言語はゴミの様なツールだ、何も伝わらないカス
こんな情報で伝えられるのは、たかが知れてるのだ
第一に情報量が少なすぎるのだ
だから受容する読者、お前が、無上なほどに増幅して感応しなくちゃいけないって、
その時点で駄目だろ、こんな文章おわっている
どれだけのモノが伝えられるのだろうか? 馬鹿が期待なんてしてねーよ、くそ言語がくたばれ!っ
そもそもが人生はゴミだ
俺は愛する存在を過去、無上に凌辱されて、不幸と苦痛の果てに無くしたのだから
だから割に合わないのだ、人生がゴミでなければ
究極的にいえば、不幸でない、不幸がない、人生がゴミでないなど、それ以外、絶対に認められないのだ
まあ逆にいえば、人生とモノガタリが無上に素晴らしければ、帳消しにしてやっても良いって事にもなる
しかし、そんな理想の様な絶対の価値は、こんなクソゴミのような世界には欠片も存在しえない
どれだけ無上の価値が出現しても、それを上回るカウンターとしての価値が、この世界には存在する法則の様なモノがあるのだ
少なくとも、俺はそういう世界観を、絶対の強度で確信させられている、他ならない、この世界の全てによって
つまり、なんだかと言うと、この先の人生において俺がどれだけ幸福になったところで、意味も価値もない
既に過去に、無上の、すべてを飲みつくすほどの、圧倒的で絶対的な不幸を経験しているのだから
ありとあらゆる幸福は、砂漠に水を落とすようなモノ、ですらない
俺の実感的には、なんの慰みにもならない、と、確信できる領域に、俺の精神自体があるのだ
この世界も、そこにある物語も何もかも、ただ存在するだけで、無上の不幸を産出し続ける
それだけの為に在る
少なくとも、俺にはそのように、眼前の全ては常時、見え続けているのだ、った




