第31話 砦を目指せ(女神暦1567年5月1日/アリーシャ騎士団ルルピナ駐屯地)
「いや~、昨夜の夕餉のジビエ料理とやらは中々美味かった」
「ああ、獣肉って独特の臭みが強いイメージがあったけど、全然食べやすかったな」
「血抜きや臭み抜きの工程が丁寧だったのだろう。私も久しぶりに食べたが、癖になりそうな味だな」
「私も国で狩りはしてたけど、あんなに上手に料理できなかったから少し悔しいなあ」
アールタを召喚し、彼女の晩酌に付き合いながらこれまでの経緯を説明した日の翌日。
駐屯地の食堂での朝食の席で、上機嫌にひよこ豆のスープを口に運ぶアールタ。
俺達も彼女と同様に、あっさりとした塩気のスープを腹に収める。
厨房から漂って来る香辛料を効かせた肉を焼く香ばしい香りが食堂にまで漂ってきて、エルザがヒクヒクと鼻をひくつかせて反応しているのが面白かった。
俺達が朝食の席に着いて歓談と食事を楽しんでいると、朝方の訓練に向かう騎士達がせわしなく鹿肉のスープを胃に流し込んで食堂を足早に出ていく姿や、夜勤明けでげっそりとした若い騎士が寝ぼけ眼で黒パンをもそもそ齧る姿が多く見られるようになり、駐屯地所属の騎士達の一日がほんの少し垣間見ることができた。
「今日この後の予定だが、朝食後に荷物をまとめてドロギア山脈の登頂を目指すことになる」
「あの山を登るんだよね? 登山道みたいな整地された道とかあるの?」
「登山家や地元の猟師が山を行き来するための道がある。途中まではそこを通るが、中腹辺りで獣道に逸れて尾根付近にあるグレゴール伯爵領の砦に向かう」
「砦まで楽に行けるルートはないのか?」
「以前はあったが、ペルテ国王が奴隷達の国外逃亡を防ぐために封鎖してしまったんだ。人間が通らなくなったことで魔物の巣も蔓延るようになったらしいから、そこを通るのは得策ではないな」
胡桃入りのパンの優しい甘みに頬を緩めつつ、昨日見た山脈の威容を思い返す。
山の稜線は天高い位置から下界を見下ろしていて、岩肌が剥き出しになった岩壁が旅人の行く手を阻むような険しい環境だった。
頂上からの景色はさぞ絶景で、気候条件が揃えば雲海を楽しむこともできるかもしれないが、その頂上に辿り着くまでの道行きは激しく暗鬱なものになりそうだ。
これから待ち構える過酷な登山ツアーに皆が憂鬱そうに表情を歪める中、熊肉の赤ワイン煮込みをペロリと完食したアールタが、
「皆はあの山の上にある砦とやら行きたいんだろう? なら、飛んでいけばいいじゃないか?」
皆が一様に首を傾げる中、アールタに修練場に来るように言われた俺達は、腰元に紐で括りつけていた小ぶりのランプを手に取る。
アラビア風の衣装に身を包んだ深紅の髪の少女はランプの縁を優しく撫で、「開錠」と短く口にする。
その刹那、ランプの注ぎ口の部分から白煙が濛々と立ち込め、瞬く間に周囲一帯がホワイトアウトする。
「おい、アールタ! 煙出しすぎじゃないのか!? これじゃあボヤ騒ぎだと勘違いした騎士達が一目散に向かって来るぞ!」
「あははっ、ごめんごめん。久しぶりに使ったから加減を間違えちゃったよ。でも、僕が取り出したかった物はちゃんと出て来たから大目にくれ」
茶目っ気のある笑みを浮かべて視線を逸らすアールタに半目を向けながらも、彼女が顎で示した場所に視線を移す。
最初はハンカチで口元を覆って煙を吸い込まないようにしているゼルダの姿も白くぼやけていたが、充満していた白煙は徐々に風に流されて霧散していき、周囲の様子も十分確認できるようになった。
そして、アールタが示した地面の上でフワフワと浮かぶ布のような物の輪郭も鮮明に浮き彫りになってきた。
それは唐草模様のデザインの赤地の絨毯で、イランの伝統的な美術工芸品であるペルシャ絨毯に酷似していた。
それだけなら優秀な職人が織った高級絨毯だが、一般的な住宅のリビング程の大きさの面積を誇る幅広の形状、重力に逆らって宙に滞空し続ける姿がただの絨毯ではないことを如実に物語っていた。
「アールタ、これは? こんなアイテム持ってたっけ?」
「そういえば少年に見せるのは初めてだったね。中々召喚されないものだから久方ぶりに自分の宮殿の蔵の大掃除をしていた時に見つけたんだ。箪笥の肥やしにしていてすっかり忘れていたよ」
