1 怪物少女、覚醒す
願望(くっそ強い美少女化)ダダ漏れの本作
0章はシリアス感強いですがこんなに重いのはここだけです
ぱちりとその「少女」は目を開いた。
横たえていた身体を起こし、きょろきょろと辺りを見渡す。
その仕草はどことなく戸惑っているように見えた。
――非常に美しい少女である。
透き通った白磁の肌に、麗しく端整な顔立ち。
それはまるで天上の者が「美しさ」を命題に作り上げた人形のような、そんな浮世離れした印象を与える少女。
しかしそんな美しい顔を、少女は歪めた。眉根を寄せて、厳しい目付きで何事か考え込んでいる様子だ。
難しい表情をしていてもあどけなさは残り可愛らしさだけが先立っているが、本人としては最大級に「イヤーな顔」を作っているつもりである。
(…………ここ、どこだよ?)
いくら周囲を見渡しても、何も分からない。今自分がいる場所にとんと覚えがなかった。
場所と言ってもここは草木の芽吹く自然の中だ。なぜ、どうして自分がこんなところにいるのかさっぱりである。直前までの記憶が確かなら、このような場所にいるはずがないのに……。
記憶。
最後に覚えているのはクラスメートを救えなかったこと。
学校の屋上から身を投げる「元」友達へ差し伸べた手。
彼は確かにこちらの手を掴んだ。掴んでくれたのだ。
しかし――
似たような背丈の彼を腕一本で支えられるような筋力など、自分にはなくて。
二人まとめて真っ逆さま。
あの高さなら、まず間違いなく地面に大輪の花を咲かせたことだろう。
死んだ、と落ちる最中に確信したのだが……どうしてだか自分は、まだ生きているようだ。
とすれば助け損ねた彼も生きているのだろうか。すぐ近くにいたりするのだろうか。そう思って再度周りを確かめてみるも……彼はどこにも見当たらない。
彼は助かったのか否か。助からなかったのなら、どうして自分は助かったのか。
そもそもここはどこなのか?
まさか、学校の屋上から落ちている最中にどこか未知の場所へワープしたとでも?
――馬鹿らしい。
自分の妄想を鼻で笑いつつ――そんな嘲りの顔も彼女にかかれば極上の美を放つ――よっこらせと立ち上がる。
とにもかくにも、いつまでもここで座り込んでいたってしょうがない。行動を起こさねば。とはいえ、やれることは少ないだろう。何の目途も立たない状態なのだから、今の彼女にできることと言えば闇雲に探索することだけだ。
迂闊に歩き回るのは危険かもしれない、と思いつつも少女は動き出す足を止められなかった。ひとつ所にじっとしていると不安だけが募り、どうにも落ち着かない。悪手かもしれないと分かっていても、彼女はふらりとどこか覚束ない足取りで前へ進みだした。
木にもたれるように手を当てると、ふと違和感を覚えた。
上手く言えないが――世界が大きい、ような感覚。
なんだこれは、と困惑する少女は違和感の原因に気付く。
それは木に触れる己の手を見れば分かった。
――小さい。そして、やけに綺麗な手だ。
どう見たって自分の手ではない。正確に言うなら、記憶の中の自分の手ではない。
目の前にあるのは白魚のように滑らかで清らかな指。爪すらも一流の手入れが施されたかのようにキラキラと輝いている。無論、本来の指はこうではなかった。比べるのも馬鹿らしいほどに、違っている。
まるで人形の手のようだと少女は思った。そこからは連鎖するようにして身体のいたるところにある奇妙さに気付いていく。
まず、どうして今の今まで意識がいかなかったのか不思議だが、自分は何も着ていない。つまり全裸。そしてその身体がまたおかしいのだ。
手足が元の自分より短く、背も低い。体格も細く、これではまるで子供のようだ。高校生であり、長身とまでは言えなくとも平均以上の身長であったはずの自分が、これはどうしたことか。
それから、体格よりもさらに強烈な驚きをもたらしたのが――乳房。
彼女の胸にはほんの僅かな膨らみがあった。それは触ればふよんと、本当に少しだけ指が沈むか、いやそれとも気のせいかというほどのささやかなものではあったが、感触が確かに存在している。
