10 リザードマンはご立腹
「ふーっ、なんとかなったか……」
「クー?」
火を消し止めるという重大ミッションの成功に安堵し、開放感からへたり込んでいるナインを、クータは不思議そうに純粋な眼で見つめてくる。「急にはしゃぎまわってこの人どうしたんだろう?」とでも言いたげな瞳であった。
「……いや、怒るまい。これは手綱を握り違えた俺のミスだ。うん、そうなんだ。だから冷静になれよ、なれったらなれよ俺」
とはいえ、たった一言褒めるのが遅れただけでこんな事件を引き起こされると、ナインとしてはたまったものではない。叱りつけるようなことはしたくないが、注意くらいはしておかねばならないだろう。
またぞろ炎を吐き出そうとしているらしいクータを慌てて抱きかかえ――さっき急に大きくなったせいで両腕で組み付くような見栄えになってしまっている――ストップをかける。
いったん落ち着かせ、クータを真っ直ぐ見据えながらナインは凪の心で説いた。
「いいか、クータ。お前の炎はスゴいよ。たまげたよ。俺のために火を吹いてくれたんだろう? ありがとな――でも、だ。考えなしにこんなことしたから、見てみなさい。森が一部禿げ上がっちまっているでしょうが。焼き畑じゃないんだから、植物があるとこで火は出しちゃ駄目だぞ。……イヤ、植物がなくても駄目だな。今後は俺の許可なく火は出すな。俺がGOと言ったときだけ出すこと。いいな?」
「クー? ……クー!」
言葉が通じているのかいないのか、首を傾げていたクータも元気よく返事をする。それを了承の合図だと受け取って、ナインは「よし」と満足げに頷いた。叱ったままなのもどうかと思い、クータの頭を撫でまわす。ふっかふかの触り心地に、ナインの表情は緩みに緩む。撫でられたクータもその優しい手心地に気持ちよさそうにする。仲睦まじい飼い主とペットによる微笑ましい光景が広がっていた――辺りは焦げて真っ黒になった巨木が一面に倒れ伏しているという地獄の一場面の様相を呈しているが、そんなことは関係ない。済んだことは仕方ないのだ。
荒れた森の中で無邪気に戯れる一人と一匹。しかし、そんな触れ合いタイムを邪魔する者が現れた。
「――お前たち、何者だ!」
「え?」
急に声がかけられ、何事かとナインは顔を上げる。そして自分たちが取り囲まれていることに気が付いた。
数は八人ほど。全員が手製の剣や槍といった武器を持ち、油断なくこちらを見据えている。今すぐ襲い掛かろうとはしていないが、返答次第では即殺……といった雰囲気が全身から滲み出している。
ナインは瞬きを繰り返した。クータを撫でることに熱中しすぎていた彼女からすると、周囲を囲む彼らは突然その場に降ってわいたように感じたのだ。それだけではない。彼らがナインにとっても見慣れた者たちであったなら――つまりは人間であれば、こうもぽかんとすることもなかったはずだが。
各々が武器を構え威嚇してくる彼らの顔は、まるで蜥蜴のそれ。二足で立ち、両手で物を掴むその様は人間と見紛うばかりだが、彼らはまともな服を着ておらず、露出する肩や腕には光沢する鱗が生えている。
「リ……リザードマン!?」
浮かんだ種族名をそのまま口にしたナインに、最初に呼びかけをした目下リーダー格と思われる一人が、重々しく頷いた。
「……我らを知っているか。ならばこの狼藉、我らへの挑戦か?」
「は……?」
オーガに続く有名種族の登場に猛る暇もなく、ナインは困惑する。言っている意味がまったく分からない。戸惑うナインを置いてけぼりに、リザードマンたちは戦意を募らせていく。
「そうに違いない! ただでさえ森を踏み荒らす人間が増えている!」
「人間は強欲な種族と聞く。大方森も自分たちの物だと思っているのだろう」
「穢れだけでなく、木々を焼き払うとは不届き千万! 許されることではないぞ」
やんややんやと敵意を剥き出しに怒るリザードマンたち。今にもナインへ武器を振るいそうなほどヒートアップしているが、中には比較的冷静な者もいるようで。
「だが待て、こいつは本当に人間か?」
「オレもそれが気になっている。見かけ通りなら、人間の、子供だぞ。森深くまで、単独で来られるはずもない」
「それに、俺たちリザードマンがこの森に住んでいることを知っている。そんな人間がどれほどいる?」
慎重派の三人の意見に、先の三人が噛み付く。
「あの都市の人間とは長が何度か会っているだろう! ならば俺たちの存在を知っていたってなんらおかしくはない!」
「確かに小さく細く、戦えそうには見えないが、魔力でも持っているなら別だ。それに見たことのない魔獣を連れている。戦力として見くびることはできないぞ」
「第一、人間でなくともこいつらは森を焼いた。その報いは受けさせるべき!」
