小説を書いて心底から後悔している
常に、初めて小説を書いていたトキの感覚を忘れない。
これが、どんな言い訳もできない、即興アドリブで書いていたとしても、
むしろ、それだからこそ、それが面白くなかったら、自分の意味や価値は、一切無くなる
人間は、自分の、掛け値なしの真価が掛かっているときにしか、
全力を超えた全力、超越し続けるような底力を出せない、
イキ続けてイキ続けるような、絶頂を極め尽くして、永久に続けるような、一瞬の壮絶な想像の創造力みたいなアレだ。
なんであのとき、ストリートふぁいたのボーナスステージのような状態で、もっと頑張らなかったか、
頑張れなかったのか、頑張れないほど体力気力等々が、テクニクも含めて、低廉劣悪最低最悪だったのか
後悔、いろいろある
また、自分の真価を、知ってしまった、というのも、ある
それまで、自分には価値がないと、本気で、どこか曖昧ながらも、想っていた
だが、即興のアドリブで、あそこまで面白い小説が掛けた、ならば、自分には、自分の人生には
少なくとも自分から見た自分だ、価値があるのだろうと、確信してしまったのだ
これを矯正するべきか?
心の底から、己の人生に価値がないと、思い直す、少なくとも切欠くらいは探すべき
または、果てしなく、無常に幸せな、幸福な、意味も価値もある人生を送っている奴を、知る
または、描きたい、また、あの力を出す為に、そういう意図で執筆するのも強いかもしれない
または、突き抜けて不幸でもいいかも
超一流の人生過ぎて、もっと頑張らなくちゃって、心底から思えるモノ、そういう視点を使っていこうか
もう少しでも、一文字、一物語でも、書きたかった、とか?
そういう人間性を超越して書きたい、とか、人間性を憎み、神に至りたいから、超越を目指して書き続ける、とか?
いろいろ方向性としては、この思考回路は無限大な宇宙的に面白いかもしれない
こんな理由があるからって、あるからこそ、暴れちゃいけない理由にはならない、キャラクターが
もっともっと、超越して、高次物理現象として、展開行使介入等々したい等々などなど
絶対的な理由、原因、不可能、壁、等々が明確に存在、絶対存在しているから
これを超越できれば、自らは神格に至れる、至れたと思える、無限の幸福が見返りとしてあるって幻視する?
こういう散文をまず書いて、読み易い情報価値の圧縮されたエッセイにするのが、いいのかもしれない
あの、真理の、形成過程とか、スーパーシルフィード的で面白いかも
佳境だけ作って、あとあと骨組み的にくっつける建築も式もありかもしれない
一人称と、一人称が自分のことを他人事のように語る、三人称的一人称のミックスが一番リアリティってか
主観的、感情移入手か、すんなりできるかもしれないので考慮




