徒然なるエッセイ ‐英語は覚えようとすると、逆に覚えられない
覚えようとすると、単語の意味が分からないと、調べてしまう
この調べてしまう知的欲求、知的好奇心が、本当に覚えるのに大幅なブレーキを掛ける
と、少なくとも自分は個人的に凄く思った
逆に英語を覚えるつもりが、さらさらない、一生つかわないから、どうでもいい
その前提で、英語に強制的に触れさせる
見る機会がメチャクチャに多いような感じになると、逆に覚えられるというか
覚える効率や効果性、というか安定性、記憶率の出力が高いというか、印象に残る?
いや違うか?
どうでもいいからこそ、分からないことがあっても全スルーして
とにかく量を圧倒的にこなすことができる、可能になる
というか、本当に英語学習において、分からないことがあったら納得できない
分からない単語が一単語でもあると絶対に調べて、
意味やニュアンスを英語の場合は沢山あるので一つ一つに目を通したくなり
場合によっては、単語の意味や用法
助詞や副詞的な意味まで幅広く把握しようとする
だが、コレが実は本当に、実用面ではあまり重要でなく
後から使ってる時にでも実用の場で覚えたい、改めて覚えた方が良いのに
実用場面に移行してないのに、そういう実用場面になってから困るような
そういう英語の用法的なモノまで事前に全部把握、記憶しようとするから
なにかと悪い
そして、そういう知識を得ようとすると膨大な時間が掛かり、非効率で
仮にすべて記憶できても、最後から最初に掛けて、せいぜい記憶できて実用に堪えるのは
10パーとか?30パーとか、とにかく効率が悪い
赤ちゃんの覚え方を例に挙げると、膨大なモノを覚えるつもりもないのに聞き
自然と全自動で類推と推測と関連付けと
脳の素晴らしい作用で言語を覚えているのだろうが
コレを今を生きる大人がやるにはどうするべきか
このように考える必要が必然性として、あるのだろうと考えると分かり良い
か? つまり、英語を覚えるつもりがなくても、関連付けられる情報をもとにたくさん触れる
理想は英語から日本語に翻訳した情報を沢山触れる、英文読解から入るのがよく、
文法も最低限は知る必要があるが、パターンを知ったらあとはノリで良い
どうしても引っかかる所は、そもそも引っかかっちゃ駄目なのだが、それでも引っかかるという事は、
そこは大事な頻出するモノとして、あらためて覚える必要なあるモノなので、よいかもしれない
よくないかもしれないが、とにかく英文読解で、膨大な文章量を読むことによって
文章のパターンや、単語の関連付けもできたりする
スペルを覚えるのに音で意味付けするのも、個人的には使える手法かもしれない、これは個人差があるかもしれない、
おのおのの効率的な記憶法をぜひ活用してほしいと思われる