ジューンブライドの贈り物
*現在連載しております「不思議の国の×××」本編とは関係はありません。
*一種のスピンオフ作品としてお楽しみください。
*異能恋学時代より13~14年後の設定です。直生くんという二人の子供が出てきます。
「おかーちゃん、じゅーんぶらいどってなーに?」
休日の昼過ぎ。リビングで座ってテレビを見ていた直生が問いかけてきた。
何故そんなことをと思いテレビに視線を向ければ、ちょうど点いていたテレビ番組の内容は、いつの間にかウェディング特集のものになっていたのに気が付いた。
「六月に結婚すると幸せになれる、っていうジンクスっていうか。おまじないみたいなものね」
拭き終えた皿を戸棚に戻しながら零は答える。
「結婚? ふぅん。おとーちゃんとおかーちゃんはじゅーんぶらいど?」
直生の大きな目がこちらを見てくる。零は苦笑を浮かべると彼の方に向かった。
「あたし達は違うよ」
「じゃあいつ結婚したん?」
「春頃だったかな。すごく暖かい日だったの」
「へえ!! 結婚式には桜咲いとったん? どんな感じだったん?」
……しまった、と零は思った。直生は一度気になったものは返事がくる限り質問し続ける子なのをすっかり忘れていた。
いつもなら自分で調べな、と図鑑やらを差し出すところだが、こういう質問はそうもいかない。何せ本に書いてあるようなことではないのだから。
頬を掻き、零は直生の隣に腰を下ろす。
「ええと……お父ちゃんとお母ちゃん、結婚式挙げてないんだよね」
「えっ? なして? だって、結婚式ってこんなにキラキラしとるんやろ?」
彼は小さい手でテレビを指さす。画面の向こう側ではきらびやかな結婚式会場や、ウェディングドレスの紹介をしていた。
「おかーちゃん、キラキラ嫌いなん? クラスのなー、女の子がな、こういうドレス着たいって話しとったん。おかーちゃんはちゃうんか?」
今どきの小学一年生がそんなマセた話をするなんて知らなかった。というかそんな話に直生も参加してるとも思わなかった。
零は視線を逸らして考える。正直に白状するしかないらしい。男の子だから、こんな話はする機会もないだろうと思ったがまさか来てしまうとは。
「ジャックは、お父ちゃんはせっかくだからやろうって言ったのよ」
「うん」
「でもあたし、ドレス着たくなくて嫌だって言って結局そのまま」
「せえへんかったん!?」
「……はい」
立ち上がって驚く直生に、零は小さく頷いた。
「ドレスくらいええやん!! なしてそんな嫌がるん!?」
「は、恥ずかしくって」
「ええー……」
不満そうな直生の声。彼はしばらくしてからストンとその場に座り直した。
ここまで食いつかれるとは予想外だったので、零自身も少々戸惑っていた。もしかしたら直生はテレビの向こう側の光景にどこか羨望があるのかもしれない。と言っても、映し出されているウェディングケーキをガン見している時点で大体察することはできるが。
「六月に結婚式すると幸せになれんやろ」
「んー……まあ、えーと、そう、ね」
正確には結婚で、別に式を挙げる必要は無かった気がするけれども。直生の目があまりにも真剣にテレビに向いているのを見て、零は曖昧に頷くことしかできなかった。
「じゃあやろ!! 結婚式!!」
「え?」
あまりにも突飛な直生の発言に、呆気にとられた零は目を瞬かせた。一方直生はやる気に満ちた表情でこちらを見る。
やろうと思い立って簡単にできないのは直生にだって分かるだろう。それを承知の上で言うのであれば何か考えがあるのだろうが、一応やんわりと注意をしておくことにする。
「そんな簡単にできるわけじゃないんだよー。お金もかかるし、大変だし。準備に何ヶ月もかかるんだから」
その分に見合った結果になるのも知っていた。何度か友人の結婚式には招かれているし、その時の花嫁姿の友人の笑顔は忘れられないと思う。今まで見たこともない最高の笑顔をしていたからだ。
すると直生はキョトンとした後に笑みを浮かべる。その表情にジョウの顔がフラッシュバックした。彼はその笑顔のまま言う。
「大丈夫。だってドレスとケーキがあればできるんやろ。おかーちゃんも手伝ってな!!」
それもそれで大分省略している気がした。一体何を考えてるのだろうか。何を手伝えと言うのだろうか。零は首を傾げる。しかし所詮は小学一年生の考えること。きっと自分一人じゃできないのだろう。少しくらいならつき合ってもいいかもしれない。
「手伝うくらいならね」
「やったっ」
曖昧な提案にやれやれと頷くと、彼は嬉しそうにガッツポーズをした。
