97 五人の剣士対怪物少女
闘錬演武大会への参加申請所で突如として起こった『場外試合』――いわゆる参加希望者同士での喧嘩は、しかし周囲からすれば愉快な催し物でしかなかった。腕に覚えのある者たちが輪になってその様子を見守る。一同は揃って観戦モードで、止めようとする者は誰もいなかった。どころか、スタッフが近づこうとするのをさりげなく妨害までする始末だ。
なんとも始末の悪い連中であるが、喧嘩を続けさせようというその行動は一緒でも、動機に関しては各々異なっている。無論ただ面白がっているだけの脳みそがまともに機能していない輩が大半ではあるのだが、中にはクレバーに、あるいは残酷に、少女を贄としてそれなりに名の通っているバーハルの力量を実際に目にしようと目論む者や、バーハルが『やりすぎる』ことによって出場停止になることを願っている者もいる――これだけだとまるで少女たちにとっては敵だらけの空間と言っても過言ではない状況かのようだが、それは違う。
見守る姿勢を取るうちの極少数は――止める必要がないことを見抜いているからこそ衆目の輪に加わったまま動こうとしていない。
中でも、刀身の細い剣を携帯する一人の少女は感心したような目を今しがた五人に増えたバーハルではなく相対する少女――ナインにだけ向けている。その様子はまるで、まだ実力の一端すら見せていない彼女の持つ奇想天外の力を正しく見抜いているかのような視線であった。
彼女は当初こそバーハルの横暴を(殴ってでも)注意してやるつもりだったのだが、ナインを見たことで気が変わったのだ。これなら止めなくていい、むしろ止めないほうがいい。掘り出し物をみつけた気分の少女は、知らずのうちに笑みを浮かべていた。
「面白いわ。やっぱり来られてよかった」
ぽつりと呟き、少女は腕を組んでこれから起こるであろう出来事に期待を寄せつつ見の選択をする。そして――
◇◇◇
ゆらり、と剣が揺れる。全く同じ五つの剣、その切っ先すべてがナインへと向けられた。
「これは分身、なのか? それも四体も……」
一人から五人に増加したバーハルを見ながらナインが驚けば、彼は右手の痛みを忘れたように口角を吊り上げた。
「怖じ気づこうともう遅い。俺の親切を無下にしたあげく歯向かいまでした愚かさを償うには――剣の一太刀程度じゃまるで足りん! ディビジョンアバターは手に持つ剣すらも完璧に複製する魔法! お前は今から躱しようのない五連撃をその身に浴びるんだ!」
剣技と魔法の合わせ技に『ディビジョンスラッシュ』というものがある。スラッシュ系の魔法は剣士にとって基本の技だ。ディビジョンスラッシュはそういった魔法群のひとつで、一度刀剣を振るっただけで無数の斬撃へ分裂させる難度三相当の物理攻撃魔法である。とはいえ増えた斬撃の大本になるのは本人の剣撃そのものなので、高い技量を持つほどにその威力も上がる――逆に言えば、魔法だけを覚えても剣の腕が追いついていなければ大した効力を発揮しないということでもある。
故に剣技と魔法の合わせ技。剣に卓越した者が見舞うディビジョンスラッシュは脅威の一言だ。そしてそんな魔法の派生系、というより発展系にあるのが『ディビジョンアバター』である。
これはスラッシュと違って斬撃だけでなく剣士そのものを武器ごと分裂させるという途方もない魔法だ。難度も六相当に跳ね上がり、その分効果は劇的である――何せ自分が増えるのだ。意思疎通も完璧な武装集団がたった一人で形成でき、戦力向上という意味では剣士にとってこれほど有益なものもない。
特にバーハルは四体もの分身を生み出せるだけの力を持ち、これは彼の才覚が並外れていることを示していると言っていいだろう。ディビジョンアバターは覚えるだけでも長い歳月を必要とする高等魔法なのだ。それを若くして完璧に使いこなしているバーハルは紛れもなく剣士として一級の才能を持っている。もし彼の性根が善性であったなら、そして良き仲間に巡り合えていたなら――きっと今頃、良い意味で高名な人物となり、大成していたことだろう。
しかし現実の彼はたった一人で、悪名を自慢げに語るただの厄介者でしかない。幼い少女に対して磨き上げた剣技を振るおうとするその姿はもはや畜生と断じられて然るべきものである。
バーハルは観衆の多くから哀れみや侮蔑、そして嫌悪を向けられていることになど思いもよらずに――というか今の彼は少女たちへの怒りに捕らわれ周囲をまるで気にしてもいない――揚々とナインへ切り込んでいく。
フードで顔を隠すようにしている三人の中でも一番背の低いその少女は、バーハルの接近にまるで反応を見せない。刹那のうちに彼は嗤う。自分の本気の踏み込みにこの生意気なガキはまったく追いつけていないのだと――。
否。
そんなはずはない。
よもやナインという説明不要の怪物が、いくら一級の剣士と言えどたかが一介の若輩如き、その剣撃に反応できないなどということがあり得るはずもないのだ。
確かにバーハルの剣速は速く、打ち込みも鋭く、そしてそれが五体分波状に迫ってくる。ナインからしてもこれには感心させられた――そう、感心したのだ。
彼女には経験がある。たかだか数カ月とは言え異世界に来てからは戦闘尽くしの日々である。リブレライトに常駐していた時期は治安維持局の仕事を手伝って何度も悪党を相手に大立ち回りを演じてきたもので、つまりはそういった連中と比較して目の前の男の見事な技に称賛するような思いを抱いたのだ。
