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諭す誘惑

リナとおばさん達は急いで、村長宅へと向かった。

 リナは一体何が起こっているのか、考えが頭の中で錯綜し、混乱していた。

 本当にあの二人が? いったい何が目的で?

 もし、もしあの時話した仮定が現実のものになったら、本当に殺せるの?

 考えが巡る、巡るが、一向に答えは出ない。

 村長宅には人だかりが出来ていた。

 小さな村だ、情報が回るのは早い。

 人だかりをかきわけて進んだ先には、あの二人と村長が立っていて、その前には一人の盗賊が縄で縛られていた。

 二人組の片方、黒髪の男、ユーリはこちらに気づくと、


「やぁ、ニナ」


 笑顔を見せた。

 その笑顔は夕方に見せた笑顔と同じで、人の好さそうな印象を与える。だから、今あの人の目の前にある事実が、信じられない。

 彼の手に持たれているのは武骨なナイフだ。松明の火の光を浴びて、刀身が光っている。

 そして、不意にその光が消えた。


「拾うんだ、リナ」

「え?」


 ユーリさんが私の足元を指さしている。その先を見れば、先ほどまで彼の手にあったナイフが、地面に刺さっていた。

 ナイフは小さな音を立てると、すぐに地面から抜けた。もう少し抵抗があると思っていたから、尻餅をついてしまう。

 ……重い。

 ナイフを手に取った時、周囲からざわめきが聞こえた。でも、そんなものはどうでもいい。

 ナイフは光を反射する。良く磨かれている様で、少し眩しかった。

 



 ユーリは、こちらに歩くニナを見た。

 緊張しているのか、顔が強張っている。背は丸くなり前傾姿勢を取っており、ナイフの刃先は震えている。そして、彼女の目はじっと盗賊を見ていた。

 瞳が揺れている。火に当てられてそう見えるのか、感情があふれ出ているせいかは分からない。

 今、分かるのは彼女がナイフを持って、盗賊を殺そうとしている事ぐらいだ。

 隣にいる村長は彼女の姿を見て、驚いた様だ。

 

「ニ、ニナちゃん……」


 信じられない、といった風に目を開いている。

 きっと、ニナはいい子なのだろう。利発でよく大人のいう事を聞く優しい少女。

 彼女がナイフを持った時にざわめいた村人は、そんな彼女の一面に気を取られ、もう一つの側面に気づかなかったのだろうか。

 迷惑をかけまいと自身の中に感情を溜め込んでいく。

 いや、おそらくその事には気づいていたのだろう。

 ただ、溜め込んだ感情を、負の思いを実行する意思があると見抜けなかった。

 それだけだ。

 

「村長、手出しは無用だ。これは彼女の問題で、俺が受けた依頼だ」

「ですが、あんな風に思いつめたあの子は見たことがない! このままでは……!」

「そうなるかもな」


 ユーリは村長の言葉を切り捨てた。

 ニナという少女のこれからを考える村長は、こんなことは許せないのだろう。少女がこれから起こそうとする殺害を、黙ってみるという行為は。

 周囲のざわめきはますます大きくなっていく。いつ、誰が止めに入るかは分からない。

 そして、止められたという事が果たして彼女の為になるのかどうかも。

 ニナは、もう盗賊の目の前にまでやってきている。




「ニナちゃん、辞めるんだよ! そんなことしても、何にもならないだろう!?」


 誰かが声をかけている。どうでもいい。

 目の前には、お父さんとお母さんを殺した盗賊、その一人が座っている。

 彼の顔は歪んでいた。体液にまみれて、嗚咽を漏らして、命乞いの言葉を発している。

 憎い。

 この人がお父さん達を殺した人なのかは知らない。この人が変わり果てたお父さん達を連れてきた奴らの中にいたかは分からない。

 こいつは盗賊だ。お父さんたちを殺した、幸せを奪った奴らだ。

 殺してやる。殺してやる!

