94 来たれ闘技の都スフォニウス
次の舞台へ到着
「よーし。ようやっと着いたなあ、闘技都市スフォニウス……なかなかどうしてよさそうな街じゃないか? いや、遠くから見ただけじゃ何もわからんけどさ」
「ご主人様、おつかれー!」
視界に見えたスフォニウスの遠景をしっかりと確かめしみじみと言うナインに対し、クータはまるで疲労を感じさせない明るい声で労う。少なからず日程や道中のあれやこれを気にするナインとまったくそういったことに意識を向けないクータとでは、同じ道を行く同士でもやはり違ってくるのだろう。
一行の中でも体力的に優れているはずのナインが最も疲れているというのも奇妙な話である――とはいえ、これでも当初の予定よりは早く到着したほうだ。
「食料が尽きた途端に空路で移動時間を短縮させるとは……主様も随分と分かりやすいの」
「いやあ、さすがに道すがらにゲットできる食材だけで賄うのはきついって」
ナインだけならその気になれば食べなければいいだけの話だが、御供であるクータとジャラザには食事が必須だ。そしてどうせ食べさせるなら栄養があってバランスもいいものを、となるのが主人として当然の欲というもの。狩猟や採取だけでは空腹を満たすだけならともかく健康にまで気遣ってはいられない。それを良しとしなかったナインは食材鞄が空っぽになった際、苦手意識のある飛行能力を使ってでも目的地であるスフォニウスへ急ぐことを判断した。
「儂らに対して少々過保護ではないか、主様よ」
「クータは、うれしいよ。ジャラザもそうでしょ?」
「否定はせんよ。しかし甘やかされるばかりではいかん。それは主も従者も同じこと。儂らは互いに律し合う必要があろう」
「まあまあ、今は少しでも早くスフォニウスで宿を取ろうぜ。俺はやっぱ、どうにも野宿は好きになれん。神経過敏になっちまってベッドが恋しくなる」
「そうしようそうしよう! クータはまたレストランにいきたい!」
配下である己の忠言に耳を傾けようとしないナインとそれに全乗っかりするクータ。
はあ、といつもの如くため息をついたジャラザは都市の入り口として置かれている門を指差した。
「入るならあそこからのようだな。しばし待たされそうだがな……」
「え? ……げ」
門の近場に降り立てば、その入り口からズラッと伸びている大行列が目に入った。
当然街に入るためにはナインたちもその最後尾に並ぶ必要があるのだが、あれだけの人数となると待ち時間は相当なものになりそうだ。
「うわあ、並ぶなあ……これじゃまるでディ〇ニーランドじゃんか……」
「なあにそれ?」
「いや、なんでもない。しゃあない、俺たちも列につくとしようか」
無事に入れるなら待つのはやぶさかではないのだが、問題は――自分たちは誰一人として身分を確かめる物を持っていないということにある。
果たして検査を通れるのかどうか、とそればかりが気がかりで仕方なかったナインは行列の遅々とした進みも余り遅いとは感じず、その点ではストレスフリーに並ぶことができたのだった。
スフォニウスの検閲所では、ナインが思うほどの苦労をすることはなかった。
彼女はリブレライトでは上空から忍び込むことで検問をスルーしている。そしてその次に訪れた大都市エルトナーゼにはそもそもそういったものがなかったので、検査未経験。そのせいで過剰に警戒を抱きすぎていたのかもしれない。
みっちりと調べ上げられると覚悟しながら並び――大会時期ということで都市を訪れる者が集中しているらしい――いよいよ自分の番になって緊張しながら入室するも、審査官は意外とフレンドリー。まずは移動の疲れを労ってくれたうえに質問は異様に思えるほど優しい口調で行われた。
まあ向こうからすれば少女相手に厳しい態度を取るのも難儀をするというもので、子供に向けたことさら丁寧な喋り方になるのは自然というものだが――この場合はクータとジャラザ、そして怪しまれないようにとフードを取ったナインの美貌がまったく関係していないと言えば嘘になってしまうだろう。
ちなみに審査官は若い男女の二人組であったが、どちらもナインを見ると赤面し落ち着かない様子であった……つくづく罪作りな少女である。
「スフォニウスには何をしに来たのかな?」
という質問に、ナインは「どうせなら思い切ったほうがいいだろう」という発想のもとにありのままを伝えることに決めた。
「『闘錬演武大会』に出ようと思って」
「「ええ!」」
男女が声を揃えて驚きを露わにする。
何せこんな小さな女の子たちだけで格闘大会に出るというのだ、驚かないはずがない。
しかしそれも、彼女たちが見せた技によって別種の驚きへ変わった。
ナインがふわりと浮き、クータが手から炎を出し、ジャラザが水球を宙に整列させる。
まるで小学生による隠し芸大会のような様相だが、これはれっきとした検問所、そこでの検査の一場面である。やっていることは実際凄い。
「すごいな、その歳でこれだけの魔法を……!?」
「ひょっとして、『学園』の生徒さんたちなのかしら?」
学園? と疑問符を浮かべたナインに対し、審査官の二人は戸惑ったようだ。
「まさか知らないのかい? 魔法の学園と言えば首都にある『マギクラフトアカデミア』のことに決まっているじゃないか!」
「大魔法使いと呼ばれるマリフォス様が設立した国一番の魔法学校よ? あなたたちぐらいでそれだけの魔法の技能があるからには、そこの生徒だと思ったのに……違うのね?」
