立町翔太郎
祀陵高校2年1組の立町翔太郎です。
母の実家と祖志継家の因縁、俺自身の体験、俺達と祖志継家のこれからについてお話ししたいと思います。
母の実家である義見守家と、祖志継家には江戸時代から続く因縁があります。
義見守家は当時、現在の山形県にあった宿場町で旅籠屋を営んでいました。その旅籠屋が有名だった事から、地元のお役人さん達との繋がりがありました。
一方、祖志継家のご先祖様は、義見守家の旅籠屋があった宿場町とその周辺を縄張りにしていた盗賊でした。
正徳3年のある日、当時の義見守家のご主人様が、旅籠屋に盗みに入った祖志継家のご先祖様を捕まえました。祖志継家のご先祖様が処刑されると、お役人さんの提案で旅籠屋の前に祖志継家のご先祖様を晒しました。
祖志継家のご先祖様には奥さんと息子さんが居て、奥さん達も縁坐されるはずでしたが、その前に逃げられていました。
祖志継家のご先祖様の村の人達が奥さん達を庇うような態度を取っていたので、お役人さんに頼まれた義見守家のご主人様が事情を聞くと、祖志継家のご先祖様は貧しい村の人達の為に盗賊になった事が分かりました。
それ以来、義見守家は祖志継家のご先祖様をただの悪い盗賊として裁いた事を反省し、義賊と認め、そのご家族やご子孫を見守るようになりました。
明治時代になると、ご子孫達が祖志継家として宮城県内で犯罪を行なっている事が明らかになりました。そこで義見守家は祖志継家、その被害に遭った人を出してしまった責任を負う為に、祖志継家からの避難場所にもなる旅館……貴栖屋を営み続ける事にしました。
この話と、祖志継家が〝真の正義〟を掲げている事、1980年代と最近の事件については祀陵高校に受かった後、母から教わりました。
高校に入って、祖志継さん、祖志継家と因縁がある同級生達に出会いました。
祖志継さんは1年生の時から「ヤンキーの妹と友達が居る」「小学生の時からクラスで揉めていた」といった噂を流されていましたし、実際、柄の悪い先輩と付き合っている友達とつるんでいました。
祖志継家と因縁がある同級生のほとんどは事件を蒸し返したくないようでしたが、彼女……藍輝さんの友達の夏椰さんは俺と、藍輝さんにもお義父さんの高校時代の事を話してくれました。その時に、祖志継さんが事件を起こしたら藍輝さんを守る事、祖志継さんを俺達で止める事を約束しました。
2年生になって黒松の出身中学校が分かった後、黒松から『宮城県中学生2人殺害事件』について詳しく話してもらいました。
そして『仙台息女事件』が起き、そこで初めてみかんさんの事を知りました。
7月27日、課外授業が終わって部活動に行こうとしていた時でした。大霜が針金達と昇降口の方から走ってきて、
「女子の喧嘩だぁ! みかんさん、祖志継さんの妹なんだってよぉ!」
と、騒いでいました。
学校に警察が来た頃、俺は藍輝さん、夏椰さんと2年3組に居ました。そこに祖志継さんから……こういったメールが届きました。
『立町のお母さん、義見守家だったわよね? 宮町か米ケ袋か大霜が言い触らしていそうだけれど、みかんが私達の妹だって事は知らなかったでしょう? 先に教えておくけれど、私達の邪魔をした八幡と先生達以外にも1組全員、1組を庇うようなら貝ケ森や千手寺も、私達の標的にする』
これを見てすぐ、藍輝さんには事件が解決するまで俺達と距離を置いてもらいました。千手寺……梅子さん、天馬の彼女などには藍輝さんが話してくれました。
それから、初めは輝彦や八幡さんといった元2軍で、最終的には2年1組全員で、みかんさんとクラスを守りました。
八幡さん、花壇や玲華さんが中心になっていましたが、俺も出来る範囲でアドバイスしたり、伯母と連絡を取って、みんなが貴栖屋に逃げ込めるように準備をしたりしてきました。
祖志継さん達が居なくなった仙台に戻ると、祖志継家の本家から手紙が届いていました。その手紙がこれです。
『この度は分家のお相手ご苦労様でした。偶然にも貴方達との因縁が始まって間もなく300年、お互いの目的を果たすまでお付き合い願います』
あの後も、祀陵高校では塩柄の元カノ達から2年1組への嫌がらせが続いています。大崎更進高校などでも祖志継家や賛同者による事件が起こりました。
本家からの手紙にも書いてあったように、義見守家が祖志継家を生み出してから来年で300年。節目の年として、祖志継家はさらに大きく動くかもしれません。
今では藍輝さん、梅子さんや天馬の彼女、他のクラスの人達も俺達と一緒に戦ってくれています。『仙台息女事件』当時藍輝さんに寂しい思いをさせてしまった事と、彼女との未来も考えるとなおさら、祖志継家との因縁を俺が終わらせなければいけないと思っています。
ここまで聞いてくださり、ありがとうございました。
立町の彼女 貝ケ森藍輝