しじまの談
ホラーのジャンルでは初めまして。
桜雫あもる です。
できるだけ「小説家になろう」サイト内の企画には参加しよう! ということで、夏の風物詩を書いてみることに致しました。
不慣れなところは目立ちますが、どうぞ多めに見ていただきますようお願いします。
それでは、目眩く図書の世界をご堪能あれ。
「ねえ、知ってるかい」
真しやかに囁かれる、暑い初夏の噂ばなし。
じめじめとした陽炎が、学校のまっすぐな廊下まで歪めてしまったような気さえする。
身を潜めたままじりじりと蟠る蝉の音が、空に広がる朱に紛れて細くなってゆく。
晩刻にも差し掛かる暗がりの幕開き。
彼らは其処此処で、流言を衒かす。
「部室棟の二階奥の、女子便所の奥から二番目の個室。夜中の十二時二分になると、景子さんが出るらしい」
「旧校舎にくすんだ甍があるだろう。あの上では逢魔ヶ刻、こそろ童が独りで遊んでいるんだぜ」
「そう、昨日夜道で見たんだよ、家に帰る途中だ。電柱みたいにでっかくて、口も目も裂けちまった怪物を」
しかし彼らは知っている。
その噺が、所詮は枯れ尾花であることを。
そして奴らは物陰で嗤っている。
彼らのいたずらな横顔を、茂みの奥からにいっと愉しそうに嗤っている。
… … … … … … … … … …
それは中学三年生の夏休みのことだった。
小学校を卒業して暫く疎遠になっていた幼馴染から、久々に連絡があったのだ。
電話口で変わらぬ声を聞かせてくれたそいつは、僕が何の用かと尋ねると弾んだ声でこう答えた。
「せっちゃん、肝試しにいこう」
僕はその申し出に面食らった。
「なあ、僕たち今年は受験生だぜ。そんなことしてる暇あるかよ」
偽善の心に駆られてそうそっけなく突き放すと、
「なんだよ真面目ぶっちゃって。どうせ勉強するなんて言って部屋に篭って、遊んでばかりいたんだろ」
「そんなことはない」
口ではそう言うものの、僕の手には鉛筆ではなく小説が握られている。
幼馴染の鋭さに密かに観念した僕は、話だけでも聞いてやることにした。
「それで、肝試しがなんだって?」
「ああ。実はさ、うちらの小学校、再来年には閉校になるんだって」
噂には聞いていた。
ここは山ん中の田舎村、小学校はどこでもみんな都会に子供を攫われて潰れていっている。
村に二つある小学校のうち、僕らの卒業したほうの小学校が廃校になると去年の暮れに決まったらしかった。
「だからな、せっちゃん。うちらの最後の思い出に、夜の学校へ忍びこんで肝試しをやろう。な、な」
聞いてみると、そんなに悪い誘いではなかった。
僕には大した帰属意識なんてないものの、六年間を過ごした小学校の歴史が途絶えると聞くと些か淋しいものがある。
夏が山場と散々どやされた試験勉強。
郷愁に誘われて、一晩くらい抜け出すのも悪くない。
「わかった。肝試しにいこう」
「ほんと? やった!」
そいつは無邪気な声で叫んだ。
「日はいつにする」
「そうだな。今晩がいい」
それはなんとも急な誘いだ。
「え、今晩かい。べつに構わないけど、それだとほかに人は集まらないぜ」
「いいんだ」
頭のなかでほかに誰を誘うか考えていた僕を遮って、そいつは電話口でこう告げた。
「せっちゃんと、二人で思い出を作ろうや」
「今晩は新月だったんだな。知らなかった」
その日の晩、僕とそいつは学校近くの老松の木陰で待ち合わせて、夜の学校へと向かった。
道中、浦島草のずんぐりとした淡い花弁がころころ悶えるのが目に入る。
久しぶりに見るそいつの顔はどこか大人びていた。が、老松の下に遅れて来た僕を見つけたときの屈託ない微笑は昔と変わっていない気がした。
「うちは知ってたよ」
真っ暗の空に両手を伸ばしてそいつは言った。曇っているのか月のない空には星も見つからない。
「狼男は満月の夜だけど、肝試しは新月の晩でないと」
