ライトノベル無くなっても良いとか言ってる奴はコア向けを読んでから言え
ハッキリ言って、言語媒体の娯楽だけが、
他の刺激が強すぎて、長時間の継続的な使用が不可能な媒体の中では、現状は最上位である。
他の刺激が低い媒体は、使えるモノもあるにはあるが、汎用性が低く、応用性も同様、
知的な娯楽としての奥行きが、制限されがちなのである。
前提として、”そういう媒体”、なのだ。
つまりは漫画やアニメ、ゲームのような、純粋な刺激としての、情報強度を極めるモンじゃないのだ。
この媒体は”馬鹿では楽しめない”、頭の使い方的にライト層は根本的に視野に入れてないのだ。
一生を建設的に成長していけるタイプの、人間的に最低限の素養が備わっている奴らを対象とするのだろう。
だが、絶対的に必要な媒体情報でも、商売として成立させる為には、ライト層も取り込まないとダメである。
一生を下働きに費やし、人間的に腐りきる事が確定しているような、そういう方向けのライトノベルも必要なのだ。
それこそがライト向けだ。
美麗な挿絵で、空想的で幻想的な夢を魅せてくれるような、
刹那的な快楽やら悦楽に特化した、未来が無い、それも当然だ、未来を考える必要が無い奴らに向けているのだから。
俺が言いたいのは、そういうライト向けのライトノベルを見てるだけで、ライトノベルの評価を下すな、という事だ。
超一流のライトノベルは、確かに存在する、
それは無限大に楽しいし、一切の腐敗を許さず、どう考えても栄光しかないような、
人類の先進的な英知の結晶として在って、世界を秩序的に構築するのに、多大に貢献していると俺は確信する。
これは挿絵の無い、一般書籍では絶対になしえない事だ。
ライトノベルは、その性質上、アニメの有用な原作にも成るし、最近では特に漫画の原作にも成ったりして、有益な波及効果が物凄いのだ。
さらに言えば、一生下働きが確定しているような無能な人間も、
ライトノベルを切欠にして、超天才レベルの何かを掴むかもしれないと、俺は思っていたり、思っていなかったりする。
だが実際は、そう簡単じゃない、人間は積み重ねのみが全てなのだ、そんな簡単に逆転できるなら、格差社会も階級の固定も無いもんだ。
無能な人間は、本当に現実世界の人生において、醜く生きるか、死ぬかしか、本当に選択肢が無いのだ。
不正をしたり、外道・鬼畜・極悪人な所業をして、犯罪的に背徳と罪悪を積んで、人間的に腐りきるのを回避したり、生き残ったり、する。
性根が腐りきったような、無神経な歯のように真っ黒な、完全に死んだような心を持ってるような人間が、生きた屍のような、
もう死人だ、世界の事なんて至極どうでも良いと狂って狂って、物事をライトにしか考えられない適当な人種、何食わぬ顔で、どの面さげて生きているのか?
そして、そんな奴らを馬車馬の如く騙して延命させて最大限に活かして、搾取される側として利用・犠牲にしなければ、絶対に成り立たない、
富が隅々にまで行きわたらない、必然的に戦争が破綻・破滅・崩壊的に、拡大再生産されて、世界の物事のエントロピー的に世界が終ってしまう。
コア層とは、物事を際限なく深く考えて、真に世界の在り方を規定する人間集団だ。
そして大多数のコア層の意志を決定するのが、広く一般に広まる、コア層向けのライトノベルでもある。
故にコア層向けのライトノベルには、日本の在り方としての意思統一をする権能のような機能があり、真に責任がある立場を持つ。
所詮は物語の世界で、世界を巻き込んだ世界系の話をされても、俺はそんなモンにリアルは感じられねえよ、
俺は商業でガンガン売れている前提の、そして超コア層向けの芸術作品でしか、一線超えて迫真的なモンを感じれねえってわけだわな。