――というのが、一週間前の話である。あれから一週間経ち今日は再びの休日だ。
晩飯時の時間だが、零とジョウはリビングに続くドアの前で立っていた。直生に良いと言うまで入らないで欲しい、と言われてどのくらいの時間が経っただろうか。ドアの向こうからがさごそと物を動かす音が聞こえてくる。
「まさかこうなるとはね」
「いやぁ思わんかったわぁ。本気でやりおるとは」
ちらりと横目でジョウを見ると、隣にいる彼は苦笑を零した。
ジョウはワイシャツに黒いスラックス、零は白いワンピースとお互いに普段あまり見ない格好をしていた。
ドレスが嫌ならこれでいいのでは、という直生からの提案であり、つい先日頼まれて具現化したものだった。いざ着てみるとやはりちょっとは恥ずかしい。着慣れていないせいだろう。
「似合っちょるぞ」
こちらのそんな心情を読み取ったかのように、ジョウは零のほっぺたをつついてきてはそう言って微かに笑う。
「ありがと」
内心その言葉だけでもかなり恥ずかしかったが、ボソリとお礼を言って零は視線を逸らした。早く目の前のドアが開いて欲しいと願うばかりだ。
「おとーちゃんおかーちゃん!! 開けてええで!!」
直生の声が聞こえてくる。
ジョウと零は互いに顔を見合わせてから、ジョウがドアをゆっくりと開けた。
その先のリビングは、床に折り紙で作られた花が一定間隔で並べられていた。バージンロードに見立てたつもりだろう。なかなか考えたなぁと零は笑う。顔を上げるとその道の先に椅子の上に立っている直生と、その隣に見知った顔の男性が一人立っていた。
「え、え? ちょっと待って何であいつ居るの」
彼を見るなり零はジョウに問いかけた。ジョウも一本取られたとばかりに肩をすくめる。
「裏で手ぇ回しとったか。よう考えたなぁ、確かに小学生一人じゃ到底できんもんやなか。誰に似たんだか」
「絶対ジャックでしょ」
「行動力と好奇心はほとんどお前に似たと思うが」
軽く小声で言い合いをしていると、直生の隣に立つ男性――諏訪浩は、穏やかに笑みを見せ、いいから早くと急かすかのように軽くこちらに手招きをしてきた。
ジョウは手を零の方に手を差しのべる。さあどうぞ、と言うように。こんなに改まって手を出されたのは久しぶりだ。そっと手を出すとその手はしっかり握り返され、直生の方へ向かって歩き始める。
普段使っているリビングを数歩歩くだけだというのに、何だかすごく緊張もするし心拍数も上がっていた。まともに隣の彼の顔を見ることができない程度には。
「何や、直生は神父か」
「そうやで。浩兄ぃに教えて貰ったんや」
二人の前に立つとジョウが直生に声をかけた。返事を聞き零はジト目で諏訪を見る。
「諏訪ぁ……っ。お前……っ」
「何でそんな恨めしそうな声を出すんだ……。なかなかいい感じだろう?」
おいおいやめてくれ、と諏訪は苦笑を零しては首を横に振った。
「それではこれから結婚式を始めまーすっ」
高々と直生は宣言する。
こんな明るく開式を行う神父は初めて見た。だが楽しそうな直生を見ているとこっちまで笑みが零れてくる。
「最初はえっと、おとーちゃん」
「おう」
ジョウが優しく返事をし、それを合図に直生は一つ咳払いをして言う。
「おとーちゃんは、これから先ずーっとおかーちゃんを守っていくって誓いますか」
きっとこのセリフも諏訪が考えたのだろう。チラリと諏訪の方を見ると彼はうんうんと直生の言葉を頷いて聞いていた。
「あー……せやなぁ。どないしたろかな」
「ちょっと待って、そこ迷うところ?」
渋った様子を見せるジョウに、思わず零は言葉を入れる。
「いやぁお前の場合守らんでも自分でどーにかしちょるだろ」
「おかーちゃん強いけな」
直生までも同意されるともうどうにも言えない。別に守ってくれないと嫌だなんてそんなか弱いことを言える質でもないので、零は直生とジョウを交互に見ては肩を落とす。
「まあでも、言うたやろ。ワシャずっとお前の傍に居るってな」
「……分かってるよ」
何度も言われたそのセリフは、よくよく聞くと恥ずかしく感じる。が、それと同じくらいに嬉しくも思った。零が返事をするとジョウは笑って直生を見た。
「I promise.」
しっかりと、そう返事した彼は、十年前と何も変わらないように見えた。
「よしっ、じゃあ次はおかーちゃんな」
「はいはい」
直生が今度は零の方を見る。そして彼は彼女に問いかけた。
「おかーちゃんはおとーちゃんのことを支えていくって誓いますか」
支える。その言葉を聞いて零は思い出した。何時だったかジョウに言ったセリフがあった。
