第88話 アレンvsアイリス.4(女神暦1567年5月8日/ロクレール支部演習場森林エリア)
少々やり過ぎた感のあるスフェールいじりを終え、俺達とアイリスさんは仕切り直しとばかりに距離を取ってから、再度戦闘を開始することにした。
スフェールは先程のからかいを未だに気にしていて頬の赤みがまだ残っていて、「……マスターは意地悪なお方です」と若干まだ拗ねている様子(可愛い)。
一方、褒め殺しされる度に顔が真っ赤に染まってアワアワするスフェールのテンパる姿を終始可愛いなあ~という面持ちで鑑賞していたアイリスさんはホクホク顔で、「ふふふっ、とても良い物を見せて頂きました」と大層ご満悦なご様子だ。
これには俺も同感なので、ついつい頬が緩んでしまうのは致し方がないことなのだ。
だが、当の本人であるスフェールは俺達のその反応に更に頬を紅潮させて、プンプンと腕を振り上げて大層おかんむりだ。
「お二人とも真面目にしてください! 私達は試合中なのですから、もっとしっかりとした雰囲気を大事にすべきではないでしょうか!」
「ああ、そうだな。ごめんごめん、スフェール」
「ふふふっ、確かにスフェールさんのおっしゃる通りですね。脱線してしまいましたが、そろそろ戦いを再開しましょう」
俺とアイリスさんが((可愛いなあ))という感想を共有しつつも、スフェールが大剣を構えて戦闘態勢に移行すると、俺とアイリスさんも互いに魔力を高めて思考を戦いに切り替える。
アイリスさんが両手の甲に光の魔力を宿した天使の紋章を浮かび上がらせたのを見て取ると、スフェールは警戒心を滲ませながらも一気呵成に地面を蹴り、アイリスさんの懐に肉薄する。
どうやら守りに徹するのではなく、あえて自分から攻めることでアイリスさんに戦いの主導権を握らせないつもりのようだ。
なら、俺はそれを全力でバックアップするだけだ。
「スフェール! 一気にいくぞ!」
「はい、マスター!」
体内で魔力を燃やすイメージで魔力を錬成し、パスで繋がった剣精霊は俺から受け取った魔力を愛剣に注ぎ込み、ゼルナリスの刀身から溢れ出た魔力の余波が強風のように辺りに吹き荒ぶ。
アイリスさんは肉薄してきたスフェールの大剣から放たれる魔力量の多さに一瞬目を見張ったようだが、それに狼狽する様子は全く見せずに、重心を落として身を低くしながら拳を握り締めた。
「その魔力の強さは驚嘆に値しますが、私の光の魔力を破壊の力に変換させた紋章術の前では力不足です」
彼女の言う通りだ。
ゼルナリスの【堅牢のダイヤモンド】の鉄壁の防御力を以ってしてやっと防げるぐらいの破壊力を秘めた破壊の紋章術相手に正面から向かっていってもやられるのがオチだ。
しかし、宝石剣ゼルナリスの真骨頂はここからだ。
「ええ、確かにそうでしょう。だけど……」
スフェールは俺の言葉の続きを告げるように、自身の刃に言葉を乗せる。
「勝つのは私達です!」
信頼する己の主に勝利を捧げる為、剣精霊の少女は大剣を大きく振りかぶった。
(また、炎の魔剣に変化させるつもりですか)
アイリスは相対する少女が美しい宝石の大剣を振りかぶるのを視界に捉えた刹那、すぐさま両拳に紋章を出現させ、軽く腰を落として迎撃の構えを取る。
火炎の魔剣による攻撃が来るのであれば炎ごと紋章術を施した拳の拳圧で吹き飛ばして霧散させた後に、剣を振り抜いて隙の生じた少女に一撃を加えて撃破する。
魔剣による攻撃と見せかけて直接大剣による攻撃を向けてくるのであれば、真正面からそれを受け止めきって、間髪入れずに拳による連撃を加え消耗した後に渾身の一撃を放つ。
どちらにしろ、自分の紋章術を破ってこちらに一撃を加えることは出来ない。
傲慢ともいえる判断だが、だからといってそこで終わりではない。
慢心は劇薬だ。
