96 絡まれたら肉体言語
「えっと……俺たちのことでしょうか?」
ナインら三人を呼び止めたのはロン毛の若い男だった。少々ゴツいが顔立ち自体は甘い、まあまあのイケメンだ。腰に携えた剣と体付き、そしてこの場所にいることからしても彼が戦う者であることは一目瞭然である――ただし、そんな彼から声をかけられた理由がわからず、ナインは少しばかり警戒をする。
訊ねられた男は「ははは!」と妙に声を張り上げて笑い、言う。
「もちろん君たちのことだとも。ほら、辺りを見てごらん? こんなところに他に子供がいるかい?」
「ああ、そうですね」
ぞんざいにナインは頷く。
まあ確かに、若者は多くてもナインたちほどの年齢での参加者は一瞥するだけでは見つけられない。しかし言うまでもないことだが、様々な超常が当たり前のように存在するこの世界では強さと年齢の高低というのはさほど密接な等号で結ばれておらず、またリュウシィのように見かけ上だけの子供だって決して珍しい存在ではない。
故に年端も行かないような子供の出場選手だって探せばそれなりにいるだろうと予測はできる――が、それでもクータやジャラザ程度の歳ならばともかく、さすがに十歳未満にしか見えないナインに並ぶほど幼い参加者はそうそう見つけられないだろうとも想像がついた。
納得した様子のナインを見て、男は両手を広げた。
「わかってもらえたね? この場に君たちのような小さな子が紛れ込むのは、よくないことだ。さ、帰りなさい」
「は?」
ナインは目を丸くする。男の言っている意味がまるで理解できなかったからだ。
「あの、いったいなんの話をされてるんですか? 帰れ、とは? どうしてあなたからそんな風に言われなくてはならないんです?」
「俺は君たちの安全のために言っているんだぞ。いくら高位の治癒術師が控えているからと言っても、試合というのは何が起こるかわからない、すごく危険なものなんだ。君たちにはきっと、そういう危険なことをするんだっていう自覚が足りていないんだろう。そうじゃなきゃこんな無謀な真似はするまい――だから、目を覚ますことだ。出場ではなく、観戦に済ませておくべきだよ。なんなら代金は俺が出したっていい。俺ならチケットの融通も利くからね」
にっかりと明るく笑って男はさあ、と申請所を出るように手振りで催促してくる。それに対しナインはといえば、依然戸惑ったままだ。
相変わらず男の言葉が理解できない――否、言っている意味は分かる。
どうやら自分たちが大会へ出ることが許せない様子で、自腹を切ってまで予定を「出場」ではなく「観戦」へ変更するようにと説いているのだ。
だがその行為の意図までは、まったくと言っていいほど見えてこない。
自分らの参加するしないがこの男にどんな影響があるというのか?
まさか何かしらの裏があるのでは、とつぶさに男を観察してみるも、驚くべきことに彼からはまったく含みや邪な気配というものを感じない。とにかく露骨というか、いやになるほど大っぴらなのだ。何かを隠そうとする雰囲気が皆無なことからおそらくは本心で……少なくとも本人にとっては純粋な親切心を披露しているつもりでナインたちの出場を止めようとしているのだと悟る。
訳が分からず二の句が継げられないナインに、背後からジャラザがこそりと耳打ちをする。
「主様よ、そう悩むまでもない。こやつは典型的な独善主義者だ。自分は「良いこと」をしている、「人間的に優れている」と実感を得たいがために無関係なあれやこれへ口を挟み首を突っ込み、頼んでもいないのに余計な手を出す鬱陶しい奴。それこそがこの男の正体よ」
「なんだか身につまされるな、その評価は……」
「一歩間違えば主様もそうなるだろう。努々己を律することを忘れるでないぞ。あと客観視もな」
「おおい、なにをこそこそと話をしているのかな? ここにいると邪魔になるから、早く出ようじゃないか。そうしたら俺がチケットを三人分買ってあげるから」
すぐに従おうとしない少女らに業を煮やしたらしい男は、そう言いながらナインの肩へ触れようとして――それが彼女本人ではなく、クータの逆鱗に触れてしまった。
バチン! と強かな音が響く。
伸ばした男の手をクータが横合いから叩き上げたのだ。
「ご主人様に、気安く触れるな」
「なっ……!」
男の顔が瞬間的に真っ赤に染まりかけたが、耐えるようにぐっと抑える仕草を見せてから、どうにかもう一度笑みを作った。先ほどまでのとは違って若干引きつった歪な笑顔にはなっているが、ここで怒鳴るようでは大人げないという自制心が働いているのは見て取れる。
頭に上った血を静めるように男は気持ちの悪い猫なで声を出した。
「げ、元気な子だな。それに仲がいいんだね? うん、友達同士仲がいいのは素晴らしいことだ。だからこそ君も、そんな大切な友達が傷付くのは嫌だろう? 大会へ参加するということは、そういうことなんだよ? ほら、じゃあもうどうすればいいかは分かるんじゃないか――」
「ご主人様は傷付かない。それに優勝するのもご主人様。おまえが言ってることはぜんぶ的外れ。どっか行けとーへんぼく」
「…………こいつ」
ナインは「あ」と思った。
これには男の堪忍袋も限界が来たようだぞ、と。
元から大した忍耐があるようにも思えない彼だが――優しげな人物を装っているがその実内面はそこらの悪漢と変わりないようにナインの目には映っている――さすがに自分の半分も生きていないような小娘からこんなセリフを吐かれたら激高もやむなしだろう。