なんだそれ、と思ったが、考えてみれば月明かりも無い暗闇というのはそこはかとなく恐怖心を煽られる。
光という逃げ場がないのだ。限りなく苛まれて疲弊した理性の行き先はそのまま暗中に阻まれてしまう。
僕は僕とそいつの手に懐中電灯が握られていないのを今さらながらに不安に感じながら、校門をよじ登り越えていった。
二年と少し前にお別れをした小学校の校舎は、いまになってみれば遥かに小さな世界だった。
二階建ての校舎が一棟。
あとは古めかしい体育館と狭苦しい校庭、花壇、遊具程度しか据えていない。中学校とはまるで規模が違う。
当時絶え間ない冒険の舞台だったあの広大さは、いったいどこへ鳴りを潜めてしまったのだろうか。
そんなもの淋しさに思いを馳せていると、そいつはふらりと校舎に身を寄せた。
そいつは手の届く一階の教室の窓を、徐に開けた。昼間に細工でもしておいたのだろうか。
そして面食らう僕を置いて、そのまま窓枠に身を滑らせて校内へと忍び入ってしまう。
「おい、校内に入るのか」
返事はない。
ただ窓枠から、来い来い、とでも言うような手招きだけが見えた。
いやに辺りを気にしつつ、僕もそいつに倣って校内に侵入する。
一層暗い室内に目が慣れるまでは暫くの時間を要した。段々と懐かしい木目の床が目に馴染んでくる。
室内を見回すと、だだっ広い教室のなかには机が二脚だけ並んでいた。
「ここは……」
「二年生の教室。いまは二人だけみたい」
僕らのいた頃とは随分と減ってしまった。
がらんと虚ろになった教室の後ろがやけに大きく思えた。
僕のとなりで立ち上がったそいつは靴を脱いで手に持った。
「ほら、せっちゃんも脱いで脱いで」
「わかってるよ」
僕は中学校の運動靴を脱いで、靴下になった。
「おまえ、裸足じゃないか。いいのか?」
「うちは大丈夫。それより、いこう」
そいつは教室の後ろのドアの鍵を開けて廊下へ繰り出した。
夜の教室はまだ懐かしい感覚が優っていたが、夜の廊下には懐かしさ以上にしんとした冷たさが蔓延していた。
月明かりも懐中電灯もない、本物の暗闇が前後に長く膨らんでいるのがどことなく不快だった。
「やっぱり、夜の廊下って怖いな」
「昔っから怖がりだな。せっちゃんは」
「そんなことない」
こんな他愛ない会話も、久しぶりといえばそうだった。
ほんの数年前までは毎日のように顔を合わせていたはずが、環境が変わるとなんの連絡もしなくなってしまう。
まるで初めから僕の生活にそいつがいなかったような錯覚まで与えてくる。
僕はふと、頭の隅にこんなことを置きやった。
次にこいつとこんなふうに笑えるのは、果たしていつのことになるのか?
すると、
「せっちゃん」
「ん」
「どうしたの」
鋭いやつである。
「いいや、なんでもない」
僕はそいつの心配するような顔を見て、頭を横に振った。
「それじゃいこう」
そいつは暗闇のなかを、まるで自分の家のなかを進むように一歩踏み出した。
「どこにいくんだ?」
てっきり外で肝試しをするものだと思っていたから、僕は歩き出したそいつの背中にそう尋ねた。そいつは振り返らずに、
「せっちゃんは、うちの七不思議って知ってたかい」
そんなことを尋ね返してきた。
「七不思議?」
「そう、七不思議」
七不思議なんて言葉、口にするのも久々だ。
語感を頼りに、当時の会話をぼんやりと思い返す。
「ああ。そういえば、昔漫画で流行ってた時期があったっけ。たしか、景子さんとか、裂け八尺とか」
「うん。それのこと」
そいつは短く肯定した。
「でも、七不思議のほとんどは漫画を見た子たちがおもしろがって騒いでただけのニセモノだった。『景子さん』も『紅頭』も『貉のお父』も『こそろ童』も『裂け八尺』も『鬼階段』も『明礬呑み』もぜんぶ」
そういえばそんなのもあったか。
なんとなく聞き覚えはあるが、それでも幾つかの話の詳細までは思い出せない。
