第83話 アレンvsアイリス.2(女神暦1567年5月8日/ロクレール支部演習場森林エリア)
失言により最強ギルドの一つの長を務めるギルドマスターをマジ泣きさせてしまうという事件が起こったものの、俺とスフェールはクリスタルを背に若干まだ赤い目元を恥ずかしげに掻くアイリスと対峙していた。
方向音痴なアイリスが敵陣に突っ込んでいくような真似はしないだろうと踏んでいたので、予想通りこの場でクリスタルの防衛役を担っていた彼女を目にしてついオブラートに包むこともせず率直な考えを述べてしまった俺が全面的に悪いので、ここは誠心誠意謝罪をするべきだろう。
俺は背筋をピシッと伸ばしてから、頭を下げる。
「さっきはすみませんでした。まさか、泣かせてしまうとは思っていなくて」
「い、いえ、アレンさんが謝る必要なんてありません。実際、その通りですし……」
アイリスは幸薄そうな悲愴感のある笑みを浮かべ、地面に膝をつく。
「皆、私が出撃したら森の中を永遠にさまよい続けることになるからここにいてくださいと試合開始早々秒で満場一致で可決されまして……。
『そ、そんなことないんじゃないでしょうか……』とか細い声で反論してみたものの、皆さんスルーして各々出発してしまいました。
ふふふっ、笑ってくれていいですよ、アレンさん。ギルドマスターとは言いながらも、実戦においては基本その場で待機がデフォルトな迷子前科多数のダメマスターの私を……」
ついには地面に肘をつき力なく項垂れ、戦闘開始前からテンションだだ下がりのシスターさんが誕生してしまう始末に。
アイリスの頭上に雨雲が浮かんでいるイメージが思い浮かぶ。
今ならめっちゃ隙だらけなので、クリスタルを破壊するのは容易そうだが、流石に味方にスルーされてダウナー状態なシスターを更にスルーしてクリスタルをぶっ壊しにいくのは結構鬼畜生ではないだろうか。
ここは大人しく彼女が復活するのを待つべきかな。
おずおずと手を差し伸べ、優しい口調で話しかけることにする。
「あの~、アイリスさん。さっきの失言については改めて謝罪しますから、そろそろ試合を……」
「はっ!? 申し訳ありません! 私ったら試合そっちのけで自己否定の世界にどっぷりと浸かってしまっていて……。ああ、こんな私なんて……」
「アイリスさん、その思考は無限ループに突入する流れですから、一旦リセットしましょう!?」
再度アイリスが冷静さを取り戻し、仕切り直しとなり、互いに距離を開けて向かい合う。
アイリスは先程の親に置いていかれた子供のような絶望に浸った表情から一転し、こちらを真っすぐに見据えて泰然としている。
「アレンさんにスフェールさん。色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたが、ここからは真剣勝負です!」
気合十分で、胸の前で両拳を握るアイリスは完全復活を果たした様子で、俺とスフェールは安堵の息を漏らす。
これならもう大丈夫だろう。
ここから先は互いの実力をぶつけ合うだけだ。
俺は体内で魔力を錬成しながら、さりげなくスフェールに目配せをする。
スフェールはそれに頷きで応え、背中に背負った大剣の柄を握り直して静かに告げる。
「『宝石剣ゼルナリス』、開錠」
普段はオドオドとした少女の声とは思えぬような厳かなその声に呼応するように、刀身に巻き付いていた漆黒の包帯が独りでにシュルリと解けて地面に落ちる。
無色透明。
真っ黒な包帯の奥から姿を現したのはまるで水晶のように透き通った刀身で、一切の刃こぼれも傷も見当たらず、神聖さを内包したその威容には神々に捧げられる霊剣じみた神々しさを放っていた。
何度見てもその秀麗な輝きには息を飲むが、シスターであるアイリスも大きく目を見開いて大剣を見詰めていた。
「……その剣、とても見事な業物とお見受けします」
「ありがとうございます。これは私の大切な友であり、我がマスターを守護する私の剣。マスターには簡単に手出しはさせませんので、どうかそのつもりでお願い致します」
大剣を構え、先程とは打って変わって静かに気迫を放つスフェールに気圧される様子もなく、アイリスはまるで大切な兄を懸命に庇おうとする妹を見るかのような愛おしげな笑みを浮かべ、胸元で手を組み合わせて女神像に祈りを捧げるようなポーズを取ると、俺とスフェールに陽だまりのように優しい声音で言葉を紡いだ。
「アレンさん、スフェールさん。貴方達の放つ魔力の高まりを感じるだけで、お二人がかなりの強者であることは容易に察しがつきます。きっと、それだけの力を得る為にたゆまぬ努力と研鑽を積み重ねてこられたのでしょう」
「……ありがとうございます、アイリスさん。俺が人様に誇れるような努力をしてきたのかどうかは分かりません。だけど……」
ここにはいない、もう会うことも出来ないかもしれない元いた世界に残してきたリースという相棒の屈託のない笑みを頭の中に思い浮かべながら、俺は俺を守る為に剣を握ってくれている仲間の頭に手を当てる。
スフェールは俺に頭を撫でられるようにして手を置かれたことに戸惑い、紅潮した顔でこちらをバッと振り返る。
「マ、マスター?」
困惑はしているが、決して嫌がっている様子ではなく、どこか安心したように少し目を細めているスフェールの表情にどうしようもないくらいの愛しさが込み上げてくる。
俺はスフェールの頭をそっと撫でて、アイリスの目を真っすぐに見ながら宣言する。