ナインはなんとなーくではあるが彼らの言っている意図が掴めた――要はまたしてもファンタジー世界お約束のブツが出てきた、ということだ。
魔法学校。大魔法使い。マギクラフトアカデミア。
なるほど、と頷く。
やっぱりそういうのもあるのね、と。
同時にそこの生徒だと偽れば(見かけは)幼い自分たちにもかなりメリットがありそうだとも思い、そしてそれ以上のデメリットもあると予想することができた。
まあ、既に学園と聞いてすぐにわからないという致命的な無知具合を晒してしまっているので、彼らに対しいまさら身分詐称を行うのはリスキーどころの話ではない。ここは素直に否定をしておくべきだろう。
ナインは変に欲をかかないことを選んだ――これもまた彼女なりの処世術である。
「確かにマギクラフトってところの生徒じゃあないですけど、俺たちは三人とも戦う術を独学で身に着けたんです。今回はその腕試しということでスフォニウスまで来ました。もちろん、無茶をするつもりなんてないですよ。あくまでこれは修行の一環なんで!」
「そうかあ、君たちは苦労をしているんだな……」
「大会に出るだけでも無茶だと思うけれど……」
子供だけ、それも女子だけでそんな根無し草の拳法家のような生活を送っているらしい彼女たちに、審査官らは同情的な様子を見せた。
本当なら言葉を尽くして止めたいところだが自分たちはその立場にない、ということを踏まえて二人は最低限の諸注意をすることに決めたようだった。
「大会の参加申請はもう始まっているけれど、もし出られることになっても絶対に無理だけはしないようにするんだぞ。棄権はいつだってできるから少しでも危ないと思ったら迷わずギブアップすることだ。やっぱり身体が一番大切だからな。しかも君たちは女の子なんだから」
「この時期は来訪者が一気に増えて血の気の多い人が街中の通りに溢れるから、気を付けるべきは開催中や試合中だけじゃないわよ。肌に合わないと思ったらすぐ出ることをお勧めするわ。その時はまた次の季節にでも寄ってみて、今度は音楽で、街があなたたちを歓迎するわ」
ありがとうございますと素直に忠告を聞き入れて、そのついでとばかりに評判の良い宿屋や飯屋の情報なんかも仕入れて、ナイン一行は検査をパスした。
終わってみればひやりとする場面もなく、つつがなく街に入ることができた。
ふう、と達成感を滲ませて通りを行くナイン。都市が変われば街並みも変わってくるというもので、スフォニウスは一見しただけでも景観に気遣った都市であることが分かる。石造りで色味を抑えつつも様式の美が光る洒落た建築物が多く、同じ大都市であっても機能性重視のリブレライトやルール無用のエルトナーゼなどとはまた違った様子が広がっている。
観光気分できょろきょとあたりを見回しながら歩くナインと同じように、クータとジャラザも視線を彷徨わせている――が、何気なくその見ている先を確かめたナインは彼女たちと自分との相違点に気が付いた。
自分はあくまで街を見ているが、二人はそうではない。
彼女らは道行く人々をじっくりと眺めているのだ。
「なんだ、クータもジャラザもどうした? エルトナーゼと比べたらおかしな人なんてどこにもいないだろうに」
「あの街と比べることがまず間違いだ……。儂らが注目しておるのは見た目ではなく、気配よ」
「うん。みんなすごく熱いから気になる」
「熱い? ああ、そうか。なんてったって武闘大会に出る人やそれを観るために訪れてる人ばかりなんだもんな。そりゃあ熱くもなるだろうな」
納得しながら頷くナインに、ジャラザが「くく」と低く笑う。
「選手らしき者の中には、今から殺気を抑えきれておらん輩もおるようだの」
「へえ、もうそんなにやる気出してる人もいるのか……検問所のお姉さんが言ってた通り、この時期はちょっと物騒なのかもしれないな」
「なあに、試合中でもないのに斯様な気配を垂れ流すようでは武芸者として下の下。気にするまでもなかろうよ」
「か、かっこいいなお前……」
自分じゃこんなセリフは一生言えそうにない、とナインはちょっと羨ましく思った。
「そんなことよりご主人様、ご飯はー?」
「……うん、クータはそのままでいてくれ。俺の精神安定的にそのほうがいい」
「んー? うん! ご主人様がそういうならそうするよ!」
主人の言葉の意味が分からず首を傾げつつも了承するクータ。
それを見て顔を綻ばせながら頭を撫でてやるナイン。
「馬鹿な子ほどかわいいというのはどうやら本当のようだな……」
そんな二人を眺めながらぼそりと、嫌味混じりにジャラザがすねる。
人間態になってからというものナインからの身体的接触が露骨に減ったことを彼女は感じ取っていた――それは言うまでもなく少女というには些か発達し過ぎているスタイルの良さにナインが気後れしているせいであり、ジャラザ自身もそのことには気が付いているが……理解と納得は別物だ。
ちょっとした不満。素直にボディタッチを楽しめるクータへ、ジャラザは若干の嫉妬を抱いている。しかし当のクータも知識面で何かと主人から頼られるジャラザへ少なくない嫉妬を向けていることにまでは、勘の鋭い彼女も気付けてはいなかった。
適材適所、という言葉を彼女たちが本当の意味で知るのはまだ先のことになりそうであった。