「なんでそんなに覚えてるんだ」
「なんでって、好きだったから」
そうだったか。
僕個人としては、いままでこいつが怪談好きだという認識を概して持ったことはなかった。
少なくともこいつが怪談を嬉々として語ったり、怪談を語る子に集っていたりした場面というのは浮かんでこない。
頭を悩ます僕を他所にそいつは続ける。
「けどな、そのなかに一つだけ、昔からこの学校にあったホンモノの怪談があったんだ」
弾むようでもなく沈むようでもない、どちらかと言えば平坦な声色が廊下を舐める。
僕は根拠のない物怖じからなんども後ろを振り向きながらそいつの後ろをついていく。
「その怪談の名前は、『骸捜し』」
聞いた覚えは、なかった。
もちろん言った覚えも。
そいつは左手に差しかかった階段を登り、二階に躍り出た。廊下をすこし逆行して、不意に立ち止まる。
そいつが見上げた先に僕も目を向けると、そこには「談話室」の札がかかっていた。
「談話室?」
「覚えてない、せっちゃん。月に一度先生が絵本を読んでくれたり、学年のみんなで話をするときに使ったろ」
「ああ、そういえば」
そいつは僕の希薄な記憶の甕をぐりぐりと刺激する。
僕は変わらぬそいつの横顔を覗きながら、どうしてこいつはこんなにも昔のことをよく覚えているのだろうと首を傾げた。
いや、実のところは、僕が近い過去を大昔にしてしまって、知らぬ間にそれらに霞みをかけているだけなのだろう。
しかしそれにしたってそいつの挙動や立ち居振る舞いは、不思議なくらいあの頃のままのように感じた。あの頃と同じ話し方、同じ息遣い。
そしてあの頃にはなかった、不明瞭な神秘性を感じる。
「入ろうか」
神秘性というと語弊があるか。
近寄り難い雰囲気というか、後ろ暗さの全てを覆い尽くすような柔和というか。そんな筆舌では表しきれない奇妙な感覚を、僕はこの幼馴染に感じずにいられなかった。
「こんな感じだったっけ」
やはり数年ぶりに足を踏み入れた談話室は、僕の知るそれとは表情を異にしていた。
絵本の読み聞かせが行われていたあの朗らかな温かさは見る影もない。足下には一冊の絵本がばらりと腕を広げて倒れている。
「時代ってのは、残酷なんだな」
「なにじじくさいこと言ってんの。そういうところ、せっちゃんは相変わらずだな」
「おまえには言われたくない」
きょとんとした顔を見せるそいつを放って、僕はそこに転がっていた丈の低い椅子を起こしてその上に座った。
僕を見下ろすそいつにもう一脚を促して、そいつは僕のとなりに腰を下ろす。
「それで、なんでこんなところへ来たんだ」
「なんでって、お噺をするには談話室がうってつけだろ」
肝試しをするんじゃなかったのか。
そんな疑念が湧いたが、それはすぐに掻き消された。
二人きりの談話室は、八方から闇が漫ろに迫ってくる檻に等しい。
胎のなかに僕らを捕らえて、じんわりとその精神を啄む堅牢な檻。ただでさえ僅少な光の一切がそのずんぐりとした天井やら床やらに吸われて失せていってしまう。
この真ん中に居座って話をするというのは、たしかに肝試しに匹敵する恐怖がある。
「じゃあ始めような」
そいつは怯える僕を宥めるような声色で囁いて、
「怪談『骸捜し』」
まるで百物語の百篇目を語るように、そいつは目を閉じて俯き、薄い声で話し始めた。
僕の意識は噺に惹きつけられる。
「むかしな、この辺りは隠田集落といって、戦で敗けた一人の落ち武者が身を隠すために作った農村だったんだと。落ち武者は家族や家来を連れてこの辺りまで逃げてきて、住みついて、ひっそりと百姓の暮らしをしてたんだ」
いかにもありそうな話だ。
実際この辺の集落は人里離れたといっても過言でないほど辺鄙な田舎にある。
追っ手から逃れようとした武者が行きつくには十分な立地ではないか、と僕はなんとなく納得していた。
