第80話 カレンvsゴードン.2(女神暦1567年5月8日/ロクレール支部演習場廃墟エリア)
カレンが魔法を放つと、ゴードンはすかさず錬気功による体術を駆使して威力を軽減させてくる。
相性的にはカレンが圧倒的に不利な状況が続いていた。
だけど……、
「4秒後に右フックのストレート。拳を振り抜いた瞬間に脇腹に一瞬に隙が生じる。そこに魔法を集中砲火し給え」
「了解!」
カレンはゴードンが放った右ストレートを体を仰け反らせて躱すと共に、赤い宝石が先端に輝く魔杖を彼の脇腹に突き付けて、ほぼゼロ距離で放った火球が炸裂する。
「うおっ!? あっつっ!? おいおい、魔導士相手なら勝てると思っていたが、どうなってんだ!?」
ゴードンは『王凱』によって魔法攻撃の威力を軽減させている筈なのに、ゴードンは苦悶の表情を浮かべ、これはたまらんといった様子で後退し、再び間合いが広がる。
ゴードンがクリスタルを破壊する為に私を撃破しようと距離を詰める。
カレンはゴードンの攻撃を後方にいるルイーゼからの助言に従って躱し、カウンターの魔法を打ち込む。
先程からこうした一進一退の戦闘が継続していた。
通常なら、魔法攻撃が中々通用しないゴードン相手にここまで粘ることなんて出来ない。
カレンはそう思っていたし、ゴードンも同様だったと思う。
現に彼は、戦闘開始から10分以上経過した今もカレンに一撃も与えられていない事実に驚いている様子だった。
ゴードンは私の握る杖に視線を固定しつつも、私の後ろで欠伸を漏らしているルイーゼに警戒心を孕んだ気配を滲ませている。
彼が私に攻撃を一切加えられていない元凶である黒髪の少女。
ルイーゼがいなければ、私は既にゴードンにクリスタルを破壊されているだろう。
この状況を読み切っていたとは思えないけれど、この場にルイーゼを残してくれたアレンには感謝し切れない。
ゴードンは左拳を前に、右拳を軽く引いた構えを維持したまま、私を見遣る。
「魔導士相手にここまで手こずったのは随分と久しぶりだよ。かなり優秀なパートナーがいるみたいだな、赤髪のお嬢さん。」
「ええ、それはもう。私には勿体ないぐらいの優秀なパートナーよ」
「……『王凱』は対魔導士戦に特化した気功術だが、体全体に魔力をまんべんなく張り巡らせるこの技は全体攻撃には強い。だが、体全体を包む魔力の膜自体はそれ程分厚い訳じゃない。体のどこか一ヵ所に火力を集中されれば、その部分の膜が壊され『王凱』は崩れる。
それを分かっていたんだろう、黒髪のお嬢さん?」
「その通りだよ。君のその技は魔導士であるカレンにとっては鬼門だが、決して勝てないという理由にはならない。君の筋肉の動きや思考パターンを分析し、次の行動を即座に演算・予測すれば攻撃のタイミングも解析出来る。
また、体全体に流れる魔力の流れを見通せばどこに魔法を集中すれば、その一見堅牢そうな防御術を攻略可能なのかもね」
「簡単そうに言うが、ものの10分程度で俺の攻撃パターンや弱点まで分析してしまうお嬢さんの力は規格外過ぎると思うんだがな……」
「ああ、まあそれは私も同感なんだけどねえ。アレンの『隷属者』」って反則級の能力を持った女の子だらけだから、味方としては頼りになりすぎて本当にありがたいというか…‥」
カレンは悩ましげに額に手を当てるゴードンに同情の視線を向ける。
そりゃ、私が貴方の立場だったら、たまったもんじゃないよね。
つくづくルイーゼが味方で良かった思う。
私がそう感じていると、ルイーゼは片眼鏡モノクルの位置をクイっと指先で押して調節すると、おもむろにピシッと手を挙げる。
すると、上空で火球が爆ぜた。
これでアレンに『魔装化』を発動してほしいという合図が送られて……って、いやいやいや!?
