優しい彼へ02
作業用の大きなレインコートと棒切れを装備して外に飛び出した。全身を強く打つ雨に既に心が挫けそうだ。すぐそこの倉庫だというのにまるで何百キロも歩いているかのような錯覚。所詮は錯覚であるので、目を瞑りながら歩いていたら到着してしまうのだが。
「ふーっ……」
白い息を吐く。この中に、何かが居る。生唾を飲み込んだ。豪雨のお陰で掻き消されたはず。中に居るであろう何者かに自分の存在を気付かせてはいけない。
そろり、と一歩。暗くて足跡があるのか、なんなのかも分からない。気のせいならば良い。そうでなければ……ここまで来てしまった事に後悔する。だが自分も一端の男だ。悪者くらい退治しなくては。
「……」
雨でぬかるむ不安定な足元。辛うじて入る小さな光だけが頼りだ。
整理された農機具付近には、何も無い。
収穫した穀物の周囲。何も無い。
積み上げた藁を突く。何も無い。
「な、なんだ……何も居ないじゃん……」
狭い倉庫にはそれ程モノが無いのだ。どうやら完全に気のせいだったらしい。これで大人しく部屋に戻ってごろごろ出来る。
「うん……?」
ザーザーと打ち付ける雨音の中。異質な音が聞こえた、気がした。恐らくは風か何かだろう、と無視をした。してしまったのだ。
「――――!?」
次の瞬間だった。視界が暗転したのは。それから遅れて後頭部に衝撃を感じる。一体何が――
「グ、ルルルルル――」
「ぁ……」
――痛み。それから。稲光。“それ”が自分の前に居るという事を理解した。灰色の瞳と毛並みを持つ、人ではない、そう獣。牙を剥き出しにして低い唸り声を漏らしながら、自分を睨んでいるのは――
「お、狼……なんで、こんなとこに……」
狼。人里ではすっかり見なくなった動物だった。痛みよりも恐怖が増す。まさか、まさかとは思うが。
自分を食べようとでも言うのだろうか。その強靭な牙で、爪で。嗚呼、なんという――
「う、ぐ……?」
しかしロンは。そんな絶望的な状況の中である事に気が付いてしまった。自分の目の前で威嚇を続ける狼が、真っ白な毛を持つ前脚が、朱色に染まっている事に。
「お、お前……ケガ、してるの……?」
灰色の瞳は何も答えない。ただじっとロンの目を睨んでいる。だが感じ取る事が出来た、ような気がした。その瞳が痛みを訴えている事を。ではどうするべきか。このまま見過ごせば恐らく、この狼は寒さに震えてしまうだろう。
「そう、だ……ねぇ、助けるから、見逃してよ……」