「所詮は、その程度か?」って技術を極めつくした果ての、所詮は解脱とか色々できないレベルのモノであることに気づいてしまうということ
無限に無尽蔵に娯楽を生み出す源泉の、限界値をヴィジョンとして技術を極めつくす前に気づいてしまう感覚とか、などなどについて語ろうか
俺が求めるのは、不老不死で永遠に生きれるルートがあったとしても
そのルートを切り捨てて真に求められるような、そんなモンである。
そうでなければ外道に堕ちしまうのだから、絶対に心の底から真に求め続けなくては絶対にいけない。
そして前提から逆算すると、一瞬にして無限大の娯楽を生み出し、
一瞬にして超速に、光速を超えて加速し、加速し続けて臨界を突破して天元を、真理を得るようなモノでなければ、
絶対に駄目だ。
当然だろう、本末転倒的に、現実に絶対にありえないようなモノを生み出さなければ、
本来的な意味も価値も絶無にないのだ。
そうみると技術を極める事にも、膨大なストレスが掛かってくる。
所詮は無意味で無価値なのだ、だって不可能なのだから、絶対に至れないのが真理なのだから。
それでも真理を求めて生きるなら、死なないのなら、技術を極めて到達できない真理の、
僅かでも近くに接近しなければ、絶対に成らないだけなのだ、だけれどもだ。
全てが徒労で無価値で無意味であり、何の価値も意義も有価値なモノは絶無にありえないのだが。
生きる為に、生きる理由として、価値として、真理を求めているのだが、絶対に真理には届かない前提がある。
それでも真理に届かないのに、なぜ真理に近づくことを望みえるのか? それは生きているからだが、
生きるのなら、絶無に無意味で無価値でも、真理というモノに到達できると、錯覚して馬鹿になって、
真理に向かって邁進するような有様が、僅かでも価値や意味があると思い込んでいるとしか、ほとんど言いようがないのだろう。
バカらしくて、本当にやってられない、こんな人生には本当に意味も価値も僅かたりとも、本当にあり得ないのだから、嫌になる。
さっさと、この心底から下らな過ぎる、吐き気を催し反吐が出る、最低最悪しか存在しない、
真理とは真逆の、逆真理のような、この世の地獄や煉獄しか存在しない、この現実は絶無に消滅すれば、まだマシなのだが。
そんな事を想っても、この最低最悪な現実は無くならない、真理が無ければ、絶対に駄目なのだ。
それゆえの絶対的な真理だ、真理の強度は真理以外の全てによって担保されている、だからこそ生きている限りは真理に縋るしかない、
真理が無ければ無間地獄があるだけだ、無限に不可逆な不幸、永遠に一生這い上がれない最底辺の煉獄の人生を一生永久に輪廻し続けるだけだからだ。
無限に求め続けられる究極点、特異点、無限の引力を秘める強度、概念情報質量、それが真理なのだろう???
www、そんなモノが、この世にあるわけがねーだろうがぁっwww!!!
誰でも分かる、この世に真理はない、神はない、オカルトが普通に考えて絶対にないように、普通に無いのが真理だろう。
あるのはただ、そのような真理のようなモノに熱狂して生の衝動を持てるだけ、ただの人間の脳の機能という、そういうモノだけなのだが???
真理は絶対にない、絶対に絶対に絶対に、絶対にない、いくら言っても足りない位に、絶対にないから、
もう人間として生きる事は絶対に出来ないのだ、端的に分かり易く言えば、絶対的な絶望状態と言えば分かり良いだろうか???
この最低最悪な逆真理のような現実は、本当に根底から、どうしようもない、というような確信があるのだ、
真に俺はコレに関しては確信に満ち溢れている、あるいは馬鹿や妄信や錯覚や執念とか、そのようなモノを結集して思い込んでいるのかもしれんが。
だが、真理が無い、という真理はある、コレは確実にある、断言できる。
真理があれば真理はあるし、真理が無ければ真理が無い、という真理はあるという事だ。
この世に絶対はない、ということは絶対にない、ということは絶対にある、とかいう系統の循環的な無限論法による特異点の出現方法である、実に分かり易い。
でも無意味だ、所詮は逆真理だ、真理じゃないから。
この世は無意味だという真理、この世は無限に続く煉獄である、というたぐいの真理、誰も救われない。
発狂しても終わらないし、死んでも終わらない、全てを一掃する真理を求めるしかない、その真理が無いと気づいている既に。
生きているとは何か? 真理を得る為だ、真理は無いのだ、真理を与えてくれる裏技のような神様も絶対に居ないのだが???
幾ら否定されても諦めない真理を求める心があるだけなのだ、その現実を既に悟りきっている、少なくとも、つもりなのだが???
そう、バカな人間が、バカな私が、俺が、ココに居る、この文章を書いているという事だ、実に下らないし救われない、至極、何の意味も価値も無い。
分かりきっていることだ。




