第3話 ペルテ国王(女神暦1566年3月2日/カルトス城)
ペルテ国の中心地である首都ライオネット中央に鎮座する王城の王の間。
ペルテ国の国旗である円を描く大蛇が描かれたタペストリーが壁から垂らされ、豪奢な装飾品や最高質の蜜蝋で明るく照らされた赤い絨毯の敷かれた豪華絢爛と呼ぶに相応しい贅を凝らした空間の奥に設えられた玉座。
そこに深々と腰を下ろしているのは所々に白髪の目立つ痩身の男だった。
最高級の王族の衣装に身を包みながらも眼窩は落ち窪んで頬はこけており、痩せているというよりもやつれていると言った方が相応しいその病的な姿だが、それに反して目元はギラギラと野心に溢れていて、己の私利私欲を満たす為であれば何者であろうと躊躇することなく排除するような冷酷さを感じさせる。
ペルテ国国王、オルバス=レイクフォード。
世界各国の中で奴隷制を敷いているただ2国の内の1つである、ペルテ国を治める男だった。
オルバスは先程まで眼前で奴隷制撤廃を声高に叫んでいた娘を王宮詰めの騎士達に命じて強制的に退室させ、扉を隔てても王の間に響いてくる国王である自分を糾弾する言葉を喚き続けるその声に頭を痛めながら嘆息する。
「我が娘ながら、何とも愚かなものだ。答えなど何度来ようとも変わらんというのに」
「いやはや全く、アリーシャ様にも困ったものですな」
オルバスの側に控えていた腰の曲がった禿頭の老人が恭しくこちらにワイングラスと王国直営のぶどう農園で製造させている最高級品質のワインを差し出す。
ペルテ国の宰相であるベルディは首元に飾られた宝石で派手派手しく飾られた首輪や指に光る宝石の指輪をきらめかせながら、こちらのご機嫌を取るような声音で、グラスを手に取ったオルバスへと仰々しい所作でワインを注ぐ。
「アリーシャ様も、いかに偉大なる国王陛下の実子とはいえ、神聖なる陛下の御前でこの国を基盤から支える奴隷制を撤廃せよなどと世迷言を……。
姫様を育て続けた陛下のご寵愛を微塵も理解しておられない愚行の数々には、陛下もさぞや胸を痛めておいででしょう」
「あれの養育には多額の金を掛けたが、どうやらそれも無駄金だったようだ」
オルバスは大きく手を掲げ、王の間の至る所に装飾された宝石や黄金、荘厳な絵画や甲冑の数々を見渡す。
「奴隷共を売り捌けば、これほどの富が手に入る! 税を払わぬ不敬者からは子供を取り上げるか首を刎ねて見せしめにすればよい。
私には! この国には! それだけの力があるのだ!
それが何故、アリーシャには理解出来んのだ!」
アリーシャは優秀な私の頭脳や才覚を受け継ぎ、類まれなる教養や武芸の才を発揮し、自分の後継者に足る人間であると確信していた。
だが、今やあれは偉大な父を日夜糾弾し、こちらにいつ刃を向けるかも分からん狂犬のような存在へと成り果てた。
あれを生んですぐに流行病で逝去した妻のことは今でも愛しているし、病死した妻のことを思い出すだけで胸を掻きむしりたくなるような虚無感に襲われる。
忘れ形見である娘を想い育ててきたが、もはや見切り時かもしれん。
何気なくグラスに注がれたワインの水面に映る自分の顔を覗き込んでみると、そこには冷淡な笑みが浮かんでいた。
「ふっ、我ながら父親とは言えんような面持ちだな」
「親の心も理解出来ないような子供を持つ者ならば、それもいたしかたありませんでしょう」
「ベルディよ、あれは我に牙を向ける狂犬ではあるものの実の娘であることには変わりない。我が直接手に掛けるには少々忍びないと思うのは甘いと思うか?」
「いえいえ、子を持つ親ならば当然の心境であるかと」
「ふっ、そう言われてもなお、あれの処断を決めた我の気持ちに揺らぎはないな。我ながら薄情な親だ」
アリーシャには再三これ以上の妄言は控える警告はしてきた。
だが娘はそれを意にも介さず絶えず我へと直談判へとやってくる。
今後もこちらが警告を発しようと第7騎士団を左遷させようともそれは変わらないだろうと容易に想像がつく。
限界だ。
「……潮時だな」
オルバスは胸の中に溜まった澱みを吐き出すように息を吐く。
そして、
「アリーシャ=レイクフォードならびに第7騎士団を処刑処分とする」
そう告げた刹那、
「素晴らしいご決断でございます! わが娘であろうと王道を阻む者は容赦なく排除するその姿勢! このブラッド=マリー、とても感銘を受けました」
王の間の左右に等間隔に立っている石柱の陰の1つから現れた者の敬意の込められた賞賛の声が響き、恭しい態度で姿を見せた少女を見遣り、オルバスは客将であるその者の名を呼んだ。