「落ち武者といっしょに逃げてきた家来に、仇正って男がいた。仇正はまじめでみんなに優しい大男だった。……けど、年に何度か我を忘れて暴れまわって、手がつけられなくなることがあった」
現代でいう分裂症、鬱病やら人格障害の類いだろうか。
中世欧州を騒がせた狼男も、実は流行り病が原因だったとも聞く。奇病は奇譚に欠かせない成分なのかもしれない。
「我を失った仇正は一頻り暴れ疲れて我に帰ると、決まって大声で泣きながらみんなに謝った。村じゅうに響くような声で昼も夜も、ごめんなさい、ごめんなさい、って」
耳にしっとりと滑ってくるそいつの声に集中していると、暗闇のなかに己の所業を悔やむ仇正の嘆く様子がありありと浮かんでくるようだった。
「普段の気のいい仇正を知っているのもあって、仇正が暴れまわっても村の人は強く言うことができんかった。村の長者になった落ち武者も仇正のことを目にかけて大切に思っていたから、仇正が罰を受けたり、村から追い立てられたりすることはなかった」
仇正はきっと、普段の毎日を葛藤と恐怖、贖罪の念に塗れて過ごしていたことだろう。
自分はこの村に居続けてよいのか、自分はいつ何時自己でなくなってしまうのか、自分は自分を受け入れてくれる村の民にどんな恩返しができるのか。
そんな憂慮をずっと抱えていたのではなかろうか。
「でもあるとき、悲しい事件が起きた。ある夜、山路で妖に化かされて気の狂った旅人が村に降りて、腰に佩いた野太刀で長者の首を刎ねてしまった」
「妖って」
「旅人がどんな妖に化かされたかは、伝わってない。でも長者の首を刎ねた旅人は村人に知られることもなく、長者の首を引っ提げてそのままひっそりと村を去ってしまった」
僕は頭のなかに浮かんだもの寂しい情景に、口を挟まずにいられなかった。
「でも、そうするとさ」
「うん」
そいつは儚く頷いた。
「村人たちは、みんな仇正の仕業だと思った」
そうしてそいつはちらりと頭を上げて僕のほうを眺めた。僕がじっと見返してやると、そいつはまた瞼を閉じて続きを語り出す。
「みんなは夜明け前から畑仕事をしていた仇正のもとへ行って、口々に罵った。いままで散々許してやったのについに長者様まで手にかけたな、お前はなんという恩知らずなんだ、って。もちろん仇正はなんのことかわからんから、慌てて弁明しようとする。すると村の人たちは、それまで自分の罪を誠に告白してきた仇正が、ついに自分たちを舌先三寸謀るようになったんだと思い込んで、益々強く仇正を責め立てた」
仇正を識らぬ僕は、しかし胸の辺りがじんと腫れるような気分の悪い熱を感じた。
腹ではなく胸の芯がきりきりと痛む。
「仇正は、次第に重なって大きくなる怒声と罵声に耐えきれなくなって、しまいに目の前の村人の一人を絞め殺してしまった。村人たちは一瞬慄いたけど、それ本性を見せたとばかりに何十人もで一斉に仇正の上にのしかかって、取り押さえようとした。何十人もの叫び声が、仇正の耳を劈いた。人の波で揉みくちゃになる仇正はもう、自分の凶暴に歯止めを利かせられんくなった……」
僕は物語の登場人物に対して、感情移入するということの少ない淡白な人間だ。小説はわりと読むほうだがその都度人物と共感することは骨が折れる。
けれどそいつの語る噺を耳にしていると、どういうわけかそこに居もしない彼らの悲しみや苦しみが伝播してくるようだった。
まるで映画で場面を間近に観ているかのごとく、仇正の歯軋りが耳に疼く。
「──仇正は一人、また一人村人を殺した。時には喉を絞め、時には力いっぱいに殴って殺していった。そうして仇正が暴れ狂って日も沈む頃、気づくと仇正は独りだった。自分の家だったはずのそこは、幾十人もの血が滴る湖になっていた。荒い息を吐くのも、困ったように外に出て辺りを見回すのもみんな、仇正独りだけ」
その虚無感は、如何ほどのものだっただろう。