「アレンの『隷属者』は不思議な能力や道具を持っている者が多いと思ってはいたが、彼女も例には漏れないようだな。つまり、これに乗って砦にひとっ飛びという算段なのだろう?」
「ご明察だ。あの山がどれだけ険しいとしても、空からならば行く手を阻む物は何もない」
「この絨毯、私達全員が乗れるの? 重量オーバーで落ちたりしない?」
エルザが若干不安そうに挙手する。
確かに、途中で重量過多で地上にパラシュートなしのスカイダイビングをする羽目になれば、笑いごとではない。
「その懸念は当然のことだと思うが、この絨毯は荷物をたっぷり背負った馬や牛を十頭程乗せても沈み込むことのない一品だ。快適で安全な空の旅を保証しよう」
アールタは自信満々に豊満な胸を張り、俺達を手招きした。
「ふう、到着だな。ほら、君達降りたまえ。ここからは歩きだ」
アールタのその声で真っ先に地面に降り立ったのは、先程まで絨毯のど真ん中でブルブルと抱き合って震えていたエルザと奴隷の少女だった。
空を飛んでいる間は顔面蒼白だったものの、地面の固い感触に人心地付いたのか、ホッと胸をなで下ろして、「やっぱり地面に足が付いてる方が落ち着く!」と何度もその場でジャンプして喜びを露わにする。
「むむっ、エルザには空の旅がお気に召さなかったようだ」
「アールタが途中で渡り鳥の群れと競争なんてしなければ、かなり恐怖心が緩和されたと思うけどな」
「急加速した時は少年やゼルダも歓声を上げて大喜びしていたじゃないか?」
「「怖すぎて悲鳴を上げてたんだ!!」」
口を揃えて反論する俺とゼルダ。
空飛ぶ絨毯の乗り心地は非常に良かった。
絨毯の生地の質が良いのか肌触りも滑らかで、飛行中は大きな揺れもなくバランスも安定していた。
鳥の視点で眼下に広がる大地を俯瞰するのも、中々体験できるものではなかったので、俺とゼルダは中空からの眺望に感嘆の声を漏らした。
だが絨毯の側を滑空していった渡り鳥達に負けじとアールタが速度を上げて以降は、エルザと同様に絨毯の中央で震えるしかなくてマジでビビった。
アールタは抗議の声にばつが悪そうにしながらも再度ランプを取り出し、注ぎ口から噴き出す白煙に包み込まれた絨毯は霧のように薄れて消え去り、ランプの注ぎ口に再び吸い込まれていった。
「まあ、目的地には無事に辿り着けたのだから文句はないだろう?」
「それに関しては礼を言うけどさ。アールタがいなければ、危険な山岳地帯をヒイヒイ言いながら登ることになっただろうし」
「ああ、本来なら一日がかりで踏破する道のりをショートカットできたことは非常にありがたい。世話になった。ありがとう、アールタ」
アールタが絨毯を出してくれなければ、今頃はまだ山脈の中腹にも差し掛かってすらいない地点をトボトボ歩いていただろう。
そんな苦労をせずに砦の近くの岩場の陰にまで辿り着くことができたのだから、それについては感謝はしなければならない。
俺達がそう口にすると、小声で「う~ん、多少は僕もやりすぎた感は否めなかったから申し訳ない事をしてしまったかな」と所在無さげに呟いていたアールタも、調子を取り戻したのか意気揚々とした態度に戻り、
「そ、そうかそうか! まあ、僕も久々に空を飛んで気分が高揚し過ぎてしまったのは事実だから、それについては謝罪しようじゃないか。ここからは徒歩で砦に向かうのだろう?」
「ああ、いきなり絨毯に乗って砦の前に乗り付ける訳にはいかないからな。この場所から十分も掛からないから、すぐに到着するだろう」
「すんなりと中に通してくれるかな」
「我々が冒険者ギルドの仕事として伯爵領に赴くのは事実だから、何も問題はない筈だ。それに、伯爵領で攫われた子供を保護していると言えば、無下にされることはないだろう」
ゼルダはエルザ達の側に歩み寄り、「体調に問題はないか?」と温和な声音で問いかけ、二人が元気に首を縦に振ったのを見て頬を綻ばせる。
「それでは行くとしよう」
グレゴール伯爵領の砦は、頑強な石造りの堅固な外観だった。
城壁の上には数台の砲台や、熱した油を敵に頭から被せるための大鍋が備えられており、狭間と呼ばれる弓矢を放つための小さな穴が壁に開いていて、侵入者を迎撃するための設備も城門の前に立つこちらからも確認できた。
尾根伝いに横長に伸びる砦の正面の門の前に辿り着いた俺達は、城門の側にある詰所に向かうことにした。
