第33話 ゴブリン軍、侵攻開始!(女神暦1567年5月1日/グレゴール伯爵領東方国境警備隊基地)
砦中の壁や床を濡らす鉄臭いおびただしい量の血。
物言わぬ骸が廊下や階段で重なり合うようにして横たわり、その傍らに血肉と脂で汚れた剣や弓の残骸が無惨に転がっていた。
訳も分からぬ間に絶命したのか、キョトンとした表情を浮かべながら胸に開いた大穴から漏れ出す赤黒い液体を階下に向かって垂れ流すメイド。
頑丈な鋼の甲冑に身を包みながらも、大きく陥没した兜からグシャリと腐った果物のようにグズグズになった中身が零れ出している騎士。
主を守ろうと牙を剥き出しにして襲撃者に襲い掛かったものの、首の骨をへし折られて頭部をあらぬ方向に曲げて息絶える翼竜。
救援信号を出すための信号弾を装填した拳銃に指を這わせ、もう少しで引き金を引けたであろう状態で倒れ伏した首の刎ねられた砦の責任者。
死屍累々の有り様になった砦の二階の渡り廊下をダガンは数名の部下を伴って歩いていた。
砕け散った窓の外を一瞥すると、狂喜乱舞しながらピンクの肉塊を貪り喰らう者達や、宝物庫に蓄えられていた金品や煌びやかな黄金をあしらった装飾品で身綺麗に着飾った者達の喜悦に滲んだ顔がどこまでも広がっていた。
その光景に吐き気と情けなさを感じながら、ダガンは鮮血に染まった回廊を再び歩き始める。
背後に控えていた部下達も慌ててこちらの背中を追って来るが、彼らに労いの言葉一つ掛けてやれぬほど腸が煮えくり返っていた。
(我ら誇り高いゴブリン族が、臆せず自分達に立ち向かってきた者を弔うこともなくその死肉を食い漁り、死人の持ち物を略奪する。我が種族はここまで腐り落ちたか)
ゴブリンは山野で暮らす亜人の一種として人間や他の亜人から認識されてはいるが、その性質は魔物寄りに傾いている。
苔のような緑色の肌、人間の子供程の背丈しかない矮小な矮躯、他種族の女性との交配が可能等、様々な人々から忌避される条件を多く兼ね備えているような種族だ。
理性や知性を有せずに生まれ落ちる獣同然のような個体もいるし、そういった者が人里に下って殺人や強姦を引き起こし、益々ゴブリンという種族は憎悪の対象として長年迫害され続けてきた。
だが世間では化物扱いされている我々ゴブリンも、食料調達や自衛手段の一つとして武器や防具の製造、鋳造したそれらを使いこなすための鍛錬、日常生活を円滑にするための小道具作り等、人間の職人達が行うような鍛冶仕事や針仕事のような手先の器用さを必要とする作業を行うだけの知性も技術を持つ個体がほとんどだ。
戦場では種族としての特徴である矮躯を物ともせずに、徒党を組んで敵を翻弄する集団戦法を駆使して隠れ里を襲う人間達を返り討ちにしてきた。
だが我々は、人間や亜人種の生み出す精巧な道具に驚嘆し、窮地に陥った仲間を何の勝算も持たずに助けに戦場に舞い戻ろうとする蛮勇にも似た彼らの同族への仲間意識には敬意を抱いていた。
自分達の身を守る時だけ他者を殺し、その後は仲間達とその死を悼んで勇猛な勇士の死後の安寧を願う。
職人としても武人としても我らの種族は礼節と誇りを胸に抱いて生き続けてきた。
だが、それは遠い過去の幻想に成り果てたらしい。
高潔な魂や品位。そして、武人としての誇りを持ち合わせた同族が今はどれほど残っているのだろうか……。
陰惨な宴会を血に染まった中庭で開催する同族達に憐憫を込めた双眸を向け、嘆かわしいとばかりに大きく嘆息する。
「ダガン将軍、心中お察し致します」
部下の一人が悲痛な面持ちでこちらを見上げ、こちらを慮るような声音で言った。
自分はゴブリン族の中でも非常に稀なゴブリン・ロードという個体だ。
