オレが俺という作者を語る‐しかし、所詮は物語は、情報エーテルを生み出すだけだ
また真理的な話になってしまうわけだが
よおおおおおおおおおすっ!!!!
まいどお馴染み、オレだぜぇっ!!!(だーーーーん!ダン!!!!!!椅子をおもっきし引いて/椅子に座る音
なになに!!!面白そうな物語を書いてるじゃないかあああ!!!
特に詠唱みたいなパートは良いぜぇ!!! 独自言語は雰囲気重視の邪気眼中二チックなノリだけで魅せるタイプのモンと相性ガン上げよおおお!!
さーーーーてタイトルの通り、、、しかし、所詮は物語は、情報エーテルを生み出すだけだ。
なにも否定してる訳でも肯定してる訳でもねえぜ?? ありのまま事実として、だぜ?
俺は思うんだが、本質的な価値と意味に等価交換できる、真に真なる対価を、そこからは生み出せない?
物語って奴は常に”リアル熱量のみ”が、、、、 つまり何が言いたいかと言うと、
”この脳内妄想でしか絶対的にありえない現実を、どうやって実際に起こってるリアルだと、バカの一つ覚えみたいに読者をバカのように錯覚させるか”
ってプロセスをキッチリと確立するかが、突き抜けて大事かって
そう! 一線超えたガン上げ要素だと、常々オレって奴は思い続けているんだが、
まあ小説談議に花咲かせるバカな俺の語りを聞いてくれやぁ~~~、
じゃあ脳内妄想の何がいけない? 、なぜか? オレは結論として、
それは所詮は力の根源・源として機能する、真に真なる世界、からは絶対的に乖離しているから、だと推論した、
なんの根拠も無いが、どうも人間って奴はリアルと感じれない、所詮は格下で低廉なホログラムのような、
自分の対面する現実レベルで”物語”を”痛感”できないと駄目らしい、
俺たちの生きる”このリアル”現実って奴は割かし高性能すぎるらしい、常に現実は現実すら超越して痛いほど味あわせてくれる色々だ、例えるなら超現実、!
その基準でなにごとも運営されていないと、絶対的に立ち行かないって事だぜぇ!??
どう足掻いても絶望ってなッ!!! オリジナルのファイル名からソレを名付けるなら、、”人生”!!
所詮は紙ペラに書かれた文字でしかねえ、こんな小説物語には絶対的に不可能なほどに困難だが、
そこには人間の生命が宿っていないと絶対的にダメなんだろうぜ! ファッキンってな!
この物語は確実にオレの現実世界から、隔絶して乖離した世界から、見られている、
つまりは紛れもねえ”超現実”!だぜ!
この遠く果てすら、”全部”ぶっ飛んで超越した、この世界から観測されて、初めて意味と価値を与えられる、
そう、つまりは偽物以外の何物でもない!
逆説的だが、現実を超越する為に偽物の現実になり、結果として目的達成したという、頭可笑しくなきゃ使えん裏技チートみたいな奴だなッ!!!
だからこそ、そこまで頭キテ、初めて物語には、
この作者の奇跡は、奇跡的に奇跡的な加護をもった、絶対的な奇跡として機能し、事実オレからも”そう”観測できてしまう、魔法の魔性。
それはきっと、この作者が確固として、”私”と同じ体を持つ人間だから、ってなッ!!
だから、そこには実態も無く、意味も価値も無く、作者の脳内妄想のはずなのに、
不思議・不可思議、、、このその呪いは、どうやって生まれるのか?
解読ができないからこそ、
永遠に永劫が輪舞する、虚ろな無我、
世界から乖離したはずの、実態の無いはずの心を所持し、果てなる場所から確かに此方を意識できる、
頂上としか言えない、
超常、
常に超越し続ける、果てなる果ての果ての先の果ての果て、、、
それが同じような近似にして非なる、絶妙なバランスと天秤の均衡の、
できる限り高次元で在ってほしい、価値観を持った、愛しい他人って奴なんだと、そう思う。
そう、俺が持つまがい物の、見せかけの奇跡じゃない、
絶妙な技巧に基づく、解読されないギリギリの、解読されたら、さらに謎を設定して、奇跡を奇跡として認識させて、絶対に解読させない。
それなのに、なぜか一定で解読が可能で、情報と魅力を与え続けて読み続けられる、
そうだ、人間は美しい幻想的な奇跡を求める、
でも理解不能だからこそ、そこに神聖なモノを感じる、人間を超越した何か、意識を感応する事ができる。
この作者のは恐らくソレだ、恐らく孤独で孤高、
人々の合間の営みで生き続ける人間、大規模ネットワークにはできない、
単体だからこその、意図的な個人一点に収束した、先鋭的な個性に基づくオリジナリティーな言語だ。