詰所の木戸を軽くノックし、「すみません、誰かいませんか」と声を張り上げた。
すると、何やら室内から慌ただしい足音が響き始め、中から寝癖で所々毛先が跳ねた薄紫色の髪の少女が飛び出して来て、大きく息を飲んだ。
「これは驚いた。騎士団領側の門に訪ねてくる人間なんて随分と久しぶりだよ。こっち側の門の守衛をしてると暇で暇でね。つい船を漕いでしまっていたんだよね」
「突然来訪してしまいすみません。俺達は『四葉の御旗』という冒険者ギルドの人間なんですが、この先のマルトリア王国のグレゴール伯爵領に行きたいんですが」
「はいはい、入国希望の方ね。まあ、騎士団領側の山から来られたんだから当然か。身分証明書みたいな物とかあります? 一応規則で『世界樹連合』未加盟国の政治関係者とかは原則入国させちゃいけないことになっててね。別に疑ってる訳じゃないから、気分を害されたらごめんなさいね」
「いや、別に構わないよ。冒険者の登録カードでも構わないかな?」
ゼルダが懐から、自分と俺の冒険者カードを取り出した。
俺もカザンのギルド会館で発行してもらったので、この世界での身分を示す場面に遭遇しても大きく動じることはなくなった。
だが問題は……。
「ええ。それじゃあ拝見させて頂きますね。そちらの三人は身分証明書の類はお持ちですか?」
守衛と思しき少女は、俺とゼルダの背後に立つエルザ達を見遣り、温厚そうな声で声を掛けた。
だが、奴隷であったエルザ達や俺の『隷属者』であるアールタは当然のことながら身分証明書等は持っていない。
本来であれば、国境を通過することはできない。
だが、拉致された自国の民を送り届けに来た俺達はこのまま門前払いを食らうことはないと思う。
「実はこの三人は身分証明書は持っていないんです」
「あら、そうなの? だと、この門の先に進んでもらうのはかなり厳しくなっちゃうんだけど……」
「実は俺達はとある依頼で伯爵領に向かう途中でして、依頼人は明かせませんが、こういった依頼内容を受諾しているんです。一度、目を通して貰えないでしょうか?」
そう言って俺は、事前にアイテムストレージから取り出しておいた二枚の書類を守衛の少女に手渡す。
それは首都ライオネットのギルド会館で即日発行してもらったクエスト受諾書と、『ゴブリン・キングダム』による伯爵領襲撃に関する情報が記載された紙だ。
前者は第三者に誰が誰にどのような依頼を頼んだのかが書類を紛失した際に洩れないよう、有料で依頼人の欄を特殊な薬品で閲覧できないように加工しているので、騎士団領を治めるアリーシャからの依頼だとバレる恐れはない(薬品の除去方法はギルド連合のトップシークレットで、覗き見することも不可能らしい)。
後者は、俺とゼルダが個人的な理由で潜り込んだオークション会場で『従僕せし餓狼』のガイオンを捕えた際に漏らした情報を元に書類にまとめ、グレゴール伯爵にこの情報を渡すために国境を越えさせてほしいという記載がしてあった(情報を入手した経緯は異なってはいるが、全てが嘘という訳でもないのでこれで押し通すつもりだ)。
きっとこれを一読してもらえば、問題なく門を通過できる筈だ。
そして案の定、書類に目を通した少女は大きく目を見開いて、
「『従僕せし餓狼』に誘拐されていた伯爵領の子供の保護に、ゴブリン達の襲撃!? とんでもない情報じゃないこれ!?」
「そこに記載されている情報は事実です。私達は子供を親元に送り届けた後に、グレゴール伯爵との謁見をお願いしたいと思い、ここまで赴いたのです」
「ギルド会館の確認印や署名も問題ないし、こちらの書類にも『ゴブリン・キングダム』襲撃に関する情報が事細かにまとめてある。偽装された物でもないようですし、貴方達の言い分は正しいと見て間違いなさそうですね」
薄紫色の髪の少女はその場で背筋を伸ばし、右手を額に当てて敬礼の姿勢を取ると、
「我が国の民を保護して頂いたことに感謝致します。私はこの砦の責任者をしております、エリーゼ=ファクトゥールと申します。まずは、皆様中へお入りください。そこで詳しい事情を聞かせて頂きたいと思います」
最後までお読み頂き、本当にありがとうございました。
次話以降からは、アリーシャ騎士団領を離れた異国の地でのアレン達の冒険が本格的に始まっていく予定です。
次話もお付き合い頂けると、非常に嬉しいです。