夕焼けに突きつけられた底無しの自責は仇正にどんな地獄を残していったのだろうか。
「ほんの一日のうちに、ちいさな村は仇正一人だけになってしまった。心身ともに疲れ果てた仇正は呆然とへたりこんでいた。けど、真夜中になるとふらりと立ち上がって、そのまま覚束ない足どりで村を後にしたそうな」
そいつはすっと息を吸うので一拍間をつくって、
「それからのこと。界隈の村に血まみれの、百姓姿の大男が度々現れては、長者の首を夜間に攫っていくようになったという……」
最後にそう綴じた。
仇正の遺志が幾許の何だったのかは、僕には知る由も無かった。
「なかなかおもしろかったよ。世事じゃないぜ」
「ありがとう」
僕が褒めるとそいつははにかんだ。
「その怪談は初めて聞いたよ。怖いっていうよりはどこか実話っぽくて、考えさせられる話だった」
率直な感想を伝えると、そいつはまたありがとうと返しながらも、暗闇のなかでゆっくりと首を横に振った。
「でもな、この怪談には、おおきな粗があるんだ」
「粗?」
そいつはしっかりと頷いた。
「さっきの『骸捜し』、聞いてておかしなところがあったろう」
言われるままに少し考えて、
「まあ、そりゃね」
僕には簡単に心当たりがあった。
しかしそれを言ってしまうのは憚られる。なんというか、それは風情を解さない行為のように思えてならない。
「せっちゃんは、どこが変と思った?」
僕は少し逡巡して、
「……そりゃ、なんで話し手は旅人が長者を殺したのを知ってるのか、ってことだろう」
そう。
この噺の語り手は、どうして長者殺しが仇正ではなく、旅人だと知っていたのだろうか。それを知っているのは、殺された長者か殺した旅人しかいない。
しかしその後の展開を慮るならば語り手はそのどちらであっても成り立ちはしない。死人も旅人も、仇正の鬼神の如き所業を目にすることはなかったからだ。
しかし、この程度の矛盾は物語を語るうえで仕方ないことだ。
昔話や怪談を語るのならば、一々視点など気にしていては今時『花子さん』も碌に語れやしない。
「うん、合ってる。合ってるよせっちゃん」
妙に嬉しそうに、そいつは深く頷いた。
「でも、それって仕方ないだろう。お噺なんだからそんな屁理屈言ったって」
「それはそうだけど。うちが言いたかったのは、『骸捜し』はニセモノだったってことだ」
僕はそいつの矛盾を孕んだ物言いに思わず首を傾げた。
「さっきおまえ、『骸捜し』は本物だって、そう言ってたろ」
「ああ」
僕の怪訝な態度に得心がいったようにそいつは微笑んだ。
「あれは、〝昔から伝わってるホンモノの怪談〟って意味よ。でも『骸捜し』っていう噺自体は、元になる実話があったにしろ、怪談としてはニセモノのお噺」
理屈が通っているのか通っていないのか。わかりづらい言い草に、僕の頭は少し混乱した。
「まあでも、怪談ってのはそんなもんだろう」
僕は頭を掻きながら、
「それらしい実話をもとに脚色して、それらしく語って、伝わって、広まって。それが怪談とか、都市伝説なんかの正体だろう。きっと」
「相変わらずだな、せっちゃんは」
そいつはそう笑うと急に押し黙った。
僕らの間に暫し沈黙が顔を出す。
痺れを切らした僕がそいつのほうへ顔を向けると、そのときを見計らったかのようにそいつは口を開いた。
「でもな、うち知ってるんだ」
「何を」
「『骸捜し』を語れる、唯一の話し手を」
それはなんとも奇妙な話だ。僕にはその正体が思いつかない。
『骸捜し』に登場したのは仇正と長者、旅人に村人だけのはずだ。あとはそう、名も知らぬ妖くらいのものだ。
どんな妖か伝わっていないと言うのだから、妖が語り手ではあるまい。
改めて考えてもみたが、やはり僕にはこの判じ物は解くことができなかった。
「降参だ。答えはなんなんだ」
僕の困った顔を見てそいつはいじわるそうに微笑んで、
「答えはさ──ホンモノだよ」
ホンモノ?
