大学に行け、そして此処とかで知育をしてプロに成れ
世の中の八割は弱者・搾取される側なんだよ?
自己満足的な小説は徹底的に排斥されるべきってのは、絶対に間違えていないと思う。
最近良くある無職引きこもりが無双する小説ってのも、悪くないと思っている。
情報弱者を啓蒙して、うまい具合にやる気にさせるってのは、社会的な広い観点から大きな価値があると確信できる。
芸術的な真に優れた作品なんて、商業の天辺が幾らでも量産している。
ネットという無料の場所、ここで必要なのは、共感と思いやり、愛に溢れた小説だと思っている。
逆に言えば、そういうのが無くて、芸術主義の実力主義の好き放題書いているだけの小説は、本当に無価値・無意味だと思う。
なぜならプロ作家と同じ土台で書いても、どうせ純粋な知識量・実力不足によって、幾らでも代替可能な陳腐な、
何か、この場において絶対に超えるべきハードルって意味での、一線というモノを越せない、需要のない情報媒体になるだけ。
まあそんな大衆酒場のような雰囲気の、出てくる料理も微妙な場所でも、
和気藹々として殺伐として非人間的な冷淡に無感動にならず、他人に感情移入する事を忘れず、根本的な人殺しに落ちずに、
心意気だけは上を目指すって意味で、
金取れるレベルの有料プロになろうってのはバランスの取れた感じの、
明確な軌範無き、真に自由ってのを標榜している、
昨今の新にリベラルな最先進国にみられる、生き方、人生って意味での自由主義を象徴するような知育の創造空間だと思うが。
あと大学の認識も間違えてる、大学が社会の害悪なのは間違いない、潰した方が全体的な富は増える、
だが富が増しても、それで社会的な矛盾が全て解消されて、富の奪い合いの経済戦争が沈静化するわけではない、
この不合理な大学ってのも、不条理な社会の象徴として機能する、特権上流階級の一資格みたいなモン、
たった四年行くだけで、将来的に末永く信頼性の高い資格を得られる、
それにモラトリアムを延長させて、社会の実戦で負傷する可能性を減らせるメリットも無くはない。
既に死にぞこないの、人生超絶ウルトラ負け組みたいな奴ら、発展途上国にも腐るほど居るは居るわ、
そういう一線超えて世界が無価値・無意味と定義する奴らを、馬車馬の如く使い潰す、
使い潰して致命傷を与えて、犯罪者予備軍みたいにしてしまえば、富を分け与える人権すらほぼほぼ剥奪できるんだからな、
ハッキリ言って真に実力のある、現状で最善としか思えない感じの、この社会を成り立たせる為に優位な力って意味で所持する、奴なんて強者の二割、
八割の似非強者は、だいたいがこういう事をする側なだけ、
社会的な実力は無い事がほとんどだ、だが似非強者は大学に行ったり、資格をとったり、富・名誉・権力とか、真に有益なスキル以外の何か、
薄汚い孤児のような有様の、死にぞこないの弱者、ぶっちゃけ犯罪者に成る事でしか、圧倒的な不正とルール違反をするしか幸福の道しるべ、選択肢が無い感じの、
他と差別化できるモンを持ってる、
実力が無い分、そういう所に力を入れているってわけ、まあ必要悪、汚れ仕事担当ってところかね、人を殺すのってぶっちゃけ辛いからね。
富の拡大は必須だ、富が多ければ、富に満ちた多数派を構成できる、富が無ければ、多数派から切り捨てる奴らが出てくる。
だが逆に、中国のように、富を分け与えるまでもない、殺されているのと同義な奴ら、
本人すら人権を持っていると断言できない感じの、犯罪者としか言えない感じの奴ら、
ブラック企業ってのは、禿げあがって人間が終った感じの、人間に非ずな非人間を量産して、社会の効率化を進めてるんじゃないかって思う。
肉体的にも精神的にも恵まれた、真に強者に成れる逸材が、まだまだ眠ってるのだろう。
だが所詮は愛あのような絶対的な特異点的な強度、によって、
真に楽観的な現実を見据えた生き方が身についていなけば、こんな腐れた現実で建設的に生きないわけだ。
そして真の強者によって、根本的な富が増えれば、より高次元なスケールメリットによる、情報的に先進的な領域に至れるのだ。
人類の進歩、歴史の加速、知的な発達の先を行くことができるって訳だわな。