「俺の大切な友達と、俺と一緒に戦ってくれるこの娘と一緒に旅をして強くなった日々と、彼女達が俺に寄せてくれた信頼に恥じないように戦うこと。それが俺に出来る精一杯のことだと思っています。
アイリス=ゼルフォードさん、俺達の力を見定めてください」
スフェールは俺のその言葉に大きく目を見開くが、面映ゆそうに肩をゆっくりと落とし、「これだから、マスターの側にいたくなってしまうんですよね」と小声で呟いて、どこか誇らしげに大剣を構え直した。
俺の方が君達がいてくれるからこそ、こんな異世界に一人放り出されても平静でいられるんだけどなあ。
そんなことを思いながら、すぐに魔力を解放出来るように魔力を高めていく。
召喚士である俺は『隷属者』の力を借りなければまともに戦うことも出来ない。
だけど、リースや契約した『隷属者』達と一緒に強くなってきた日々は紛れもない俺の積み上げてきた努力の証だ。
俺がこの人に勝つにはそれを全て出し切るつもりで戦わなければいけないだろう。
そんな俺の覚悟を感じ取ってくれたのか、アイリスはゆっくりと目を閉じて、
「……分かりました。『銀翼の天使団』ギルドマスターとして、真摯にお相手させて頂きます」
そうにこやかに告げたアイリスの胸元で組まれた両手に魔力が集中する。
一体何事かと思わず身構えると、彼女の両手の甲に銀色の翼を背に生やした天使を描いた紋章がそれぞれ光り輝きながら浮かび上がる。
それらから噴き出す強力な魔力の波動に、思わず冷や汗がタラリと額から流れる。
「マスター、あれの正体は分かりませんが決して油断はされない方が良いと思います」
「ああ、それは分かるよ。これは……強力な光属性の魔力か?」
「その通りです」
アイリスは組んでいた手をゆっくりと下ろすと、紋章の形がよく見えるようにこちらに向かって手の甲を晒した。
「体に特定の魔法を発動する為の魔紋を刻んだ魔導士を『刻印魔導士』と呼びます。強大な魔法を行使出来る代わりに、素養がなければ肉体が魔紋の負荷に耐えらず死に至るという副作用故に、魔法大国であるルスキア法国でも数少ないその刻印魔導士の被験体だったのが私です」
「っ!?」
「そんな心配そうな顔をなさらなくても大丈夫ですよ。今は終わった過去の話ですから。
……私は幼少時にルスキア法国の孤児院にいたのですが、法国の魔導研究所が経営難だった孤児院の再建と引き換えに孤児の一部を刻印魔導士開発の為の検体として徴収したのです。私と一緒に連れられた孤児達は魔紋を刻んだ数分後に事切れてしまいましたが、私は運良く生き残りました。
……今は紆余曲折を経てパナケイア聖印国に落ち着き、この力を人々の為に役立てる為に使うことが出来ることに喜びを感じていますから」
何気ない口調でそう告げたアイリスだが、その目にはどこか遠い過去を映し出しているような憂いに満ちた感情が奥で渦巻いていた。
ルスキア法国。
ドロシーやマルトリア神王国に逃れていた魔女達、シャーリー=マトラの祖国。
何度か聞いた国の名だが、マトラ島の消滅事件といい、どこかきな臭い国家であるようだ。
ここから遠く離れた北大陸の国であるそこを訪れる機会があるのかは分からないが、もしドロシーを連れて行く機会があれば十分気を付けた方が良いかもしれないな。
アイリスの目は凄惨な過去を決して忘れてはいないが、眼前にいる俺達を見据え続けている。
彼女は俺達を対等な相手として、己の過去を吐露しながらも真剣みを帯びた面持ちを崩さずにこちらに手を差し伸ばす。
「私の魔法は『破壊の紋章術』と『治癒の紋章術』。人体を破壊し死に至らしめる力と、人体を癒し命を繋ぎ止める力です。その力の片鱗をご覧に入れます。
頭では中々ピンとこないかもしれませんから、実戦で理解を深めて頂ければ幸いです」
アイリスはニッコリと笑みを浮かべると、ゆったりとした速度で拳を握り、
「では、いきます」
口元を綻ばせて彼女がそう言葉を漏らした刹那、
「っ!? スフェール、剣を発動させるんだ!」
「はい!」
勘だった。
防がなければ、やられる。
その直感に従い、スフェールに剣の力の発動を命じる。
俺の意を即座に汲んでくれたスフェールは聖女の拳を見据えながら、相棒に魔力を注ぎ込む。
「【堅牢のダイヤモンド】!」
スフェールの持つ大剣の刀身が木漏れ日をキラキラと反射させて光輝くダイヤモンドへと姿を変えて、彼女がそれを盾のように側面を正面に構えると同時に、
ブーツの足裏に紋章を発動させたらしいアイリスが魔紋に刻まれた魔法を解き放って瞬間的な加速を得て俺達の前に躍り出ると、音もなく繰り出された紋章を施した拳が、周囲の木々の枝葉が軋み上がる程の余波を生じさせる威力を発揮させて大剣の側面に直撃した。
今年初めての投稿となります。
ブックマークして頂いている読者の方々にはお待たせてしまいまして申し訳ありません。
次々と隷属者達と魔装化を行っている女子メンバー達と、『銀翼の天使団』最強のアイリスと対峙するアレンとスフェールをどう描いていこうか思案しておりますが、どうにか戦いの行方をしっかりと書き切りたいと思っております。
それから、これは完全な宣伝となってしまいますが、新作『異世界読書レストラン「サクラ亭」へようこそ~サクラ舞い散る秘密のお店~』を本作と並行して連載しております。こちらはバトルなしのグルメと読書を融合させた作品となっておりますので、そちらも覗いて頂ければとても嬉しいです。