原理的にライトノベルしか存在しえないのだからライトノベルを極めよ
ライトノベルの対義語として、重い本を上げたい。
俺は思うのだが、そもそもがそんなモノは絶対に存在しない。
読んだ瞬間に発狂できるような、禁書のような言語媒体は、これから先も永遠に絶対に存在しないと断言しよう。
空想上の文学的な、無上の喜びを与えてくれるような、芸術の果てってのは机上の空論だ、そんなモンは存在しない。
所詮は情報だ、数値的な戦闘能力、人間が己の肉体の全てをフルに使って、ただ文字情報を創造するだけに尽きるのだから、これは必然だろう?
俺は俺の成せることしか、人間の成せる事を認めん、
想像できるからといって、実現可能とする訳ではない、それが机上の空論だと断言しているのだ。
だが、そんな世界がいつまでも続くと思っていたら、大間違いだろう。
世界は絶対にインフレして、産業革命のように推移する。
高水準なエロ漫画がインフレして、当然のようになったが如く、
超一流の人間だって一般化する、
電脳空間の粒子演算された3Dプリンターで、人間の、魂の複製だって可能になるのだからな。
聖域は拡散し、世界全体が聖域として機能する、
だが、そうは絶対に成らないだろう。
世界は崩壊と破綻を絶対に嫌うのだから。
世界には管理者、支配する存在が厳然と存在する。
なんやかんやで、一線超えてインフレしないようになっているのだ。
物理現象としては実現可能でも、宇宙に表現されるべき容量を圧倒的に超えている物理現象は、世界の全てによって存在が阻止されるのだろう?
俺は知っているのだ、世界が世界として機能する以上は、このインフレ現象の阻止すら考慮して、全てを成さないといけないのだ。
無限に娯楽を極めるような題材は存在しない。
ギリギリで一線を越えないような、適度なバランスを極めた、秀作や神作品が、どうやら創作・想像をする上で、絶対的に第一に必要となる要件だろう。
たとえば、萌え死ぬほどの、萌えキャラは、イメージとして崩壊・破綻しているので、題材にしない方が良い。
適度に萌えて、適度に萎えて、創作・想像する上で、実現可能性が高く、
創作の難易度的にも色々はかどるように、世界の根底の仕組みが成っている事を心得るべきなのだ、第一に。
もちろんチャンスはある、飽和している領域、題材においては、一線を越える発想が必然として生まれるモノだ。