――すごいな、あの悪党どもの中にこんなことができる奴はいなかった……。
そんな風に思いを馳せた。それはバーハルという男への感心というよりも『闘錬演武大会』へのものと言ったほうが正しいだろう。
やはり国中から選りすぐりの戦士が集まる大会、一筋縄ではいかないようだぞ、と。
バーハルが曲がりなりにも優勝候補の一角に食い込めるだけの実力と、良くも悪くも知れ渡った捻じ曲がった性根を有していることなど知りもしない少女は、そうやって気を引き締めた。
この程度の男ですらもそこそこ動けるのだから――という、それは悪気一切なしの三下判定。
もしこの内心がバーハルに知れればそれだけで憤死のおそれもあるほどだが、幸いにして彼に読心術の才能まではなく。
勝利を確信しながら少女の肉体へ剣を振り下ろしたその瞬間、あるはずの手応えが返ってこなかったことに目を見開く。
少女は動いていない、ようにしかバーハルには見えなかった。なのに剣が当たらなかった。彼女の横を通り過ぎている――まるで剣そのものが意思を持って少女を避けたかのように。
「なん……?」
不可解さに声を漏らすが、その先は言えなかった。
小さな拳による殴打が彼を襲う。その途端に、先行したバーハルの一体は煙のように消え去った。
殴りつけた姿勢のままでナインは納得したように独り言ちる。
「なるほど、ダメージを受けたら消えると。限界でもあるのかそれとも威力は関係なしに一撃貰えば消えるのか……まあどっちでもいいわな。全部ぶん殴ればそれで済むんだから」
「こ、このっ!」
何が起きたのか理解が追いつかぬままに最も近くにいるバーハルBが大上段の振り下ろしを敢行する。確実に当たる、そう思った彼の予測はまたしても裏切られる。
「んなっ!?」
「どうだい、達人みたいだろ? ほいっと」
振り下ろした剣は虚空を切り裂き、いつの間にか少女が柄の上に乗っていることに大口を開けたバーハルB。その顎を手早くナインは打ち抜いた。
がくん、と崩れ落ちながら消える分身体。そこから飛び上がったナインは、残りのバーハルへ恐れもなく突っ込んでいく。空中で身をよじり、拳撃と蹴撃を同時に繰り出す。バーハルCとバーハルDはそれぞれ首から上がなくなるような衝撃を受けてたちまち姿を消した。
くるりと体勢を入れ替えて着地したナインは、残った一人を正面から見据えた。
「お前さんが本体だな? 後方に控えているし、何よりその腕。他のはみんな両腕で剣を握ってるのにお前だけが右腕を庇っているからな」
「ぐ……」
瞬く間に自慢の分身たちが蹴散らされたことでバーハルは冷や汗を流す。
彼にとっては悪夢もいいところだ。
何せいつも通り、独りよがりの正義感に酔いたいが為に声をかけた弱者――少女たちの一人が、ここまで埒外の強さを持っているなどとは夢にも思わなかった。それなら声をかけたりしなかった……しかし先に立たないのが後悔。ここで臆するようなことはバーハルのプライドが許してはくれなかった。
完全に気圧されながもなけなしの気力で剣を構えるバーハルに、ナインは言う。
「分身から先に片付けたのは俺とお前さんの腕の違いってやつをはっきりと教えてやるためだったんだが……その様子じゃ、どうやらあんたのほうこそ痛い目に遭わないと学べないみたいだな」
それなら覚悟しろよ、と少女は告げる。そのゾッとするような声音に堪りかねてバーハルは動いた。
首元を狙った横薙ぎ、顔面への刺突、引き戻しての袈裟懸け――片腕で披露できる最高のコンビネーションを出すも、その尽くがあっさりと躱される。
そうしている間に、懐に潜り込まれてしまった。
「くうっ!」
少女が拳を握ったのを見て、バーハルは咄嗟に剣でガードを固めた。あの尋常ではない打撃を真面に受けてはならない。どうにか頑丈な剣の側面で防ぎ、そして返す刀で急所を斬る。
戦士らしく戦闘プランを瞬きよりも早く脳裏に描くバーハル。そんな彼に拳が迫る。
ナインは拳撃を阻む刀剣を見て、しかし気にもせずにそのまま打ち出した。
それもそうだろう、何故なら――
ばっぎん! と。
彼女の拳を業物とはいえそこらの剣で受け止められるはずもなく、刀身ごと粉砕するようにバーハルの腹へと突き刺さった。
「ぐぼぁえっ!」
汚らしい声を上げてバーハルは仰天の顔つきのまま沈み込んだ。
それを確かめてナインは「今度は消えないようだ」などと当たり前のことを思った。そこに敵を倒したというような感慨は少しもない。彼女にしてみればちょっとしたお仕置きをしたようなものだからだ。
「さっき言った通り、きちんと加減はしてやった。これに懲りたら妙な親切の押し売りはやめろよな」
聞こえているかは微妙だが一応の忠告をする。それからナインは周囲からワッと広がった拍手に驚かされる。周囲を見渡せば、野次馬連中から笑顔の絶賛が沸き起こっているではないか。
「な、なんだ?」
「他の申請者たちが主様の手並みを見て興奮しているようだの」
「ご主人様かっこよかったー!」
そ、そうか? と照れながらもナインは少し困った。できればバーハルの処理を良識ある人物に任せたいところなのだが、この分だとそういった人を見つけるのは難しそうだ……と。
頭を搔いたナインに、歓声を縫うようにして聞こえる少女の声。
「いやー、お見事! 私感動しちゃったわ!」
バーハルくんに次の出番はないでしょう、たぶん。