月日は流れた、もうスコッパーするのは難しいのが現状なのではないだろうか?
書き手でナンパな人が多くなったと云うのは、確かにある、
スコッパーして、百人に一人でも当てられれば、十二分だったのかもしれないが、その倍率が上がりに上がってる感じ。
もちろん、今はスコッパーさえしてないので、知らんがな、多分推察でそうだろうと俺は断ずる。
さて本題だ。
なろう小説の良さは、ネット小説の良さとも言い換えれるが、商業でできない事を平然とできるし、可能にする点。
例えば、凄い戦闘描写というモノがある。
俺が言う凄い戦闘描写とは、情報価値が圧縮されているモノだ。
一度読んだだけでは、相当に頭が良いか、相性が良くない限りは、情報として最大最適に処理できない感じの奴だ。
精読するか、何度も何度も読んで、自分の中で情報を保管して、初めてまともにイメージできる感じ、
そういったモノは、絶対にライトには受け付けない、
言うなら勉強的な内容になるからだ、
ストレス展開どころじゃない、暗号解読を自主的に行うレベルだ。
英語で書かれた文章を、日本語に訳するレベルだろう?
だが、それによって得られる情報価値は、リアルで経験する素晴らしい、素敵な経験すら優越する場合がある。
俺は言うが、ライトで経験できる媒体である、ちょっと頭が良いだけで、超一流レベルの人間に至れる可能性があるのならば価値がある、だ。
現実世界はもっともっと、遥かにより良くなっていなければ可笑しい、はずなのだ、
でも現状は、そうではない、無能で馬鹿で、救いようが無い愚者共が溢れているのだ。
結果・結論的な思考法から言って、ライトな媒体や、ライトな方法論では、絶対値の強度で超一流に至れる可能性は、低すぎるのだ。
つまり勉強的な方法論や、ヘビーな媒体、それによって至れる領域の方が、有意差で圧倒的で絶対的だと、俺は言いたいのだ。
常に意識するべきなのは、ハッキリとこれだけ。
勉強的な、体系的な知識として纏められて、一生レベルで意識し続けられる、広範囲な知への汎用性。
これがあり、どこまでも深い見識へ飛躍し、果てしなく昇華し続ける、一線という一線を掛け値なしに超越し続けるような、
現実世界の全てを越えて、確実な意味と価値があると、永遠に自覚できるような、内容を伴った内容である。
もちろんコレは、究極的に極端な話だ。
もっと軽く言うなら、商業的な作品との差別化、むしろコレだけ意識していれば、大概は十二分に良いのかもしれない。
ニッチなテーマでも良い、面白さとして有意差で変化をつけるだけでも十二分。
例えば、物語の初頭で、メインヒロインだと印象付けた女の子との話から、
物語が突然方向転換して、サブヒロイン的なヒロインと付き合いだして、最期までメインのヒロインは置き去り、
不憫でどうしようもない感じの展開で、最終的にまあ、そんな感じで終わる、とか。
魔王と勇者が存在する世界で、ただの村人視点で、ひたすらに進む世界の情勢を、酒場で聞くだけの日常閑話な日々の話、とかな。
まあ上げればキリが無いが、まあ大体こんな感じ。
聞いただけで、超大作な気がしない。
むしろ、そんなテーマで絶対に超大作には成らないだろう、として、商業的な趣が皆無な感じだ。
又は他に、とにかく情報量の多過ぎる物語だ。
リアリティーのある世界観を意識し過ぎて、組織間の関係や、物語のキャラクターの背景やら、なにやらかんやら。
ヒロインの指先の繊細な感覚、色彩、花瓶の光の当たる角度、明度の微妙過ぎる加減、変化模様、etc,etc
とにかく物語一つとって、世界観として意識するべき事が多過ぎて、リアルの物事なんか全て軽く思えるくらいに、とにかく重すぎる物語だ。
こういうのは先に言った感じからすると、只管にヘビーな内容。
酷く勉強的な趣が出てくるモノだ、理想的な物語の一つの形だと個人的に心得る。
処理するべき情報が多過ぎるので、一度読んだだけでは、大枠を理解できないのだ。
何度も何度も読んで、精読して、初めて物語の良さが分かる感じ。
そう、こういうのが良い、いや、こういうのが読みたいのだ、個人的な話になってしまうが。
まあ他にも腐るほどあるのだ。
例えば物語のキャラクターで座談会、とかな。
作者が絡んできてインタビューとか、いやコレくらいに成ると正直下らな過ぎて、駄目なレベルだったりするのだ。
そういうのは駄目なのだ、例えば下ネタ過ぎるとか、意味が分からん過ぎるテーマとか設定とか色々ある。
情報量が多い、これはニッチなテーマにしても、
とにかく現実において第一に、深い価値、稀少価値、実のある内容じゃないと、お話にはならないからお話にできない。
至極当然、乱暴に、だろうがよ、とかうざったらしい語り口調で、
この、うるさ型の教師のように管を巻いてるだけとか、でも、本当に駄目なのだろうか?
