第82話 綴vs澪.3(女神暦1567年5月8日/ロクレール支部演習場廃墟エリア)
「さあ、いくで!」
ウチは屋根を蹴り、抜刀した『髭切』に魔力を通わせながら前へと躍り出る。
澪はこちらの剣の動きに意識を払いながらも視線は刀ばかりには固定していない。
ウチの体の動き一つ一つから攻撃が来るタイミングを見とるんやろうな。
初撃を躱されれば、澪に隙を晒すことになるかもしれないが、手をこまねいていれば後手に回る。
そうなれば、防戦に手一杯になりこちらの攻撃の手が減ることになる。
「ここは攻めあるのみや!」
切っ先を澪の脇腹に向け、腰を屈めた姿勢からの突きを放つ。
澪はそれを剣を受けるかと思ったが、一歩だけ横に動いて難なく躱すと、こちらの剣を受けることなく腰を半分回す。
腰の回転を利用し、自身の膂力も合わせた水平の一閃がウチの胴体目がけて振るわれる。
「もらいました!」
突き技を放った直後で右腕はまっすぐ前に伸び切っていて、今から剣を受けようと腕を引いても間に合わない。
飛び退ろうにも、澪は逃がす暇は与えないとばかりにグッとウチの懐に踏み込んできていて、逃げ切ることは無理や。
もはや、回避は不可能。
このまま横っ腹にキッツイ一撃を喰らうのは確定や。
……普通ならな。
「これで終わりです!」
澪の剣の刀身がウチの胴体に直撃する寸前、
ウチの剣からとぐろを巻くようにして噴き出した8本の風の帯の一つが、澪の刃目掛けてシュッという鋭い風切り音を刻みながら飛び出し、彼女の剣を打ち据える。
「なっ!? 風が私の剣を弾いた!?」
風の帯の薙ぎ払いを受け、澪はたたらを踏んで体勢が崩れる。
剣は風の一撃によりあさっての方向に向いているが、決して剣を離してはいない。
……結構強めに打ち据えたんやけどな。
やけど、驚いたままっちゅうのはいただけんで。
「ええんか?」
瞠目したままの剣士はその言葉でハッと我に返るが、一瞬遅かった。
「隙だらけやで?」
ここはもうウチの間合いや。
「斬り裂け、『八重嵐』」
髭切に纏う風の帯は、先程の一撃で7本になっている。
その7本が太刀筋を読ませないように縦横無尽に軌跡を描きながら、猛然と澪に襲い掛かった。
「風の帯が私に!?」
風の帯は澪に殺到すると共に鋭利な刃にその身を変えて、澪を刻もうと迫る。
だが澪も呆然とそれを待つ程愚かではない。
まず顎先に迫った一撃目の刃をすんでで後ろに下がって危なげなく躱す。
その間に刀を構え直し、脇腹と胸に突っ込んできた二撃、三撃目の刃を素早く切り返す。
搦め手として放った足元に伸びた五撃目も真上からの振り下ろしで斬り払われる。
背後から伸ばした六撃目も身を翻し、振り向けざまの一撃で受け止め切る。
そして、七撃目の刃をも斬り払って全ての攻撃が防ぎ切られる。
風の刃となる風の魔力で生み出した風帯による八撃の剣は防がれた。
「これで、全て防ぎました!」
ウチの攻撃を全部受け止め切った澪は、そこで刀を下ろす愚行をせず視線をウチに向け、ウチの懐に飛び込もうと腰を落とす。
やけど、八重嵐が斬り払われる間に魔力の充填は終わった。
澪の一撃が来るよりも、こちらの一撃の方が早い。
彼女と同様に腰を落とし、刀身に溜め込んだ魔力を解放する。
「『風華一閃』」
刀を横薙ぎに払い、凄まじい勢いで飛翔した風の一閃が澪の持つ刀を吹っ飛ばすべく猛然と迫り、刀を彼方へと吹き飛ばして……
「鳴きなさい、『雷光』」
瞬きする暇も許さない程の速度で振るわれた雷の剣と風の刃が激突し、ウチの一閃が押し負けた。
雷雲から落とされた轟雷の如き一撃を受け、風の剣は形を保てず解けて周囲一帯に爆弾が爆発したと錯覚するような爆風を巻き起こす。
風の余波がウチの体を打ち据え、風に乗って舞った砂埃が目に入り思わず目をこする。
「なんや、雷を纏った剣か!?」
「その通りです」
「っ!?」
背後で聞こえたその声に思わず振り向こうとすると、こちらの首筋に刃が添えられる。
砂煙が消え、いつの間にかウチの背後に回っていた澪にいつでも首を掻き切られてもおかしくない状況に陥っている自分に思わず苦笑する。
「やっぱり強いなあ、アンタは」
「それはこちらの台詞ですよ、姫島殿」
「いやいや、世辞はええって」
「お世辞なんて言っていません。姫島殿の風の『樹宝』の連撃には舌を巻きました。あの変幻自在の剣筋を見切るのは中々骨が折れました」
「見切られとる時点でウチの負けや。アンタのその刀……雷を操る『樹宝』か? ウチの風華一閃をぶった斬ったるやなんて、随分と強い力やな」
首元で光る刀を軽く視線を下げて見下ろし、そう漏らす。
……さっきの風華一閃は相手を殺さんように威力自体は抑えたつもりやけど、あれを紙を切るみたいにスパッと両断するだけの破壊力かいな……。こら、とんでもない相手を相手取る羽目になったもんやな。
ウチは刀を得物にしとるけど剣士相手の実戦経験はそう多くはない。
