とある家族の雇用形態
「部活、最近あまり楽しくない…」
家族での夕食時、弟がそっと呟いた。
「楽しくないって何? 何かあったの?」
と、母が聞き返す。
「最近皆仲が悪くて…、あまり楽しくない…」
弟は中学二年生でバスケ部に所属している。
どうやら最近部活内の人間関係が悪いらしく、弟は部活を辞めたがっているようだった。
しかし、
「あんたねぇ、なにを甘えたこと言うてるの。あんたがバスケやりたい言うから高いお金だして服やら靴やら揃えたんやないの。それにねぇ、世の中嫌なことなんていくらでもあるんやから、そうやって逃げてばかりやとあかんねんで。」
母はそれに反対だった。
母の言ってることはまぁ正論だとは思う、けれど…、
「いいんちゃう、辞めたかったら辞めたら。」
母を怒らせるのを覚悟で僕はそう口にした。
「…はぁ?」
予想通り母の顔色が変わる、許容範囲が狭く短期なのは昔から変わらない。
「部活動なんてのは基本的にやってる本人のためのもんで、楽しめてるのか、練習がキツくてもやりがいを感じれてるのか、人間関係が悪くても社会勉強だと思えるのかどうかといった、広い意味での本人の幸せが一番大事なはず、その本人が考えた上で辞めたいと言うのなら、それを止める理由はないんじゃないか?」
「…あんたは関係ないやろ、だまっとき。」
「関係なくはないやろ、兄弟やし。」
「いいからだまれ!」
「…!?」
母の怒声が響く、その場にいた小学生の妹も驚いた様子を見せたが、すぐさま我関せずといったふうに再び知らぬ顔で食事をとりはじめた、まぁそれが賢明だろう。
母いわく、自分が短気なのは自分が女性であることが原因で、世の女性は皆こういう風に感情的になるらしい…。
当然そんなことはないと当時言い返したのだが、
結婚もしてない、ましてや彼女もいないお前にそんなことわかるわけがないと一蹴された。
確かに女性と関わった経験はあまりないけれど、だからってそんなこというか普通?
…と疑問に思いつつ、僕は将来、感情的にならない女性と結婚することを心にそっと誓ったのだった。
母は怒りが最高点に達すると手がでるのであまり怒らせすぎるのはよくないのだが、
なぜだか今日は引き下がる気になれなかった。
「だまれってなんだよ、僕が口を出すことのどこがダメなんだ?」
「ダメに決まってるやろ! ええか、こうやって飯食わしてもらってる以上、あんたはまだ子供や、やから親の言うこと聞け!
それが気に入らんねやったら今すぐ家でていき!」
「……。」
…またか。
…いつもこれだ。
親子とは扶養者と被扶養者の関係であり、被扶養者である子供は親に絶対的に服従しなければならない。
母との口論は決まってその言い分で締めくくられる。
そして俺はその正論に返す言葉もなく黙り込む。
金もない子供がすぐに家を出ていけるわけもなく、黙って従うほかないのだ。
けれど心の中では納得などしていない。
だってこれじゃあ金をもらって仕事をするのと変わらない、一種の雇用形態みたいで、家族というものがなんなのかよくわからない。
昔は親が子を養うのは無償の愛によるもので、子供がその対価を支払う必要は無いと思ってたけど、どうも我が家はそうではないらしい。
それとも世の家族は皆こうなのだろうか?
いずれにせよ、こんな家、僕は嫌いだ。
親の虐待とか、借金とか、そういった典型的な不幸はないけれど、幸せもあまり感じることができない、そんな家。
そんな家だから、何度か離婚の危機も経験していて、今は夫婦大喧嘩のすえの休戦協定中、三年後に母の性格に改善がみられなければ離婚すると父が条件をだしてからおよそ半年、母は相変わらずだ。
このままではほぼ間違いなく離婚だろう、まぁ激情に身をまかせて首をしめにかかってくるような奥さんとは、たとえ奥さんにどれだけ良い点があってもやっていけないと僕も思う…。
などと考えているうちに、場の空気は落ち着きを取り戻していた。
母も冷静になり、今度は長々と弟に説教たれている。
「お母さんなぁ、あんたのために言うてるねんで、別にあんたが憎くていうとるんとちゃうからな、そこはわかってや。」
これは母の口癖。
あなたのためという都合のいい理由付け。
あなたのためといいつつ、あなたの幸せには直接繋がらず、むしろその言葉はあなたを傷つける。
あなたのためというのは、すなわちあなたの将来のため、今のあなたなんて知らない。
自分が思う幸せの形を相手に強要する、それが母のいうあなたのための行為、すなわち愛。
それが僕たちが今まで与えられてきた愛だった。
(まったく…、人を幸せにしない愛のどこが愛なのか。)
などと哲学的なことを考え苦笑しながら、今日も僕は家での生活をこなしていく。