少女は今度こそしかめっ面を浮かべた。不明の地にただ一人投げ出されていると分かった先ほどよりも遥かに沈痛な表情だ。
少女の意識では自分は「男」なのだ。
男であるはずの自分が、少女の身体に変わってしまっている。迷子よりよっぽど深刻な事態と言える。何故ならこれはまるで理解を超えた現象なのだから。
少女の驚愕を加速させるのは、胸はあっても乳首が存在しないこと。つるんととっかかりのないなだらかな起伏。まるでマネキンのような胸。
いよいよもって意味が分からない。視界がぐるぐると回り出す気がした。
けれど不意に、少女は視線を動かす。
胸よりも直接的に自分の性別を確認できる部分が、人にはある。
股間だ。
そこの形状次第で今の自分がどんな状態なのか分かるはず。
そこまで冷静に考えたわけではないが、沸騰するように茹った脳みその奥でそういった思考が働いたのは確かだ。ぐっと焦りを呑み込み、少女は自身の股間を確かめた。
そこには。
「――な」
見事なまでに、何も無かった。
「なんじゃこりゃああああぁああっ!」
豊かな自然の中に少女の声がこだまする。
絶望のこもった悲鳴に近い絶叫であったが、その声音は彼女の見た目に相応しく非常に美しいものであった。
「なんで、こんなことになってんだよ!」
錯乱する少女。許容を超えた事態に見舞われれば、人はこうなるという良い例である。
「無いってなんだよ? てっきり俺は……その、女のものになってるとばかり……」
こういう言い方をするとまるでそれを望んでいたかのようで嫌な気分になるが、予想が覆されたのは確かだ。少女らしい体付きでありながら男性のソレを持つよりはマシなのかもしれないが、それにしても違和感が恐ろしいことになっている。何せツルツルだ。まっさらだ。
思わず手で触って確認してみるが、やはりそこには何もなかった。
「……どーなってんだよ、ホントによぉ」
泣き言のような声を漏らす少女。それも当然だろう、はっきり言ってどうしようもないほどの異常事態だ。性別が変わっているだけでも驚愕ものだが、この身体はなんだ。乳頭や性器の存在しない作り物のような肉体。明らかに普通の人間のものではない。
自分はいったい何になってしまったのか?
――いくら考えても答えは出そうになかった。
「………………」
心なしか青ざめた顔で歩き出す少女は、その不安定な足取りと相まってまるで幽鬼のようだった。ゆらりゆらりと、無人の中を少女は草木をかき分けるようにしてただ前へと向かった。
明確に目指す場所こそありはしないが、とにかく前へ。今自分の向いているほうへ。
足を止めては不安に押しつぶされてしまう気がして……。
しばらく行くと小さな湖を見つけた。喉は乾いていなかったが水場を見つけられたのは大きい。いつまでこの状態が続くか見通しのきかない現状、飲み水を用意できれば心の支えになるだろう。
(でも自然の水って飲むの大丈夫だったかな……って、そんなこと言ってる場合じゃないか)
とりあえず少女は湖の淵にしゃがみ込むようにして水面を見てみることにした。そうしたところで何が判明するわけでもないが、なんとなく。
湖を覗き込み――少女は息をのんだ。
水そのものにではなく、水面に映る顔に意識を奪われた。
そこにあるのはあまりにも整った、可愛らしい少女の顔。語彙の貧弱な彼女では言い表しきれないほどに美麗な顔立ちの、見ず知らずの女の子である。
――これが、俺なのか。
信じられない思いだったが表情を動かせば同じように表情を変え、手を伸ばしてみれば同様に手を差し向けてくる。
間違いなくこれは自分だ。
この齢にして十にも届いていないようにしか見えない幼い少女が、今の自分なのである。
こんなにも小さくて、可愛い……可愛いが、しかし。
どことなく不気味でもあると少女は感じた。
整いすぎていて、まるで作り物めいている。精巧な人形を見せられているようで、不気味の谷を感じさせる。それが元の自分ではないと知っているからこそ抱く感覚なのかどうか少女には分からなかったが。
有り体に言えば、水面に映るその子は彼女にとっての「好み」ではなかったということだ。