百三十センチ程しか身長の伸びないゴブリン族において、三メートル以上もの巨体を持つ突然変異体である自分は、このように下から見上げられる視線にも最早慣れたものだ。
飾り気のない無骨な鋼鉄の大鎧を纏った威圧的な威容と、背中に背負った身の丈程の大剣という装備をしているため、ゴブリンの子供達からも大泣きされることもある見た目だが、部下達は物怖じせずにこうして話しかけてくれるのでありがたかった。
「あの馬鹿者共の中に我が部隊の者は混ざっておらんだろうな?」
「当然でございます。この砦の兵士達は我らの襲撃に大きく狼狽し浮足立ってこそしておりましたが、背中を見せることなく剣を取ることを選んだ勇猛な人間達でした」
「うむ。同じ武人として彼らのような勇士と刃を交えられたことは光栄であった」
「はい、我らも久方ぶりに血が騒ぎました」
「だからこそ、あのような勇者を冒涜するような蛮行は目に余る。あの馬鹿騒ぎに興じているのは、ガロンとギアンの隊の者共か?」
「そのようでございます。死者の服を剥ぎ、その血肉を獣のように貪っているのがガロン将軍麾下の部隊。宝物庫の金品をせっせと懐や革袋に詰め込んでいるのがギアン将軍麾下の部隊の者達でしょう」
「ふん、我らに先陣を切らせ、我らが命がけで切り開いた戦場に我が物顔でのこのこ現れた分際で。面倒な戦は我らに押し付け、自分達は戦後の死体漁りや略奪にご執心か。あのような者が上に立っておるから、我が種族の腐敗は止まるどころか加速する一方なのだ」
「随分と生意気な口を利くではないか、臆病者風情が」
「戦場に敬意や礼節などといったくだらない物を持ち込むのは、あまり賢いとは思えませんよダガン」
侮蔑を含んだ嘲笑を上げながら廊下の奥から現れた二人の姿に、ダガンとその部下達は渋面する。
「ガロンとギアンか。部下達の凶行を諫めることもせずに、こんな所で何をしている?」
「王にこれからの侵攻計画の具申をしに行くのさ。砦は無事に落城させたが、当初の予定に狂いが出て来たからな」
「この東の山脈のどこかに強大な魔力を秘めた魔女達の住む隠れ里がある筈なのですよ。彼女達を捕え我らの子を産んでもらえば、我がギルドは更に闇の世界で躍進することが可能となるのです。これからガロンと共に里の捜索と壊滅の許可を王より頂きたいと思いまして」
「また貴様らはそのような蛮行に手を染めるつもりか! 人間の女達を攫って孕ませる等、貴様らは一族の誇りにどれだけ泥を塗れば気が済む!」
「はん、誇りなんぞで子孫不足で衰退の一途を辿る俺達が救われるか。闇ギルドに身を堕としてでも、強靭な子供を産む素養を持った女共を確保するのが一族の為になるんだよ」
「その通りです。ダガン、貴方はカビの生えた古臭い因習や魂に囚われ過ぎているのですよ。力で弱者をねじ伏せその体や財を思うがままに支配することの一体何が不満だというのですか?」
小馬鹿にした態度で鼻を鳴らす両者に、背後の部下が気色ばんでピリッとした雰囲気を醸し出す。
それを片手で制しながら、ダガンは忌々しげに歯ぎしりする。
前王が逝去し、新たな王が即位してこいつらが将軍の座に収まって以降、このような愚考に染まり増長する同族達が増加した。
ガロンは、一切の防具を纏わず色褪せた腰布と背中に背負った大槌だけという出で立ちだが、分厚い筋肉が隆起した精強な硬い肌が鉄壁の防御力を誇っており、桁外れの膂力で振るわれる大槌の一撃は俺でも防ぐだけで精一杯だ。
ギアンは、俺とガロンに比べると華奢で非力そうな体格だ。貝の肝を潰して染めた紫色の法衣を纏い、霊木から削り出した木杖を携えている。
彼はゴブリン族の中でもごく少数程度しかいない、魔法を行使できる突然変異体だ。
狡猾かつ残忍な性格で、陰惨な計画を数多く立案し、現王の即位に批判的だった反対勢力を駆逐した参謀役として王に重宝されている。