『自分だけ背負うなんて卑怯だ。お前が俺の分を半分背負うなら、俺もお前の半分を背負わせろ』
馬鹿みたいに不器用な自分なりの精一杯の言葉だった。それを彼は、驚いた顔をしてから笑って頷いてくれたっけ。
あれから年も重ねて、想いも重ねて、長い時間を一緒に過ごしてきた。自分を呼んでくれる人がいることが、どれだけ嬉しいことか。独りじゃないということが、どれだけ心の支えになったか。
少しそう考えただけでとてもとても幸せな気分になれた。同時になんだか涙も零れそうだった。
「ええもちろん――誓います」
はにかみながら零は言う。
握られた手に込められる力が強くなった気がした。
「おとーちゃんとおかーちゃん両方誓ったね、そしたらええと……次は?」
どうやらそこから先は覚えられなかったらしい。直生は隣の諏訪に助けを求める。諏訪は軽く、いたずらっぽく笑っては口を開く。
「誓いのキス、だな」
「そ、そこもやるの!?」
さすがに子供の前は抵抗がある。零は驚いてから直生を見た。すると彼は彼で納得したような顔をしてこちらを見返してくる。
「だって、ほらキスして」
何ともまあ軽い言い方だった。
「なんでそんな軽く言うのよ、無理無理恥ずかしくて死にそう」
「もう顔真っ赤じゃな」
茶化すようにジョウに言われれば尚更恥ずかしくなってきた。直生もジョウとも目が合わせられず、零は自分の足元の方に視線を向ける。
「零、顔上げい」
不意にそうジョウに言われ、反射的に顔を上げる。しかし彼の方に顔が向く前に、自らの頬に何かが触れる感触がした。突然のことで心拍数が一気に上昇する。ジョウは自然な動作で顔を零から離した。
「別に唇にキスせぇなんて言われとらんからのぉ。アリじゃろ」
「ええーそれってアリなんー?」
「相変わらず見事にやるな、ジョウは」
不満そうな直生に、苦々しくもどこか楽しそうに笑う諏訪。零は内心少々ホッとして胸をなでおろす。
「よし、じゃあ次は……。直生、ケーキ出そうか」
「ケーキっ。出す出すー!!」
口を若干尖らせる直生に諏訪が声をかけると、直生はその単語を聞いて目を輝かせ、椅子から降りてドタバタと冷蔵庫に向かう。
ジョウは首をかしげて諏訪を見る。
「ケーキ? そげなもんどうやって」
「俺が買ってきた」
「何から何まで用意周到だな……」
ここまでされるとこちらも苦笑いしかできなかった。ため息混じりに零は言うと、ふふんと得意げに笑う諏訪は、そのまま直生の後をついていく。
「結局目当てはケーキって感じか」
「小学生やてそないなもんじゃろ」
冷蔵庫の前で慎重に箱を取り出そうとする直生とそれを見守る諏訪を見て二人は笑う。微笑ましい光景だった。
「零」
呼びかけられてジョウの方を見れば、頬に手を当てられ、自然な動作でそっとキスを落とされた。今度はきちんと唇にだ。彼の顔が離れる。しーっ、と人差し指を口に当ててシニカルに彼は笑った。
「不意打ちなんて卑怯だよ」
頬から手が離れてから、ようやく零は言葉を発した。きっと今の自分の顔は真っ赤だろう。
「なんや。いつものことじゃろ」
「慣れないんだって」
「もう十年も一緒に居るっちゅうのに?」
冗談っぽくも笑いを含んだその声はやけに優しく聞こえた。やはり自分は彼には敵わないと零は思う。彼の方が一枚も二枚も上手で、きっとずっとそれは変わらないのだと。
「……これからも上手いことやっていこうやないか」
ジョウは頬を掻いてはそう言った。
「よろしく」と言わない辺りが彼らしい。零は笑うと頷いた。
「おうよ。上手いことやっていこうじゃない」
――六月に結婚すれば幸せになれる。
なんておまじないは既に効いているらしい。愛してくれる人がいて、子供がいて、ずっと見守ってくれる友達もいる。
これだけでもう十分すぎるくらいだった。
「おとーちゃんのケーキちっさくても……」
「ちょお待てや。誰のケーキが小さくてええって?」
キッチンの話し声を聞いてジョウがそちらの方に向かった。
一人、三人の後ろ姿を見て零は静かに微笑んだ。しばらく三人の背中を見つめていると。
「おかーちゃん」
気が付くとキッチンから直生が顔を出していた。
「楽しかった?」
こちらに歩いてきた彼はそう問いかけ、子供らしく満面の笑みを浮かべた。
「最高。すごい楽しかったよ」
笑顔で答え、かがむとぎゅう、と直生を抱きしめる。
照れくさそうに笑う直生の声と、その様子に気が付いたジョウの笑顔が、何よりも愛おしく感じた。
この先も手を繋いで歩いていけますように。――幸せを噛み締めて、生きていけますように。
「ありがとう」
小さく呟いた言葉と共に、嬉しさ故の涙が一つ零れ落ちた。