過激派たちの見解に、今度は慎重派たちが言葉を返す。曰く、穢れの手掛かりがどうの、リスクがどうの、といった具合に。ここら辺からナインは彼らの討論を聞き流し始めたので、何を言い争っているのかはよく分からず仕舞いだった。ただひとつはっきりしているのは、向こうが戦る気であるならこっちも容赦しない。それだけだった。
口を挟むこともなく手慰みにクータを撫で続けるナイン。そんなナインを挟んでディベートを繰り広げる六人のリザードマン。討論の輪に加わっていないのはリーダー格と思しき赤い布を首に巻いた槍持ちの一人と、その横に立つ弓を持った一人だ。
「どうします。このままでは埒が明かない」
「うむ。……まずは本人に訊ねるが先決か」
嘘をつこうがつくまいが、そこから判明する事実もあるだろう、と。リーダー格のリザードマンはナインへ質問――ナインからすれば尋問――をすることにした。
「というわけだ、子供よ」
「何がというわけなのか」
「今お前は、疑われている。我らは森の守護者……などと言う大層なものではないが、この地に住まう者として、不用意に近づく者には警戒を、悪意を持って荒らす者には粛清を心掛けている」
「……怖いな」
蜥蜴顔なだけでも怖いのに、その口から「粛清」などという物騒なワードが飛び出すと、呑気なナインでもぞっとするものがある。おまけに相手は数に勝り、地の利があり、武装もしている。肉体も見るからに屈強そうだ。自分一人だけならともかく、傍にクータもいるのだ。守るにはちと厳しいか――とナインはどうにか包囲を抜けられないかと画策するが、リザードマンのリーダーにはお見通しだったようだ。
「動くな。何も今すぐ交戦するつもりは、ない。まずお前の話を聞いてからだ」
「話をって言われてもなあ。あんたらの聞きたいことを、俺が話せるとは思えないんだけど」
「それは、口止めされていて話せないということか」
「うんにゃ。単純に知らないだけ。俺、この森には初めて来たし、そもそも迷い込んだだけだし。木を焼いちゃったのは、森の中で拾ったこの鳥……クータのミスだよ。まあ、今はもう俺のペットだから、責任は俺にあるけどね。ごめんなさい」
ぺこり、と。
謝罪しながら、素直に頭を下げるナイン。あっけらかんとしたその姿にリザードマンのリーダーは少々毒気を抜かれたが、ナインを信用したわけではなかった。
「では、子供よ。お前は森に出現した穢れとは、関係がないと主張するのだな?」
「穢れって?」
「……不快な臭いを発する場所のことだ。突然、この森にそんな地が現れたのだ。前後して付近に人間の姿が確認されている。意図も、どこの者かも分からないが、穢れが人間の仕業であることは疑いようもない」
「ふうん……。で、穢れってのは、具体的になんのこと?」
「知らん」
「知らん!?」
目を丸くするナインに、リザードマンのリーダーは開き直ったように、しかしどこかバツの悪そうに言った。
「不快な臭いと言ったはずだ。とてもではないが、臭いの付近までが限界で、それ以上は近づけない。それほどの臭気なのだ。だから我らは、穢れの正体までは知らない」
「ええ……それがなんなのかも分からずに、そんなに怒ってるのか」
「当然だ。集落からは離れているが、そう大した距離でもない。そんな場所に不快な臭いを発す何かが、人間の手によって持ち込まれた。これは由々しき事態であり、到底看過できるものではない。仲間同士で話し合い、ここら一帯の見張りを強化したところ、お前が釣れたのだ」
「そりゃ、残念だったね。犯人じゃなくて俺なんかでさ」
「お前が犯人に通じていない根拠は、今のところ存在しないが」
「……あーっそう。じゃあ、いいよ。俺を案内してくれよ」
「案内だと? まさか我らの集落で、長に直談判でもしようという腹積もりか?」
「そっちじゃないよ」
にべもない否定。ではどこへ、とリザードマンのリーダーは口にする前に、もはや候補はひとつしかないことに思い至った。
「では、もしや……穢れの地へ?」
「そのとーり」
にやり、とナインは少女らしからぬ笑みを浮かべながら、フードを外す。ばさりと長い髪が自由になって、白い光が零れだす。少女の輝かしさは神聖さすら感じさせるほどのものだ。
薄紅の瞳が真っ直ぐリザードマンのリーダーを捉える。その異様な力強さに、彼は飲まれかけた。いや、彼だけではない。急激に存在感を増した少女に、リザードマン全員は圧されるかのように、一歩後ろへと下がるほどだった。
圧力の原因は、あくまでもにこやかに、とんでもないことを告げる。
「なんか知らんが、迷惑させられてるってんならさ……俺がその穢れを、ぶっ壊そうじゃないか。そうすれば疑いも晴れるだろ?」