 はやる気持ちは、手先に出る。ナイフが揺れて、

 

「辞めなって言ってるだろ!」


 おばさんが肩を抑えた。彼女は前に回り込み、目を向かい合わせる。

表情は険しく、汗にぬれていた。


「こんな事やっても意味なんかないよ! 目ぇ覚ましな!」

「だったら、どうしたらいいの!?」


 叫んだ。我慢できずに叫んでしまった。

 目の前がチカチカする。頭に血が上っていくのが、これ以上おばさんと話してたら、取り返しのつかない事になるのが分かる。

 でも、もう止まらない。


「今、あいつを殺さなかったら、今度は私がやられる! 仲間を連れて戻ってくる! そしたら、皆皆死んじゃうよ!?」

「そ、それは……」

「それとも、あの人達に頼む? お前たちが捕まえてきたんだから、最後までやれって。そんなの、あの人たちの気まぐれでどうとでもなるじゃん! おばさん言ってたよね、あの人たちは絶対強いって。すごいね、本当に言ったとおりだもん! 私たちの前に、一人連れてきてくれたよ」


 矢次早に言葉は紡がれていく。

 気持ちが逸り、言葉に思考が追い付いていない。何を言ったのかは、言った後に理解する。

 おばさんの顔は、どんどん曇っていく。

ごめんね、おばさん。私ずっと我慢してた。


「私、殺されてるんだよ。お父さんとお母さんを」

「ニ、ニナちゃん……」

「どいてよ、おばさん」


 おばさんを押しのけると、震え上がった男をもう一度目にできた。

 少しほほがこけ、無精ひげが生えた顔、短く切られた髪、その臆病な目。

 すべてが憎い。

 膝をつき、ナイフを構え、前に押し出した。

 抵抗はなかった。

断ち切るような音と、何かが溢れる音。それと熱い物に触れた感覚を得た。

耳には、断続的な呟きの様な音が粘つくように聞こえる。

ナイフを引き抜くと、盗賊は前のめりに倒れていく。

私は、目があった様な気がした。



 ニナが泣いている。

 押し殺すように、静かに肩を震わせながら泣いている。

 誰も、彼女に近寄れずにいた。説得していた受付嬢も、顔を背けている。

 

「ニナ」


 声をかけると、肩が震えた。

彼女は今、どんな心境なのだろう。

 足を進め、傍に座る。

盗賊の血が付こうが、構うものか。


「気分はどうだ。すっきりしたか?」

 

 震えている小さな体の横、置かれたナイフを手に取る。

 これは五年前、魔王と戦った時に持っていたナイフだ。竜の骨、祝福を受けたミスリルをドワーフが加工した一品。

 これがあれば、人の身体など少女でも貫ける。

 グルディアスが荷袋の中から取り出したのだが、良く取っていたものだ。


「……です」


 か細い声が聞こえる。

 彼女の手についた血をぬぐう。やはり、手も震えている。

 顔はのぞき込めない。


「最悪です……」


 雫が落ち続け、地面に後を作る前に血と混ざる。

 もう、ここまで流れてきたのか。

 

「立てるか?」


 聞くと、首を横に振られた。

 背中とひざ裏に手を回し、抱きかかえる。抵抗はされない。

 胸元に小さな頭が寄りかかり、両手が服を掴んだ。

 村長に目配せをすると、彼は俺たちを家まで迎え入れてくれた。

 



 村長の家の一室に、ニナを預けると、俺は村長に呼ばれる。

 向かうと、そこにはグルディアスと村長がいた。

 グルディアスはいつも通り目を閉じた仏頂面、村長は歩きまわっている。

 彼は俺に気づくと、


「あなたはなんてことを……してくれたのですか」

「責任は持つ」

「責任!?」


 胸ぐらをつかまれる。

 目が血走り、鼻息を荒くした村長が俺を壁に叩きつける。

 息を切らし、


「何が責任だ! 貴方はここを出ていくのだろう!? そんなあなたに何が出来るんだ! それとも。盗賊を全員殺してくるとでも言うのか?」


 馬鹿馬鹿しい、と彼は吐き捨て、乱暴に座る。

 すると、グルディアスの目が開いた。


「この男なら可能だ」

「は、いったい何を……」

「嘘ではない」


 じっと見つめるグルディアスに、村長は気圧される。

 

「おい、グルディアス」

「なんだ、どうせやるのだろう」


 その通りだ。ニナが殺さずとも、俺が殺していた。

 すでに死んだあの男からは、盗賊の居場所も聞いている。

 何人で、どいつがボスかという事も。

 村長に向き直り、


「ああ、俺が盗賊を全員殺す。だから、待っててくれ」


 今回の旅は、極力面倒ごとにはかかわりたくない。

 だが、今回は別だ。

 自分が原因の一つとなったからには、全力で解決しよう。


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