前王が玉座に座していた頃より将軍の座に君臨していた俺と今や同格の地位に居座っているこいつらは、事あるごとに俺や部下達を見下した態度を取るので、まともに相手をするだけで疲労が蓄積してくる。
だが、ギルド全体が人間の女性達を拉致し、自分達の子を孕ませて一族の繁栄を取り戻そうなどというくだらない愚策に舵を切った今、自分達しか彼らを諫める者しかいない。
ここはどれだけ侮蔑されようとも、こいつらに俺の意見をぶつけてやる。
そう決意し、重い口を開けようとした刹那、
「うるせえぞ、テメエら。テメエで戦場に立つ気概もねえ半端もんが、偉そうな口聞いてんじゃねえ、クズ共が」
「冥華さんは、相変わらず口が悪いですね。もう少し貞淑さというものを身に付けた方がよいのではないですかな?」
「テメエもくだらねえ戯言をほざいてんじゃねえぞ、アリステス」
「おおっ、怖い怖い。というか、貴女は私の護衛として来ているんですから、そんなおっかない眼光で睨まないでくださいよ」
明らかにガロンとギアンに対する愚弄を口走った少女と、仰々しい仕草で目元を白手袋を付けた両手で覆う少年の二人組が、ダガンの後ろから現れた。
少女は死肉を食い漁る烏のような濡羽色の髪を肩口まで乱雑に切り揃え、目元には紅色のアイシャドーを塗っている。
豊満な胸元を強調するような大きく谷間が露出した唐紅色のチャイナドレス風の中華服、スリットの入ったミニスカートに黒革のブーツ等、女性としての色香をふんだんに醸し出すような衣装を纏いながらも、頭頂部から足首の少し上辺りまで伸びる漆黒の外套を羽織っていて、黒革の手袋を付けた手にはポタポタと赤黒い雫を垂らす毒蜘蛛を想起させるような赤椿色の刀身をした刀を握り締めていた。
そして、アリステスと呼ばれた白髪の少年は黒いタキシードと赤いリボンを巻き付けたシルクハットという道化師じみた格好をしており、ヘラヘラと緊張感の欠片もない笑みを浮かべていた。
彼らの登場に大きく狼狽した様子のガロンとギアンだが、悔しげに拳を握り締めたガロンとは対照的に、揉み手をしながらへりくだった笑みを素早く張り付かせたギアンは、不機嫌そうに眉を顰めている少女に頭を下げた。
「これはこれは、屍冥華様にアリステス様。偉大なる『狂焔の夜会』の【冥炎十二将】に名を連ねるお二人ではございませんか」
「やあ、ギアン君。とりあえず、砦陥落おめでとうと言っておこうかな。断崖絶壁の山々の頂上に築かれた砦を一時間もかけずに攻め落とすとは、中々の手腕じゃないか」
「アリステス、褒める相手を間違えんじゃねえ。城攻めに参加したのはそこの大剣ぶら下げたゴブリンとその手下共、そしてこの俺だろうが。山の下の海岸に停泊させた船の中で安穏と過ごしてたそこのクズ二人じゃねえだろうが」
「そ、それについては適材適所と申しますか……。客将である冥華様のお手を煩わせてしまったのは大変心苦しく思っておりま……」
「見え透いたおべっかなんかいらねえんだよ。俺は、正々堂々砦の奴らに真っ向から向かっていったそこのゴブリン共を見て興が乗ったから戯れで参戦しただけだ」
そこで、不満を隠す気などサラサラないガロンが怒気を含んだ荒々しい口調で、
「この東の山脈に隠れ住んでる魔女共の巣窟を探す上で目障りな砦の始末に協力してくれたことには礼を言うが、アンタが砦にいた女共を一人残らず斬り殺さなきゃ、今頃はアイツらで楽しい遊びができたんだ! それから、その血は一体誰のもんだ!」
「汚らわしい畜生共の棒で刺し貫かれる女共が不憫そうだと思ったから、全員屍にしてやっただけだ。この血は、さっき向こうの使用人の小部屋で裸に剥いたメイドの死体相手に腰を振ろうとしてた馬鹿がいたから、軽く首を刎ねた時のもんさ」