もしストライクゾーンにどんぴしゃであれば自分で自分に恋をするという奇天烈な事態に陥っていたかもしれないことを考えれば、これは不幸中の幸いとも言えるのかもしれないが……それはともかく。
事ここに至って、ようやく少女は自分が「女の子」になっているという現実を理解することができた。納得はできないが、理解だけはした。
それで、どうする。
どうしようもない。
この異常事態を受け入れようが受け入れなかろうが現実は変わらない。結局のところ、彼女にできることなんてないのだ。
はぁああ、と少女は重たいため息を零した。それからのろのろと立ち上がる。まるでくたびれたおっさんのような態度だが、やさぐれたような仕草をしていてもやはり少女は可愛らしくあった。
「……え?」
ふいに何かが聞こえた気がして少女は疑問符を顔に貼り付けながら振り返った。聞こえたのはぐるる、という獣が唸るような声だったが、いったいなんの音だろうかと。
そして少女は固まった。
獣のような音を出したものの正体は、そのものずばり獣であった。
少女の視線の先には犬のような、狼のような――とにかく四足歩行で牙を剥き出しにした動物がいた。その体躯は大きく、比較するまでもなく少女よりも全長は遥かに上。見た目は犬だが虎のような体格をしている。
呆気に取られた少女はそれまでの思考全てが吹っ飛んだ。
獣はじっとこちらを見つめ、体勢も低く今にも飛び掛かってきそうである。
いや、「きそう」ではなく……「くる」のだろう。
奴の爪と牙は明らかに自分を狙っている、と少女は予想よりも確かなものを抱く。これは決して思い違いなどではないはずだ。その腕の一振りで自分の手足は千切れ飛び、その顎の一噛みで背骨ごとはらわたを食い破られるだろう。
そうと分かっていても、少女は動けない。身が竦んでなんのアクションも取れない。逃げることも、身を屈め蹲ることすらも。
動きを止めた少女へ、容赦なく獣は躍りかかった。口を開け涎をまき散らしながら獲物へむしゃぶりつこうと猛進する。
迫る牙を少女は見た。襲われる側からしても実に見事な跳躍で飛びかかってくる獣の姿が――やけに遅く感じられた。
これは死ぬ瞬間にすべてがスローになって見えるという例のアレか。だったらひょっとして走馬燈なんかも見られるのだろうか。一瞬のうちにフラッシュバックするというこれまでの人生。少し見てみたい気もする。
少女の現実逃避のような思考に反し、走馬燈はいつまで経ってもやってこず、代わりに獣が肩口に噛み付くほうが早かった。
がぶりと、鋭い牙が少女の柔肌に食い込み引き千切る――ことはなかった。
「あ、あれ……?」
痛くない。
どころか、まるで何も感じない。
困惑しているのは獣のほうも同じようだ。必死に顎に力を込め、牙を喰いこませようとしている。なのに刺さらない。血の一滴すらも流れない。
少女は訳が分からない。この獣はこんな恐ろしげな見た目でありながら、チワワ以下の咬筋力しか持っていないのか? それとも――
それとも、この肉体がおかしいのか?
食い殺そうという獣の意思は本物だ。ぎょっとするような死に物狂いの顔で牙を立ててくる。しかし、対する少女に痛みなどない。それこそ子犬にじゃれつかれているような感覚でしかない。
「…………おい、もういいだろ」
牙が通用しないというのにいつまでたっても口を放そうとしない獣に、少女は若干苛立ち始めた。声をかけたところで通じるはずがないと理解しながらも彼女は獣へと話しかける。もはや恐怖など、とうに消え去っていた。
獣から感じるものといえば鬱陶しさだけだ。
「こら、いい加減にしろって」
無理やり頭を掴んで引き剥がす。幼い女の子が獣を鷲掴みにしながら面倒くさそうにしている様はこの上なく異様だが――当の本人にその自覚はない。
どっか行け、という思いを込めて獣を押しのける少女。しかし異常な握力から頭部を解放された獣は、それでもまだ諦めていないようだった。爛々と眼を輝かせながら再度身を低くする。
また飛び掛かってくるつもりだ。
それが分かった少女はうんざりとした顔をする。飛び掛かったところで文字通り歯が立たない獲物を相手にどうやって食すつもりなのか?
