第87話 綴vs澪.4(女神暦1567年5月8日/ロクレール支部演習場廃墟エリア)
「『緋炎風絶』」
姫島殿が緋色の火炎を纏いし刀を一振りした刹那、澪は即座に撤退を選択した。
何か確固たる予感のようなものはなかったが、すぐにその場を離れなければならないという直感めいた衝動が走ったと同時に体が動いていた。
そして、直後にその判断は正しかったと知る。
様変わりした装いに身を包んだ相対している少女が刀を振り下ろすと共に、それは来た。
一条に走る緋色の軌跡。
高濃度に濃縮された火炎の魔力を宿した一閃が刀から放たれ、朽ちた廃屋の屋根を悉く斬り裂きながら焼き尽くしていく。
そして、それだけではなく、飛翔する火炎の斬撃の後から巨大なドラゴンがすぐ側を滑空していったのかと錯覚する程の猛烈な突風の追撃がやってきて、燃え盛る炎の火力がより苛烈さを増して更に燃え上がり、周囲に火の粉が舞い散っておもわず袖で目元を覆う。
「くっ、この炎は一体!? 姫島殿の『樹宝』は風を操る能力であった筈!?」
異なる複数の能力を有する『樹宝』は数は多くないが、存在する。
しかしながら、風を操る能力と炎を操る能力という全く別系統の能力を兼ね備えた『樹宝』はかなり稀有な部類に入る。
油断はしていないつもりでしたが、姫島殿が奥の手を隠していたとしても何らおかしくはない。
炎の勢いに飲まれ焼け落ちていく家屋の崩落に巻き込まれないよう、屋根から屋根へと飛び移りながら間合いを取る。
ここは一度間合いを取って、仕切り直しましょう。
だが、相手はそれを許してはくれない。
劣勢になったこちらが撤退を選択したのは彼女にも察せられただろう。
周囲に炎の魔力が可視化する程高められた火炎の燐光を振り撒きながら、姫島殿は炎に飲まれていない家屋や庭木の枝を器用に蹴り、私に追い縋ってくる。
相手はこちらを逃がすつもりは毛頭ない様子。
愛刀である『雷光』の柄を握り締めながら、私は逡巡する。
「……さて、どうしたものでしょうか?」
今の所は移動速度ではこちらが勝っているものの、相手が飛翔する火炎の斬撃を背後から何度も放ってくれば、それを片手間で捌くことは出来そうにない。
十中八九、迎撃に苦心していれば間合いに飛び込まれる。
そうなればこちらの敗北は必至。
ならば、答えは簡単だ。
「参ります!!」
逃走経路に向けていた体を反転させ、私は緋色の剣士の前へ一気に駆け出した。
(ここで、前に出てくるんかいな!!)
先程までは火炎の波から逃れようと天狗のように軽やかに飛び回りながら逃走に徹していた相手は、唐突にこちらに臆することなく突っ込んできた。
恐らくはこのまま逃げ続けていてもジリ貧になると察して、勝負を仕掛けてきたに違いない。
彼女の手は既に刀の柄をしっかりと握り締めており、あの雷撃の居合いを抜き放つ為に魔力の溜めの動作に入っている。
あの『雷光』という雷の樹宝の一撃を喰らえば、いくらアールタと『魔装化』をしているとはいえ、ただでは済まないだろう。
なら、ここは相手があの剣を抜き放つ前に勝負を決めるまで!
アールタと融合したことで火の魔力も操作できるようになった今なら、普段とは違った戦法だって使えることを実戦で確かめたる!
足裏に火と風の魔力を集中させ、一気に放出させて、
「『炎歩』」
足裏に集束させた2つの属性の魔力を噴出させて、銃から撃ち放たれた弾丸の如く前に体を射出させる。
「っ!?」
澪は驚異的な速度で間合いに飛び込んできたこちらに瞠目し、明らかに狼狽を表情に滲ませた。
イケるか。
更に魔力を急上昇させ、一気呵成に前に躍り出て追い抜きざまに袈裟切りを見舞おうと刀を構える。
これで決める!
その覚悟で、緋炎を纏った剣を振るう。
確実に間合いに捉えた一撃が相手を捉えた。
筈だった。
「……『雷歩』」
ウチの喉を捉えたあの俊足の移動術を使い、澪がこちらの視界から完全に姿を消すまでは。
(申し訳ありませんが、負けるつもりはありませんので!!)
『雷光』に宿る雷の力を足裏に伝達させて一気に放出することで、黒雲から大地に振り下ろされる雷霆の如き雷の速度に似た速さでこの身を加速させる移動術『雷歩』。
一回目では相手の喉元を捉えたこの速度であれば、確実に討ち取れる筈。
まさか相手も自分と似た移動方法を用いてくるとは思いも知らなかったので、動揺してしまったが、とあるお家事情により昔から戦闘経験だけは人一倍あったことが幸いし、体が自然と最適な行動を選択して、次の戦闘動作にスムーズに移行する。
超常じみた速度により一瞬で相手の背後に回り込み、抜刀の構えに至る。
「これで決着です!」
『雷歩』の使用の為に、『雷光』に蓄積させていた魔力が減ったことと、十分に雷の魔力を注ぎ込む前に溜めの動作を中断したことで、居合いの威力と速度は半減しているけれども、死角からの一撃であればそれで十分。
油断もない。
無駄な動作もない。
あらゆる無駄を削ぎ落した洗練された動きで刀を抜き放つ。
これで勝ちが決まる。
それを確信して、刃を抜き駿馬の如き一撃を叩き込む。
そして、私の目は捉えた。
勝利を。
……それは、とても幻想的で秀麗な一太刀。
空気を歪めた陽炎のように揺らめきながら薄く緋色に色付いた、炎の魔力を具現化させて作り出したもう一振りの刀を、こちらを見ることもなく迷いもせずに、こちらが己の背後を狙った一撃を狙ってくることを、私が確実に勝利を手にする為にどう動くかを数手先まで先読みしていた彼女が
「『緋影の太刀』」
そう口ずさんで、こちらを一瞥することもなく薙ぎ払った姫島綴という勝者の背中と、炎の一太刀を受けながらもこちらを害する気配が皆無な不思議な熱をこの身に感じながら私の意識は暗転した。