格下と断じた相手に優越感を持って相対すれば、思わぬ反撃や搦め手を受けた際に咄嗟に冷静な判断は下せない。
様々な能力を秘めているらしい武器を所有する相手を前にしているのならなおのこと。
グッと拳を握り、魔力を紋章に集中させて、泰然と少女に視線を向けて攻撃に備える。
どれほど強力な火炎の奔流が来ようともすぐさま迎撃出来る体勢を整えた。
筈だった。
『【鎮静のサファイア】」
対峙する少女剣士の持つ宝石剣が蒼き刀身に変貌した刹那に自身の拳に宿していた紋章の力が一気に弱体化したことを察知するまでは。
「なっ!? これは!?」
「マスター! 一気に畳みかけます!」
「おう!」
スフェールが宝石剣ゼルナリスの別の能力を発動させ、アイリスさんの両拳に灯っていた紋章の煌きが一気に色褪せたことを見逃さずに、スフェールと俺はすぐさま駆け出す。
【鎮静のサファイア】の効果は、対象にした相手の魔法の力を一気に減退させるというもの。
アイリスさんが両拳に宿していた紋章術の効力が唐突にほぼ失われた事に驚愕しているうちに次の攻撃に移り、撃破する!
「スフェール、魔力を送る!」
「はい!」
俺は地面の下草を踏みながら疾駆しつつ、先行して前方を駆ける剣精霊に【隷属者】と召喚士との間に繋がるパスを通して錬成した魔力を注ぎ込む。
直後、スフェールは体内に流れ込んできた俺の魔力により、魔力消費量の激しい【鎮静のサファイア】を発動して失われた魔力が充填され、ゼルナリスの輝きが一層増してその力を増幅させた。
そして、その効果の対象であるアイリスさんは再度紋章術を両拳に灯そうとするも、即座に紋章の輝きが色褪せてしまい、歯噛みした様子で即座にバックステップで後退し、こちらから距離を空けるという選択に出た。
どうやら紋章術による迎撃が出来ない事を察した彼女は、無理にこちらの攻撃を受けるのではなくこちらの攻撃範囲から距離を取り、回避をする事を選んだらしい。
もしくは、術者であるスフェールから一度大きく離れれば宝石剣の効果範囲から逃れ、紋章術の出力も復調するのではないかという打算もあるのかもしれない。
(その判断は正しい。【鎮静のサファイア】の効力が届く距離はそれ程遠くはない。一度効果範囲外に対象が脱すればその効果は失われる。
だけど、その前に決着を付ける!)
「アイリスさん! 逃がしはしませんよ!」
俺がそう叫ぶと、アイリスさんは追い詰められた状況にも関わらず俺達に微笑を浮かべた。
「ふふふっ、アレンさん、スフェールさん、お見事です。私の紋章術をこのような方法で封じてきた方は初めてです」
「その紋章術は強力ですからね。申し訳ないですけど、封じさせてもらいました」
「ええ、おっしゃる通り今の私では紋章術の行使もままなりません。ですが、これ程強力な効力を持続して発動する事はそう容易な事ではありませんし、大きな効果を発揮する魔法には効果範囲が限定されているものも多くありますので、私があの剣の効果範囲外へ一度でも抜け出す事が出来れば、まだ私にも逆転の目はあるのではないですか?」
「ええ、その通りです、アイリス様。ですが、」
仕切り直しを図ろうとするアイリスさんから片時も目を離す事もなく駆け続けながら、魔力を宝石剣に送り込んだスフェールは宝石剣を下段に構えると共に、
「その前に貴女様を倒します!」
その言葉の直後、宝石剣の刀身が黄金色に変貌し、木々の間から差し込む木漏れ日をキラキラと反射させながら、
「【大地のトパーズ】!」
スフェールはその身を屈め、トパーズの刀身を大地に突き立てそのまま地面を斬り裂くように疾走し、一気に剣を下段から上段へと振り抜く。
刹那、大地から無数の鋭利な岩石の杭が噴出し、アイリスを刺し貫かんと迎撃手段を失い無防備となったその体躯目掛けて殺到した。