「なっ!? それは俺の部隊の者ではないのか!? それに女共を犯すことに異論があるのなら、我がギルドの方策と反するのではないか!?」
「正直に言えば、テメエらのやろうとしてることは胸糞悪いが、『狂焔の夜会』に盾突かねえ限りは傘下ギルドがどこで何しようが勝手なのがうちのギルドの方針だ。だが、最初から漁夫の利狙いの安全圏内で胡坐をかいてたテメエらの腑抜けた姿が癇に障った。戦で堂々と勝ち取った物なら好きにすればいいが、今回はそこの二人の態度が気に入らなかったから俺のやりたいようにやっただけだ。魔女の隠れ里とやらも、テメエらが陣頭指揮を取って戦場を駆けて攻め落とすのなら、文句も手出しもしねえよ」
「……チッ!」
「……」
腹立たしげに目を吊り上げて悪態をつくガロンと、申し訳なさそうに頭を下げながらも口元を苛立たしげに真一文字に結んでいるギアンが、彼女を疎ましく感じているのはダガンと部下達にも容易に察せられた。
しかし、『十二冥座』最大規模の勢力を誇る『狂焔の夜会』から訳あって出向してきた大幹部相手に刃向う訳にもいかず、グッと怒りを押し殺しているのだろう。
その様子には多少溜飲が下がる思いもあるが、この少女に刃を向ければ即座に首を刎ね飛ばされることは砦攻めの際に身に染みて理解した。
夜叉のように向かって来る兵士を血祭りに上げながら、命乞いするメイド達の胸に容赦なく刃を突き立てる姿には、正直背筋が凍る思いだった。
絶対に敵に回してはならない相手だと直感した。
現状ではガロンとギアンよりは気に入られてはいるようだが、何をきっかけに機嫌を損ねるか分かったものではない。
触らぬ神に祟りなし。
過度な接触は持たないようにしなければ。
「そういや、砦から六百体程のゴブリン共が麓の方へ下山していくのがチラッと見えたが、どこに向かったんだ?」
「ふんっ、アンタが女共を皆殺しにしてくれたおかげで興ざめしたからな。麓町のピゾナとかいう集落の女共を攫って来るように部下共に命じただけさ」
「ガロン、貴様またそうな愚かなことをっ!?」
ダガンが再び声を荒げ、その部下達もその怒声につられて腰元の剣に手を伸ばしそうになるが、
「そういうことなら、俺も見学に行くとするか」
「き、貴様っ!? まさか、また妨害する算段ではないだろうな!?」
「ちげえよ、馬鹿が。獲物のいねえこんな場所にいても、退屈なだけだからな。暇潰しにお前の部下共のお手並みでも観戦しに行くだけだ」
「お~い、冥華さんは僕の護衛役でしょう? 護衛が護衛対象を放置して、自由気ままにお出かけはないんじゃないですか?」
アリステスが心細そうな声を上げながら、腰をくねらせる。
だが、その気弱そうな笑みは完全に作り笑いだとダガンは思った。
大した戦闘能力もなさそうな少年だが、これでも『狂焔の夜会』の幹部だ。
常人が幾ら束になっても一瞬で肉塊にすり潰されるだけの未来しか与えられないような、化物の一人であることは疑いようがない。
「うるせえな。テメエも末席とはいえ数字持ちだろうが。テメエの身ぐらいテメエで守れ」
「もう、またそんなこと言って。近頃は物騒なんですよ。最近では、僕らの傘下ギルドだった『従僕せし餓狼』だってアリーシャ騎士団領で壊滅させられたし」
「あんなガキ共を掻っ攫うことしか能のねえゴミギルドなんざ、潰れようが痛くも痒くもねえだろうが」
「いやでも、ギルドマスターのジルベスターさんを倒した人なんだけどさ、結構変わった戦術を使う少年らしいんだよね。ジルベスターさんからの定期連絡が途絶えたから、色々調査していたら、そんな情報が出てきてね。冥華さんも、興味あるんじゃない?」