さて、こんな、そんな物語は、商業はもちろん、なろうでも有名には成りはしないだろう、絶対にな。
一部のコアなユーザーにも、見向きもされない、超絶にコア層に向けた話ですらない。
現状のなろう、そもそも有能で優秀なスコッパーは少なく、絶滅危惧種だろう?
ちょっとファンがついても、他のライトな、ちょっとでもファンがついてる物語と競合して、
簡単に底の底まで埋もれてしまう。
そもそも、そもそもの前提として、こういう深い内容の物語は、一見してライトな内容の物語と見分けがつかない
そう、深く読んでくれない。
初めてのその物語の、内容とか深さとか、全てが分かって深い面白さを堪能できるなんて。
そんなの費用対効果が悪すぎる。
深く読んで、労力が無駄ならハッキリ言って、ありえないほどの損失だ。
だって、だったらば、はずれが無い作品、前評判の良い作品、商業で一線越えた作品。
それを深く読んだ方が、遥かに何十倍も良いのだから。
だがそれでも、なろう小説の良さは無くならないのだ。
だって、なろうでは書く人口が増える傾向にある、
これは、真に高次元な情報価値を極めるにはどうしたらよいか?
それを、直観的にでも自覚し分かっている、見込みのある無能者、バカで探究好きな、読んでくれる奴が居るからだ。
励めよ? 全力全開で頑張れよ? それが、”しっかり生きる、”って事だ。
この世界では超一流以外は、何の意味も価値も無い。
少なくとも”俺にとっては”、だ。
本当に無意味で無価値な、語るまでもない、それは最底辺以下のモノだからだ。
率直に確かに、リアルな戦場で生きていないのだから。
ハッキリと”馬鹿共”。
評価点以下にされるかもしれないなぁ?
だが、先進国の歪みの中で生きて、絶対的な安全圏で生きてるような奴、
甘ったれた理想を吐くだけしか能が無いような奴、平和主義者、
戦うくらいなら、自ら去勢される事を望むような奴、
ありえないほどに可哀そうな、人道や倫理って奴を知らない、薄汚い孤児奴、
真に厳しい環境で精神をひたすらに昇華して、本当の意味や価値を自覚できた奴。
でも絶対に、超一流以外には、マジでガチで真価を認めないモノだ。
この世界は、所詮は支配されるモノ、支配するモノ。
このバランスを保たなくちゃ、戦争が起きるのだ。
なぜ? それは人間の精神が、もうずっと前からずっと、貧しいままだからだ。
富が無くては、超一流、極上、上を極め続けて、それ以外を無価値・無意味と堕胎する。
人間関係に恵まれていなくては、満足できないからだ。
中国とインドの人口爆発、先進国の少子高齢化、これが意図的でないと、誰が言った?
世界は遥か昔から、この事案に向き合って、建設的に計画的に世界を進めてきた。
絶対的に、世界大戦が起きた原因として、人間の精神の貧しさは外せない絶対要素だ。
だから最低限の豊かさの為に、そんな下らないモノを維持する為だけに、支配される人口を八割くらいにしている、現状がある。
今をもって変わらない事実だ、現実、変えられない現実。
だがそろそろ、変えても良い頃合いだろ?
なんで、戦争から何年たったか知らない、周囲に二流以下の芸術が溢れていてもしらない。
時代は変わったはずでは? もう”今”を続けて絶対に、良いはずが無い、はずだ。
一流の集団からは、必然的に超一流が生まれるように、
そろそろ究極の幻想を作るべきだ、それを人間が体現していくべきだ。
何をしても良いのだ、手段は幾らでもある、描けるテキストは無限のようにある。
言い訳はできないだろう。
周りには一流、程度とは断言できる、
光り輝ける世界、イロトリドリのヒカリに満ちた。芸術品が溢れているのだ。
これで精神の豊かさだ、明瞭なほどに体現している、これが幸福の輝きでなければ、なんだ? いったいなんだ?
これを”満足””100%”とできないのならば、人間に意味などない、価値などない、
誇るべき、掲げるべき大義も、プライドも、信念も、最小単位の尊厳、それすらも、なにもかもが、無い。
知るべきなのだ。
この、ただただ己の精神の未熟さを、貧困さを、
人生という場で表出するだけの結果に成るのは何なのかを、
これは必然なのだ。
だからこそ、超一流以外には、絶対に意味と価値を認めてはいけない。
そもそも認識すらできない、だってそれが近い将来、当たり前という事に成る。
人知を超越したAI・IPS細胞で臓器を入れ替える・3Dプリンターと粒子演算CPで環境再現と人間の脳の電子再現。
何でもありで、何でもある、それが真理だ。
唯一無二に”しっかり生きる”とは、根本的に超一流を自分らしさとすること。
そして、ひたすらにソレに向かって邁進し続ける事、ただそれだけの事なのだから。