「いきなりすぎない!?」
「むっ、何かねカレン。何故そんな風に泡を喰ったような顔をしている?」
「確かに戦況が芳しくなかったら『魔装化』をアレンにお願いすることになってたけど、何の躊躇もなく合図を送ったよね、ルイーゼ!?」
「さっさと決着を付けなければ私の読書時間が削られる一方ではないかね? ならば、早急に『魔装化』して勝ちにいく方が効率的だろう」
「私情がガッツリ入ってない!? まあ、確かに苦戦してるから『魔装化』するのは問題ないんだけどさ!」
10分以上経過しても戦況が好転せず拮抗状態の現状では、ルイーゼの判断は正しいんだろうけれど、事前に何の合図もなく速攻で上空の火精霊に合図を送った彼女のあくなき読書欲には敵わないなあと思う。
「ならば、問題ないだろう。ほら、いくぞ」
「ええっと、ゴードンさん! タイムです! ちょっとそこで待ってって下さい!」
「う、うむ。先程からのやりとりの子細はよく分からないが、まあいいだろう」
あっ、この人凄く優しい人だ。
ゴードンは拳を下ろして構えを解いてゆったりとした様子になると、ゆっくりと数歩後ずさってこちらの出方を窺う態勢に移った。
自分ながら無茶なお願いをしたと思ったんだけど、律儀にもそれに応えてくれる相手にペコリと頭を下げる。
そんなことをしている内に、ルイーゼの体が黄褐色の光に包まれ、体全体が光の粒子に分解されて私の中に流れ込んでくる。
鎖に縛り付けられた書物が中央に描かれた魔法陣が足元からせり上がり、それが頭頂部までを通り過ぎて砕けた後には、出で立ちが様変わりした私の姿があった。
ルイーゼの魔法陣がレンズに薄く展開されている銀縁の片眼鏡が目元に輝き、肩口まで伸びた黒髪が風になびく。
薄茶色のブレザーと胸元に結んだ黒のリボン、手首までを覆う白手袋、膝下まである白のフレアスカートから伸びた足元にはくすみ一つもない革靴が光沢を放っている。
そして特筆すべきは、私の背に円を描くようにして浮遊している7冊の本だ。
私が錬成・使用可能な7種の魔法属性の数と同じ冊数の本の表紙の中央には強力な魔力を秘めた魔石が取り付けられている。
火炎が躍る赤い装幀の表紙には真紅に輝く宝石が。
津波が大地を飲み込む天災を描いた青色の装幀の本の表紙には青の宝石が。
山々を駆け抜ける疾風の螺旋が渦巻く深緑の色合いの表紙の中央には黄緑色の宝石が。
大地に縦横無尽に走る地割れを描いた表紙の本の中央には橙色の宝石が。
黒雲から様々な軌跡を描いて落ちる雷を描いた表紙の中央には黄色の宝石が。
雪原に悠然と屹立する氷の柱の群れを描いた表紙の中央には水色の宝石が。
何の絵も描かれていない真っ黒な装幀の本の中央には紫色の宝石が。
虹の色彩と同じ輝きを放つ魔導書が円を描きながら、私の背中をゆっくりと回る。
体中から満ちる魔力の波に飲み込まれないよう意識しながら、こちらの変容した姿に驚愕の表情を浮かべながらも隙を見せずに立つゴードンに向けて指先を向ける。
それに反応したかのように赤色の魔導書が円から離れ、私の胸元の辺りに引き寄せられ、ゆっくりとページが開かれていく。
魔導書に手をかざして魔力を注ぎ込み、私は唱える。
「赤の書、第4章『咎人を焼き喰らう三頭狼』」
そう告げた刹那。
地獄の炎の中で暴れ狂う三つ首の冥府の番犬が描かれたページから凄まじい勢いで燃え盛る火炎が噴き出し、火炎の大波の中から大きく顎を開けて咆哮する、地獄の火炎に包まれた巨大な三つの頭を持つ魔狼がゴードン目がけて襲い掛かる。