「ホンモノって……。そんなの、いまの噺に出てきたか?」
僕が目をぱちくりさせてそう尋ねると、そいつはなぜか無機質な微笑を見せた。
「『骸捜し』には出てきてないよ。でもあれを語ろうと思ったら、ホンモノ以外にはないんだ」
僕はただ眉を顰めるばかりだった。
ホンモノとはいったいどういうことか。
度々会話に出てくるが、なにか特別な意味でも持った存在なのか。
「なあ、その。そのホンモノってのは、いったいなんなんだ」
まず何から訊けばいいか纏まらない。しどろもどろになる僕を横目にそいつは椅子からぱっと立ち上がった。
「知りたいんなら教えてやるよ」
「ホンモノっていうのはな、こういうことを言うんだよ」
そしてそいつが消失した。
僕の良識が一沙のあいだに麻痺し、そのまま惰性の思考がばっさり刈り取られる。
人一人分拡がった暗闇が、僕を余さず取り込んだ。
まず虚空があった。次に疑念が起こった。それから遅れて、やっと一端の恐怖が僕を襲った。
目の前にいたはずのそいつはそこにはいない。どころか、僕は既にそいつを思い出すことができない。
あれは誰だ。
「お、おい」
拠りどころを求めて当てもなく闇の向こうに手を伸ばす。
さっきまで僕は談笑していた。
七不思議とか怪談とか、そんなことを話していたはずだ。
しかし、誰と。
つい先刻まで顔を合わせていたそいつの顔、名前も、ましてやそいつが僕のなんだったかさえ不明瞭。
あれは、何者だ。僕は誰と話していた。
嵐の前の不快感が恐怖を助長する。
「あれ、ん。えっと、誰だ、あれ、いない?」
手探りに虚空を蠢く五指はなにも掴まない。
一人きりの談話室。
現状を正しく判断する頭がうまくはたらいてくれない。
そこへ、
「せっちゃん」
耳もとで声がした。顔をそちらへ遣る。
そこに人はない。
寒気が背筋を駆けた。
「あ」
だめだ。
逃げ、ないと。
無意識に弾かれたように僕は談話室の扉へ飛ぶ。荒っぽく、がんと扉を開けて廊下へ出る。
そこで、極小になった頭の隅にふとある場面が戻ってきた。
僕が先刻まで行動を共にしていた誰かが施錠を解くこともなく何の気なしに談話室の扉を開けたのが思い出される。
いくら廃校間近とはいえ好き勝手に教室一つ開けられるわけはない。
あれはどうやって、談話室を開けたのだろう。
そんな不可解な疑念も性急な恐怖と動悸に狭められてすぐに消え去ってしまう。目のついた方向へ足を定めて、冷たい廊下を全速で走る。
「せっちゃん
どうしてそんなに 怯えるの」
びくりと身体が震えた。
頭の後ろで囁くような声がしたのだ。今度はもう振り返るような余裕はない。
只只管に、長い板の上で脚を繰るだけに意識が掠れる。
「せっちゃん昔に言ったよな
幽霊なんて みんなみんな
お化けだなんて みんなみんな
嘘っぱちの 出まかせだって
昔にそう、言ったよな」
廊下の端に差しかかった。
壁際に迫るまえに、左手に現れた階段を何段も飛ばしながら駆け降りる。
「そうなんだ
幽霊なんて みんなみんな
お化けだなんて みんなみんな
人間たちの 迷妄で
人間たちの まぼろしなんだ」
在学時代の癖か下駄箱に向かいそうになった。
逸る気を無理やりに抑えつけて、踵を返して忍び込んだ二年生の教室を目指す。ほんの数十秒、一町とない時間と距離とが、恐ろしく圧縮して感じられた。
「でもねだけどね ほんとうは
ホンモノたちは いつだって
みんなのことを 嗤ってんだ
自分たちの まぼろしで
ぶるぶる 震える 人間を
ホンモノたちは いつだって
茂みの奥で 嗤ってんだ」
「あ ああ あ あああ ああああ」
悲鳴が声にならずに途切れる。
そこから先はどこをどう走ったか知覚しないままにがむしゃらだった。教室の窓を飛び降りた覚えも校門を駆け抜けた覚えもない。
走馬灯のように、見たこともない景色が僕の目の前で踊り散らかす。
「ねえ お願いよ
お願いよ
せっちゃんだけに お願いよ
捜してくれや 捜してくれや
お願いよ」
ばっと目の前に広がる風景があった。