そうからかい混じりな笑顔を向けてくるアリステスという少年の視線に眉を寄せていた冥華という少女は、返り血に染まった愛刀の血を少年の服の袖で乱雑に拭い取り、「ああっ!? この服結構高いんだよ!?」と声高な悲鳴を上げる彼をガン無視すると、鞘に音もなく刀を納刀した。
そして、興味なさげな冷ややかな微笑を漏らす。
「そいつがどれだけの手練れか知らねえが、俺と対等以上に渡り合えるだけの力量なんざ持ち合わせちゃいねえだろうさ。だが仮に、そいつが俺の剣の動きについてこれるだけの力があるとすれば……」
口元を獰猛に歪めた濡羽色の髪の戦鬼は、愛刀の柄を軽く撫で、
「それだけ強い奴がいるのなら、一度心ゆくまで殺し合いをしてみたいもんだぜ」
「隊長! ピゾナの町の方角から黒煙が立ち昇っています!」
「何ですって!?」
砦を翼竜に騎乗して出立してから、数十分後。
俺達はエリーゼが率いる護送部隊が操る翼竜の背中に同乗させてもらいながら(アールタは魔法の絨毯の上で胡坐をかきながら空を飛んでいる)、グレゴール伯爵の居城を目指していたが、隊列の右側を飛行していた兵士が西の方角から昇る黒煙を首からぶら下げた双眼鏡で確認すると、一度状況確認のためにピゾナという西の山脈の山裾にあるという町に寄り道をすることになった。
巧みに翼竜の進行方向を変更させたエリーゼの背後から、眼下に広がる町を俯瞰した俺は思わず息を飲んだ。
町全体を包囲する謎の軍勢が展開しており、巨大な槌で打ち壊れた町の外壁からは鎧を纏った緑色の肌をした小柄な亜人達が町の中に雪崩れ込んでいて、逃げ回る市民達の背中に刃を突き立てて惨殺していた。
応戦している常駐軍の兵士達も奮闘してはいるが、圧倒的な数の暴力を前に少しずつ前線が瓦解していくのが上空からだとよく分かった。
市民達は大慌てで市壁の外へ逃れようと駆けているが、何とか壁の外へ飛び出すことに成功した者達も外で待ち構えていた亜人達に嬲り殺しにされていく。
だが一方的な虐殺を行っている反面、何故か女性達は羽交い絞めにされて町の中で鹵獲した馬車の荷台に無理矢理押し込まれていて、虐殺の魔の手からは逃れていた。
「町を襲っているのはゴブリンよ! 貴方達の情報通り、『ゴブリン・キングダム』の侵攻が始まったみたいね!」
「隊長、救援に向かうにしても、敵は圧倒的な数です! 増援を呼びに行きましょう!」
「そんな悠長なことをしていたら、町の住民は全滅よ! だけど、確かに今の私の戦力では勝ち目はないし……」
エリーゼがそう歯がゆそうに歯を噛み締める。
彼女の悔しげな反応を背後から見遣ると、俺は眼下の戦場をひたと見据える。
無抵抗なまま頭をメイスで砕かれて絶命した老人の姿が見えた。
瓦礫の下敷きになった両親を助け出そうと、巨大な柱を必死に持ち上げようと涙を流しながら腰を屈める青年の姿が見えた。
泣き叫びながらゴブリン達に荒縄で体を拘束され、荷物のように馬車の中へ放り投げられた少女の姿が見えた。
背中を袈裟斬りにされながらも、一歩も引かずに一人でも多くの市民を逃がそうと剣を振り続ける兵士の姿が見えた。
そんな地獄絵図のような血生臭い光景を目に焼き付けながら、素早く町全体に視線を這わせる。
(正確な人数は分からないけれど、およそ六百人以上といったところか)
町の外で布陣しているのは二百人。町の中を蹂躙しているのは四百人。
内訳としてはこんな感じか。
確かに奴らとこちらの人数を考えれば、圧倒的に頭数が足りていない。
このまま乗り込んでいったところで、勝機は万に一つもないだろう。
普通ならば。
「……アールタ」
「何だい、少年」
「……二百人任せてもいいか?」
