本文は小説です‐しかし、所詮は物語は、情報エーテルを生み出すだけ
読んでください、お願いします、、、なんでもしますから
さて、「物語とは」? 真理的な命題である
これから私は、小説を書こうと思います。
はい、今書いてます。
こうと思う事はないのですが、なにせ、今リアルタイムで読んでいる貴方に、伝えたい事があるのです
私は、日頃見たことや感じた事、それらに無頓着です。
日常的に思った事も、特にはありません
それでも、私が漠然と抱く、この気持ちを、分かって欲しいなってくらいには、思っています
えっと、素直に成ります、読んでください
貴方に、私の書く文章を、どうしても、どうしようもなく、読んでほしいのです
はい、確かに、欲望としては、絶対のモノではありません
正直になれば、読んでもらっても、読んでもらわなくても、どっちでも良いと、断じても良いくらいです
でも絶対の心の天秤というモノがあれば、
私は私の書く文章が、貴方に見られたいと、絶対値で思っているのです
だから読んで、読んでください、お願いします、、、、、
と、わたしは文章で貴方に懇願する事しか、なんにもできません
つまり、私の書く文章は、私の文章を貴方に読んでもらいたい、そういう純粋に研ぎ澄まされた思いのみで構成されていると、
そう思っていただいて、100%の精度で、確度で、問題ありません。
私は私を、誰かに見てもらいたい、わかってほしい、のですよ
私は、今、ある人に、小説を書いてくれと、懇願されているのです。
その人は、私の小説を読みたいと、そう言ってくれたのです。
つまりこれは、彼もまた、どちらかといえば100%、確かな精度で、確度で
他人である私を知りたい、
そして私は、彼に知られたい、
なんといか感無量な心地なのです、この相互理解の欲求ほど、素晴らしいモノは無いのではないかと思うほどです
そうですよね?
私は胸を張って言います、宣言します
私は、貴方に、私を少しでも、最小単位でも良い、知って欲しいのです
知って理解して、欲しいのです
たしかに、私なんて知っても、無価値で、無意味で、なんの面白味も無いのかもしれません
それでも、私は知って欲しいのです
こんな無価値で無意味で、小さい私を、貴方に知って欲しいのです
私の方は、一切求めません
貴方がどれだけ小さい人でも、無価値で無意味な人でも、知って欲しいと思います
逆に、どれだけ無限大の価値と意味があっても、同じように、冷淡に淡白に、ただただ知って欲しいとしか、思いません
思わないのですが、、、
私は今、文章を書く事を、強要されています。
私は、私を表現する場所として、文章には限界を感じたので、書きたくなかったのですが。
正直に本音を言うなら、私は私を、世界に描き続けているのです、
私の文章を読むよりも、読んでくれる人が世界を最大限謳歌するのが、一番の私の理解なのです。
つまり、私の文章を読むよりも、なおそれ以上に、私の文章を読んだ事になるのです。
それでも私は文章を書きます。
傍に、私の文章を読みたい人が、読ませろ、書かせろとウザたく言うので、書いているのです。
私は、愛されています。
確かな精度で100%、
だってこの人は、私の為に全てを捧げてくれています
それを真なる愛と言わずに、なんと言うのでしょうか?
これ以上のモノは、不確かに、必要がありません。
愛し愛されて、そこから育まれるモノ以上に、素晴らしいモノなんて、この世界に絶無にありえないのですから。
そんな内容を、私は描きたいと思いました。
そう、愛が綴る物語です。
多少は私も、彼との愛瀬を書き綴るなんて、痛いのかな?って思います。
それでも、これが私の最終回答、これ以外に、これが普通なのかなと思えるモノが、一切合財ありえないのですから。