呆れている少女に気付かず、ガウッという一吠えとともに先ほどの再現のように跳躍する獣。少女は仏頂面をしながらも、身を守るために腕を払った。
軽く払いのける程度の気持ちだったが、イラついたこともあって少しばかり強めに力が入った少女の腕。それに触れた獣は――爆散した。
頭部から前脚にかけて粉々になって飛び散った。
「……はあ?」
素っ頓狂な声が少女から飛び出す。
なんだ、今度はなにが起きた?
急に獣が爆発したぞと少女は困惑する。いや、自分が腕を払ったせいでこうなったのだと、分かってはいる。状況的にそうとしか考えられない。
だがなぜそれで獣の頭が弾け飛ぶのか。
少女のすぐ前で、頭部を失い倒れ伏した獣の肉体はビクビクと痙攣していたが、それも段々と小さくなっていく。……注視するまでもなく、もうそこに命なんて残っていないことは分かり切っている。
「ん……?」
じり、と地面を踏みしめる音が聞こえてそちらに目をやれば、今しがた死んだのと同じ姿をした動物がいた。同種……どうやら仲間がいたようだ。二頭でつるんでいたらしい。
少女が気になったのは、二頭目の獣がいかにも「逃げ腰」でいることだった。
じり、という音は後退りの音だったのだ。身を低くしているのは一頭目と一緒だが意識の向け方や重心のかけ方が明らかに違う。この獣はあくまで逃げ出すために準備をしているのだ。こちらを凝視しているのは、万全に逃走を図るためなのだろう。
「いや、いや……なんで?」
怖がられている――獣の態度からそうはっきりと知らされた少女だが、「おかしいだろ」と納得がいかない。
怖がるのはこっちのほうだ。いきなり襲ってきたのはお前たちなのに何を被害者みたいな顔をしているのか、と。
当然、獣からしてみれば連れ立った仲間を一撃のもとに殺した――それも寒気がするほど暴力的に――存在を前にすれば、怯えるのも無理からぬことだが、少女はそう思わない。
彼女には自らが殺したなどという実感はないのだ。なので、このようにして怯えられることには大きな不満があった。
――理不尽だろ!
当たり屋に絡まれたような気分になって、少女は深くため息を吐き出した。視線が下がったその瞬間を好機と捉えた獣は一目散に走り去ったが、もう少女がそちらに目を向けることはなかった。
(……とにかく、教訓になったと思うべきだな)
ただでさえ不可解な肉体がより不可解であることがよーく分かった。あの獣が他者から触れられただけで自爆するという恐ろしい特性を持っていたのでなければ、この身体のスペックが桁違いだということになる。
それこそ、軽く払っただけで生き物を殺してしまえるほどに。
早い段階でそれに気付けたのは良かった……と思うほかないだろう。
「どうすっかなあ……」
とにかく、探索を続けてみるか。
いくら水場があるとはいえここでじっとしているわけにもいかない。少女は先へ進むことに決めた。
「と、その前に……」
少女は獣の死骸の傍にしゃがみ込む。
むんずとその骸を掴むと、ひっくり返し仰向けにした。
次に腹を裂いてから、一気に皮を剥ぐ。
無論、彼女は素手のままだ。動物の皮剥ぎ経験などないので見様見真似の力任せだが、腕力が怪物じみている少女は難なくその作業を終えた。とはいえ精細さはないのであちこちに脂肪や肉塊の切れ端がついたままだ。それらをこそぎ落とすべく、少女は皮を湖に浸して丁寧になめしていった。
「こんなもんか?」
見た目はずいぶんと綺麗になった。筋も脂も付着していない、ように見える。
ぶん、と力強く皮を振るって強引に水気を切る。完成したそれを肩にかけ、コートのように体を隠す。
大きさは十分だ。ちゃんと全身を覆えている。
「さすがに、全裸のままってのはな……」
想像以上に上手く作れた、と機嫌を良くした少女は当初より幾分か軽い足取りでその場を去る。
後には肉片と血溜まりだけが残っていた。