「なっ、まさかアレン!? あの町の民衆を救いに行くつもりか!? この人数では救援は絶望的だ。時間は足りないかもしれないが、一度近くの基地に着陸して増援部隊を送ってもらうべきだ!」
俺がこれから何をしようとしているのか察した様子のゼルダは慌てた様子で俺に忠告を飛ばしてくる。
彼女の意見がこの場にいる者達の答えを代弁してくれているのが分かった。
そして、彼女が必死にこちらの身を案じてくれているのは嫌というほど理解できた。
しかしながら、増援を待っていればあの町は確実に滅ぶ。
連れ去られた女性達がどのような仕打ちを受けるのかは、既に分かり切っている。
俺達はそれを防ぐためにこの国を訪れたのだから。
そして、彼女の優しさを払いのけるかのような真似を今からやろうとしている自分の行動が正しいのかは分からない。
だけど、ここでじっと静観しているだけなのはどうしても我慢ならなかった。
後で頬を張り倒されるかもしれない。
死ぬほど激昂した彼女のお説教を延々と浴びせられるかもしれない。
泣かせたくないと思った彼女に、再び涙を流させるかもしれない。
どうせ聞こえはしないだろう。
しかし俺は、アルトの村で平穏な生活を送っていた頃に何度も口にした言葉を呟くことに決めた。
転落防止の役目を果たしている器具の金具に手を添え、
「いってきます」
俺はそう言い残して、体を固定していた金具を外し眼下に広がる戦場へと落ちて行った。
「えっ、嘘でしょ!?」
「アレン!?」
「アレン様!?」
慌てふためく少女達の悲鳴が一瞬で風切り音で掻き消え、重力に引かれるがままに大地に向かって近づいていく。
だが、俺の体がグチャグチャに潰れることはないと完全に悟っていた。
そして、俺の想像通りにそれは来た。
地面の固い感触とは完全に別物の、フカフカとした質感の物体に体が受け止められ、地上への自然落下が終焉を迎える。
「全く、相変わらず無鉄砲な真似を平気でするんだよねえ、少年は」
空飛ぶ絨毯の上で呆れかえった表情を浮かべるアールタに俺は頭を下げる。
「悪いな、毎回危険な場所に連れてきちまって。だけど、自分が安全な場所からあの町を見下ろし続けているのは、どうしても嫌だったんだ」
「少年なら無策でもあの場所に飛び込んでいくのは手に取るように察せられたけど、全てが終わった後にゼルダには全力で土下座でもした方がいいと思うよ。彼女、心労で気絶しそうなくらい顔面蒼白だった。よっぽど、少年のことを心配してるんじゃないのかな」
「……ああ。あの町の人達を救い終えたら、死ぬほど謝るつもりだ。許してもらえるかは分からないけれどな」
「まあ、土下座の結果がどうなるかは分からないけれど、とりあえずはあの町のゴブリン達を一掃する方が先決かな。僕が外壁の外にいる二百人、少年が町の中で暴れ回ってる四百人を担当ってことで本当にいいんだね?」
「それでいい。俺を町のどこかに下ろしたら、アールタはすぐに町の外で布陣しているゴブリン達を倒して町の人達の脱出経路を作ってくれ」
「了解! それじゃあ、一気に飛ばすよ!」
俺とアールタを乗せた絨毯は、血風と甲高い悲鳴と雄叫びが入り混じった混沌とした戦場へと一気に加速した。
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
今回のお話はシリーズの中でも一番の長文になってしまいましたので、読むのが大変だと感じられた方もいらっしゃるかもしれません。
最近のお話は基本的にバトルなしでアレンの活躍の機会もほとんどなかったので、この辺りで彼には大暴れしてほしいと思い、色々と詰め込んでいった結果長々とした文章になってしまいました。
次話でのアレンの活躍も読んで頂けると、幸いです。
次話もお付き合い頂けると、非常に嬉しいです。