しかしそれでも男は口元に笑みを作ったまま、最後通牒を行なった。
「いいことを教えてやる。俺の名はバーハルだ」
名乗ること。それこそが彼、バーハルにとっての最大の通告。
彼はジャラザの読み通りの独善的な男で、自分の感性と価値観こそを絶対の基準として一方的な善意を押し付ける傍迷惑な趣味を持っている。
南に死にそうな人あれば行って苦しまぬようにとトドメを刺そうとし、北に喧嘩あれば双方ともに瀕死の重傷を負わせることで仲裁するというとんでもない男である。
当然、彼の悪名はスフォニウス近隣に轟いている。何度も治安維持局の世話にもなっている。しかし彼は自分が正しいと信じて疑っておらず、悪名も名声のひとつとして捉えているためにむしろ鼻高々にここぞという時に名乗るようにまでなっている――要は年々症状が悪化しているのだ。
今回もだから、名乗ったのはそういうことなのだろう。自身の名を聞いて震え上がる少女らを見ようという、彼の邪念が惜しみなく発露された結果である。
誰に逆らってしまったかを思い知った瞬間の青褪める顔を待ちわびたバーハルはしかし、
「え? だれ?」
という無垢な問いかけに思惑を潰されてしまった。
「なにっ、俺を知らないのか!?」
「ご主人様、しってるー?」
「いんや。ジャラザは?」
「知るわけなかろうが」
愕然とするバーハルの前で少女たちは呑気なやり取りを交わす。それが余計にバーハルの神経を尖らせた。
「い、いいだろう……聞き分けのない子には仕置きが必要だ。少しくらい痛い目に遭わないと馬鹿な子供は学ぼうとしないからな」
おっと本性が滲みだしてきやがった――と目を細めるナインの前に、クータとジャラザが肩を並べた。
「乱暴に出るならこちらも容赦はせんぞ、バーハルとやらよ」
「全身を燃やし尽くしてやる!」
「待て待て待て! 燃やしちゃまずい、容赦しないのもまずい!」
慌ててナインは二人を諫める。こんな場所で揉め事というのも勘弁したいところだったが、いくら向こうから絡んで来たとはいえあっさりと火葬しようとするのはいくらなんでもやりすぎだ。
過剰防衛どうのというより、二人の倫理観的によろしくない。
「やるなら俺がやるって。これでもこの中じゃ一番手加減がうまい自信があるんでな」
「むう、それはそうかもしれんが……分かった、処理を頼むとしよう」
「えー、わざわざご主人様がこんなやつをー?」
「こ、この……!」
バーハルの身体がわなわなと震える。当然だ、少女たちからあからさまに見下され、誰が片づけるかを相談で決められているのだ。まるでそこらのゴミも同然の扱い。元よりプライドが高く蔑まれることを何より嫌うバーハルにとっては耐え難いどころの話ではなく、一気に血液が沸騰しそうなほどの怒りに見舞われた。
「んっ?」
ナインの耳にブチッ、と穏やかではない音がどこからか聞こえた。しかし発生源はすぐに判明する。それはバーハルのこめかみの血管が脈動した音だった。
リアルに堪忍袋の緒が切れた音を耳にしてしまったかと慄いたナインだったがそれはどうやら勘違いであったようだ――いや、血管が破裂音を立てることもものすごい事例ではあるのだが……。
「こ、このバーハルをどこまで舐めるかっ、このクソガキどもがぁ!」
男が突っかかってくる。踏み込みと手の引きからして殴りつけようとしているのは明らかだ。腰の剣を抜かなかったのはまだしも殺意を抱いていないことの表れかそれとも、単に抜剣の手間すらも煩わしく痛みを与えることを優先した結果だろうか? いずれにせよ男の殴打は本気であり、体格や体重の差などまるで考慮に入れず、少女に対し深刻な傷を残すことが確実な一撃である。
――ということを瞬時に読み取ったナインはバーハルへ遠慮をしないことを決意した。やり取りでも十分に分かっていたことだがやはりこいつは碌でもない男である。だったら配慮の必要は……まあ、最小限度でいいだろう、と。
「なん、だと……!」
バーハルは呻く。自分の渾身の拳が、少女の細腕で受け止められてしまったからだ。それだけではない。小さな手で拳を掴まれ、そこから抜け出せない。いくら力を込めてもびくともしないのだ。
何が起きているのか、と混乱する彼の右腕が激痛に苛まれた。
「ぐあああっ!」
「右手一本。襲ってきたことはそれで許すから、どっか行ってくれないか」
放されたバーハルの右手の指は数本が折れ、捻り上げられたことで手首の腱がイカれてしまった。大金をはたけば治癒術ですぐにでも治るが、そうでなければ大会の出場にも支障をきたすレベルの怪我だ。
この時点で両者の力の差、とまで言わずとも腕力差は歴然――そこらのゴロツキであればここで怖じ気づくだろうがしかし、バーハルにそんな常人並の感性はなく。
「見下してんじゃないぞ、ガキめが……! 片腕でも剣は振れる、そしてぇ!」
器用に左手で抜剣したバーハルが剣を構えると同時に――ブレた。
「! こいつは……」
ブレが残像のように広がったかと思えば、ナインの目の前でバーハルが五人に増える。
「『ディビジョンアバター』……剣士御用達の斬撃魔法『ディビジョンスラッシュ』の派生系! 少し腕力が強い如きで粋がったことを後悔しながら血に濡れることだ!」
王道を征く……展開ですかね(絡まれる)