僕は繰る脚を止めないまま、そちらに意識を持っていかれる。
赤い螺旋階段が見える。
赤い城門が見える。
赤い枯れ井戸が見える。
赤い鉄塔が見える。
お終いに、赤く閃く彼岸花が見えた。
「暗く冷たい 土の下
静まりかえった 新月に
うちの骸を 捜してくれや
うちの大事な 髑髏」
気づけば僕は、今晩誰かと待ち合わせた老松の下まで来ていた。
そこも走って通り過ぎようとして、僕は違和感を覚えた。
闇に埋もれた静かな違和感に唆されて僕は松の根もとを見遣る。
気重そうに花を重ねる浦島草を避けるように、ぽかりと大きな穴が空いている。さっきにはなかった。
真新しい、掘り起こされた跡。
その内容を僕は覗きたくはなかった。
いやに静まりかえった夜が、僕の頭が背くのを両手に引き止めた。夜風が剛腕で僕の頭蓋を押さえつけるように頭が動かない。
半ば強制されて、僕は恐る恐るその虚の中を見、
「………」
そこに、そいつを見つけた。
面影はない。あの見透かしたような微笑もない。
頭蓋骨。
骸骨。
長年土に守られていたであろう白骨が、僕の眼下にはあった。
固まるように蹲ったそいつは、僕にはなにもわからない。僕の脳味噌はそれを拒んでいる。
「せっちゃん」
声がした。
僕はそいつを思い出す。
「柳子」
僕は振り返り、────途絶えた。
……………。
最後に………
最後にこの目が捉えたのは………
黒い、いや白い……?
はためく、淡いワンピースの裾が───
… … … … … … … … … …
奴らのことは誰も知らない。
彼らが恐怖を娯楽にするあいだ、奴らは物陰で声を押し殺して嘲笑っている。
彼らは嬉々として怪談を語るうち、どこか得体の知れないものに背後をとられているような錯覚に陥るだろう。
それが奴らと彼らの関わり合い。
所詮奴らは枯れ尾花。然れど奴らはけたけた嗤う。
奴らは今日も物陰で、じっと嗤いを堪えている。
真夏の陽炎に当てられて、涼を求めて怪談なんか始める彼らを指を差して嗤うために。
奴らは小さな身体を茂みに、書棚に、天井裏に秘し隠し、
今宵も奇譚に耳を傾ける。
こんにちは。
桜雫あもる です。
今回は夏の風物詩、怪談に挑戦してみました。
怪談なんて書くのは初めてで緊張します。いつも以上に世界観と緊張感を損なわないよう気をつけました。
文中の「衒かす」という表現は当て字です。「ひけらかす」には漢字表現がないのですが、どうしても漢字を使いたくて同じ意味を持つ漢字を使いました。
Yahoo!知恵袋を覗いてみると、二葉亭四迷先生や小栗風葉先生もそれぞれ「誇示した」、「炫かしに」という当て字で表現されていたそうです。
やっぱり当て字は乱用したり、下手に使ったりできませんね……。
今回は怪談、つまりホラー作品なのですが、筆者本人の個人的な見解ではホラーゲームの中では『SIREN』が一番凄い! と思っているので、ああいった「言い知れぬ近寄り難さ」などを演出してみようと頑張ってみました。
いかがだったでしょうか。
文体はかなり悩みましたが、図書館で自分の好きな志賀直哉の短編集を借りて「かんな感じにしよう」と決めました。
余談ではありますがその本、乱丁が酷くて短編を三つも読み損ねてしまいました。
……と、ここで話は変わりますが、ピース又吉さんがなんと、芥川賞を受賞されましたね!
この場を借りて、賛辞の言葉を送らせていただきます!
『火花』、自分は読んでいないのですが純文学かつ処女作だそうで。ご本人は太宰治が大好きだとあるニュースで嬉々と語ってらっしゃいました。
別のニュース番組では作品内に散りばめられた表現の一部が紹介されていたのですが、それを見て「又吉さんはこんな風に現実を感じ取っているんだなあ」と感服しました。
やっぱり文学っていいですね。
自分もどんどん選り好みせずに、色んなジャンルでたくさん作品を書いていきたいと思います。
……その前に、前から書いているシリーズを書き進めないといけないのですが(苦笑)。
それではまたお目にかかれる日まで。
ご一読ありがとうございました。
桜雫あもる