信者達の中には刀や剣を使う者もいるが、ウチよりも力量は劣るので、自分と同等かそれ以上の剣士と刃を交える経験はアルトの村でゼルダやダガン将軍と日々の稽古の中での模擬戦ぐらいだった。
ダガン将軍の剣は大剣で、ゴブリンロードの彼の一撃は岩をも粉砕する程の怪力なので鍔迫り合いに持ち込もうとすれば確実に押し負けるから攻撃を回避しながら、反撃の機会を窺う戦いがメインになっていた。
ゼルダとの剣術勝負では……完敗しかしていない。
森羅教を統べる首領として腕に自信はあったのだが、それも一瞬で折れてしまう程の圧倒的な力の差がそこにはあった。
真正面から斬り込めばすぐに受け流されてカウンターの一撃を貰い、搦め手を使っても瞬時に見抜かれ剣を斬り払われて地面に尻もちをついて試合終了。
アルトの村最強はアレンかと思っていたが、彼女もアレンに肩を並べるほどの最強の戦士だということを痛感した。
彼らと共に稽古をこなしていくウチに自分も強くなれてきたと思っていたけれど、どうやらまだまだ井の中の蛙だったらしい。
思わず自然と溜め息がこぼれ、喉元に剣を突き付けられている状況にも関わらず悄然と項垂れてしまう。あっ、今チクッと剣が刺さった。
「あ、あの、どうしましたか? 突然落胆したように首を下げてしまわれて? さっきチクッと剣が当たっちゃいましたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫やよ。今ちょっと、上には上がおるっちゅう当たり前のことを失念しとった自分に呆れとるだけやから」
「? よく分かりませんが、これで勝負は終わりです。私の樹宝・『雷光』は剣に雷を纏わせることが出来る魔剣です。風を纏わせて戦う姫島殿の髭切と似た能力ですね。
先程は砂煙に潜みながら隠形の術を使って接近させて頂きました。私にここまでの接近を許した時点でこの勝負は詰みです。どうか、降参をお願い致します」
成程、雷の剣と姿を隠し敵に接近する暗殺者じみた隠形術。
この2つを巧みに組み合わせた戦闘スタイルが、この雷禅寺澪という少女の真骨頂なのだろう。
一対一での勝負ではあちらの方が一枚上手か。
本当なら自分だけの力で勝ちたかったけど、しゃあないな。
ウチは髭切の柄を握る力を強め、刀を横に構え刀身に指を這わせる。
怪訝そうにこちらの行動の意図を掴みあぐねている様子の澪に、斬りかかったりはしないから安心していいという意味合いを込め、少しだけ顔の角度を傾け背後にいる彼女に柔らかな口調で告げる。
「悪いけど、降参は出来んな」
「この状況で逆転の目があるというのですか?」
「あるで。とっておきの奥手がな」
そう言い放った刹那、
「全く、そんなに勿体ぶらなくても助けてあげるから安心しなよ」
上空で従者である火精霊の群れを旋回させてアレンに緊急事態を伝えていたアールタの体が深紅の光の粒子に分解され、ウチの体に溶け込んでいく。
それと同時に、足元に出現した湾曲した曲刀とそれにとぐろを巻くように巻き付く火炎が中央に描かれた深紅の魔法陣の光と共に噴き出した火炎の渦に澪は瞠目し、自身の体が焼かれる前に即座にウチから飛びのいた。
「い、一体何をしたというのですか!?」
目を大きく見開きながら声を上げる澪の狼狽が炎の壁ごしに聞こえる。
それに返事をしようと口を開く頃には魔法陣はウチの体全体を包み終わり破砕音を立てながら砕け散ったところだった。
「ちょっとしたお色直しや。一対一で敵わんだのは悔しいけど、ここからは第2ラウンドとしゃれこもうやないか」
「っ!? 姫島殿、その姿は一体!?」
澪が驚きと警戒心を滲ませながら刀を構え直すのを見て、ウチも剣を両手でしっかりと握り締め、正面に構える。
深紅に染まった髪が、砕けた魔法陣の欠片の余波を受けて風にたなびく。
薄紅色に染まった着物と、真っ赤に燃え盛るような真っ赤な紅蓮色の袴を濡羽色の腰帯でまとめており、帯には火炎色の蝶が餌を求めて羽ばたき舞っている。
肩を防御する為の「袖」と呼ばれる武将が纏う甲冑の肩の部分に位置する防具が両肩に付けられ、赤銅色の硬質な輝きを放っている。
また、肩から羽織るようにして纏っている緋色の羽織には燃え盛る炎のオーラが陽炎のように揺らめていて、覇気のような強烈なプレッシャーを放っている。
そして正面で垂直に構えた髭切が赤く、紅く、朱く、輝く。
炎。
焔。
焱。
業火。
劫火。
豪炎。
獄炎。
火を言い表す言葉は幾つもあるが、そのどれを当てはめればいいのか分からない程、透き通るような透明感のある深紅の火炎が髭切の刀身に燃え盛り、主君に仇なす者を焼き尽くさん勢いで火柱を上げる。
火精霊の女王。
火を統べる精霊の女王をその身に宿し、火炎の化身と変貌を遂げた綴は、緋色に染まった愛刀を握り締め、
「いくで、雷禅寺澪。ウチらの力をとくと目に焼き付けてもらうで」
そう告げ、刀身の周囲の空間をも歪め焼き尽くさんばかりの勢いで燃える炎刃を勢いよく振るった。