の広さに仰天したい気持ちになった――剣も魔法もモンスターも異能もマシーンも! なんでもありとはまさにこのことか。自分がサブカルチャーに馴染みのある世代でまだしも良かった、とナインは現代日本への感謝を捧げた。そうでなければ今頃はお手上げ状態だったかもしれない。
「で、そのオートマトンさんが俺になんの用なんだろうか?」
こっちの自己紹介はいらないだろ、とナインが本題を急かすとクレイドールはこくりと頷き――それは同意を示すというよりはただ頭を上から下へ動かしただけのような仕草だったが――己が目的について語った。
「あなたが私の主人足りえるか。それを見定めたい」
「……なんだって?」
眉根を寄せたナインに構わず、クレイドールは言う。
「パラワン博士はお亡くなりになる直前、私にひとつだけ命令をくださいました。それは仕えるべき主人を見つけること。命令を果たすため、私は待った。十年という時間はかかりましたが、今ようやく、あなたというただ一人の候補が現れた」
「まったくもって理解が追いつかないが……どうして俺がその候補に挙がったのかは確かめたいな」
「測定魔動機。そう言えばご理解いただけるでしょうか」
「測定……まさかお前?」
たったひとつ、可能性に思い至る。それは先日の大会申請時に行った参加資格の有無を計る検査。ナインが驚きながら訊ねるとクレイドールは事も無げに肯定した。
「その通りです。使用された魔動機はすべて十年前からハッキング済みです。毎年参加者たちのデータを集めて、規定値を超える人材が来るのを待ち続けていました。あなたのデータは素晴らしいものでした。私でも数値化できない異常な測定結果。演算処理も必要なく、私は起動したのです」
「ふうん……ところでそこにお前の意思は?」
「ありません。私の意思も、あなたの意思すらも。私はただ博士の命令を遂行するだけです」
そう断言されては、ナインとしても何も言えない。ふう、と息を吐きながら首を振って、「それでどうするんだ」と彼女は手を広げた。
「俺たちについてくるのか? 別に拒みはしないが、俺としてはもっとじっくり考えて決めてもらいたいな。自分の行き先だろ?」
「はい。考えさせてもらいましょう。ノン。表現の誤りを訂正します。『試させて』もらいましょう」
「試すだと?」
「博士が入力した条件は三つ。基準の閾値を上回ること。数値だけでなく実際の強さを確かめること。そして最後に――私自身でテストを行うこと」
がちり、とナインを正面から見据えながら固く重たい音を奏でた彼女は――相も変わらず無機質な声音と目をしたまま告げた。
「私と戦ってもらいます。今、ここで」
「……んなことしたら、この劇場がどうなるか」
思わず常識的なことを言ってしまうナインに、生真面目な口調でクレイドールは「心配はいりません」と返答する。
「ここは廃業した劇場。取り壊しにも建て直しにも費用がかかりすぎるということで土地の権利者も長年放置している『空き箱』なのです。ここがどれだけ損壊しようと実質的な被害はゼロです」
「やけに詳しいじゃないか」
「私にはシークレットハック機能が備わっています。測定魔動機と同じく、ハッキングすることで街中の情報を集めることが可能。魔力回線を使用している魔道具や魔動機は私にとってガラスの箱同然なのです」
「そうかい、さっぱりわからんがそりゃよかった」
肩をすくめたナインが戦闘のルールを取り決める提案をしようとした時だった。後ろに立っていたクータとジャラザが彼女よりも前に出た。
言わずもがなそれは、クレイドールと主人の間に立ち塞がる構図だ。
「主様よ。本当に戦るつもりかの?」
背中越しに振り向きながら聞くジャラザへ、ナインは頷く。
「引いてくれそうもない感じだからな。お望み通り、ちょっとばかしやってやろうかと」
「だったらそのまえに」
そう言ってもう一歩前に出たのはクータだ。
彼女は闘気を隠すこともなくクレイドールを睨みつけている。
「クータがこいつを試してやる」
「え、いや、奴さんの指名は俺だぞ?」
「ふん。いきなり出てきたかと思えば主様を試そうなどと不遜な申し出をしてくるような奴だ。ならばまず儂らが試しても良かろう? 主様と戦うだけの資格があるかどうか……何せ儂らは本物の従者。似非メイドなどとは違って真実仕えている身なのだからな。のう、お主も文句はあるまいな?」
挑発的にジャラザがそう言えば。
「……了解しました」
クレイドールはあっさりと了承し、それから初めてその視線をナインから移した。
「どちらからでしょうか。お二方同時のほうが時間の短縮になりますのでお勧めしますが」
「はん! やってやれ、クータ。だがくれぐれも殺すような真似はするでないぞ」
「うん、火は使わないよ――おい、おまえ。ご主人様じゃなくて、クータが相手だ。燃やさずに、殴りとばす!」
「模擬格闘戦の提案、承りました。スラスター機能をオフ、モードを非武装へ、マニューバを対人プロトコルへと設定、各部入力を完了しました。いつでもどうぞ」
「はぁあ!」
クータは一直線に飛び出した。策を弄さない、彼女得意の問答無用の攻め。振り上げた足が強かにクレイドールの側頭部へヒットする。いくら火を纏っていなくても致命傷になりかねないその一撃――しかしクレイドールはそれだけの衝撃を受けても、一歩も動かない。元の涼しい顔のままクータをじっと見つめている。
「え……、うわ!」
そのリアクションに、否、リアクションの無さにクータが呆けた瞬間に、ごうん、と風圧を唸らせながらクレイドールの拳が迫ってきた。
顔面目掛けて放たれたそれをしゃがんで回避したクータを追撃する、足払い。
今度は咄嗟に飛び上がったその瞬間、クレイドールがあり得ない挙動で姿勢を蹴りつける直前の体勢へと素早く戻した。
カチカチと音を立てて動くその様は正しく機械人形。
人体構造の限界を超越したその動きに目を見開いたクータへ、前蹴り。地から足を離している彼女に躱す術はなく、せめてとばかりに両手で受けた。しっかりとガードは間に合っている、だが。
「ぎゃっ!」
クレイドールの足は途轍もなく重かった。
まるで鋼鉄のハンマーに殴られたような痛みを受けてクータは押され、元の位置まで転がる。
それでも急いで立ち上がる彼女だったが、1R目は自分の負けだと認めるしかなかった。
「こいつ……!」
「――強い、な」
「みてーだな……」
謎の少女クレイドールの想定以上の強さに瞠目する三人。
それを静かに眺めたクレイドールは、蹴りつけた足をすっと床に下ろしながら口を開いた。
「やはりお二人ご一緒にいかがでしょうか」
「この! 舐めるな――」
と両腕の痺れるような痛みを無視してクータが駆けだそうとしたところで、
「まあ、ちと待てクータ」
先ほどは焚きつけたはずのジャラザが、なぜか今度はクータを止めたのだった。