「ブラッド=マリーか。親子の対面を盗み見とは随分と悪趣味な真似をする」
「これは失礼致しました、国王陛下。失礼は承知でしたのですが、奴隷制撤廃を訴える命知らずな少女とはどのような者なのか私興味津々でして、ついついはしたない真似をしてしまい……」
申し訳なさそうに頭を下げる少女の謝罪には真摯さはあるものの、その奇抜な出で立ちには似つかわしくない殊勝な態度には長い付き合いになるが未だに慣れない。
金糸のような輝きと艶のある質感をしたフワフワとした癖毛の金髪をお尻の辺りにまで伸ばしている。
身にまとっているのは神に仕えるシスターのものだが、全身が漆黒に染まった修道女の服の布地を大きく盛り上げている豊満な胸元が蠱惑的で、アリーシャと大して変わらん年齢にそぐわぬ大人の女の色香を醸し出してた。
だが胸元に輝くロザリオは漆黒の鉱物を彫って作られていて、中央に嵌め込まれた夜の帳のような真っ黒な宝石は一切の光を反射せずに不気味な色合いを放っている。
目鼻立ちは整っているが、鮮血のように真っ赤に染まった左目と黒革の眼帯で塞がれた右目が神聖さの象徴のような修道女の清貧さを消し去ってしまっている。
そして、ほっそりとした少女らしい枝のように細い左手に反して、右手には様々な呪言が真っ黒なインクのような物で書き綴られた包帯が全体に巻かれていて、包帯の下がどのようになっているのかはオルバスも見たことがない。
不気味な容姿をしていながらも、こちらに邪気のない笑みを浮かべて歩み寄ってくる少女に、臣下であるベルディは剣呑な視線を向けた。
「ブラッド=マリー殿。『狂焔の夜会』の幹部である貴女にはこの国の奴隷制存続に多大な貢献をして頂いていることには感謝しております。
ですが、ここは陛下の御前です。己の立場を弁えた振る舞いをオススメしますが?」
「まあまあ、ベルディ様。そのような怖いお顔をなさらないで下さいませ。
オルバス陛下には私自身とても敬意を抱いております。何か気に障るような振る舞いがありましたのならば、謝罪させて頂きます」
「……よい。ベルディ、そちの忠義には礼を言うが控えよ。私はこの者と話がある」
「はっ。陛下の仰せのままに」
深々と頭を下げつつも、言葉の端々に黒いシスターへの猜疑心を滲ませた忠臣のどこか不服さを残した了承の言葉には目を瞑り、オルバスはこの国を影で操る傀儡師へと向き直る。
「ブラッド=マリー。そなたの働きには私も感謝をしている。
最強の闇ギルドの一角の幹部を務めるそなたの尽力あってこそ、この国家の奴隷制度は飛躍的に向上した」
「勿体ない言葉でございます、国王陛下。
私がお仕えするのは冥主様のみではありますが、このペルテ国を恐怖と絶望に満たし続けることは冥主様も望んでおりますことですので、微力ながらこの国の為に尽くさせて頂きます」
「『狂焔の夜会』のギルドマスターか。そなたのような強大的な力を振るう者にそれ程までの忠誠心を抱かせる人間がどのような者なのか、そなたの言葉を聞いていると好奇心を刺激されてしまうものだ」
「うふふっ、国王陛下にそのように言って頂けて恐悦至極にございます。
【冥炎十二将】序列10位という低級な身ではありますが、私の魔眼がこの国を捉え続ける限り陛下は安泰でございますので、どうぞご安心下さいませ」
口元に手を当てて上品な笑みを零す聖女の左目に灯る赤い眼光にゴクリと喉を鳴らしながら、オルバスは口元に歪んだ笑みを浮かべる。
「その目に射貫かれた者に恐怖や絶望、狂気といった負の感情を付与する『樹宝』か……。通常であれば視界に入る者にしか対象に出来まいが、そなたの隠されたその右目を以てすればそれも可能ということか」
「ええ、その通りでございます。私の魔力量は常人とはかけ離れたものであるという自負はございますが、流石に一国家全体を見通す程左目の視界を広げるのは不可能でございます。ですが……」
ブラッド=マリーは楚々とした所作で懐から取り出した拳大の水晶玉をウットリとした視線で幸せそうに見詰め、
「マトラ島の島民を恐怖で支配し採り尽くさせた魔鉱石の魔力を凝縮させたこの膨大な魔力を使用すれば、ペルテ国全土に視界を展開して民草に負の感情を植え付けることも可能でございます。終わることのない恐怖と諦観の支配によって、この国は奴隷売買による巨万の富をいつまでも享受出来ることでしょう」
マトラ島の惨劇を生み出した張本人であり、ペルテ国という新たな舞台で絶望の種を蒔き続ける黒き聖女は恍惚とした笑みを浮かべながら水晶玉を愛おしげに撫でた。