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流血表現はありませんが、戦闘描写があります。
中庭に父と降り立ったレイアは、ほかの夫人に気取られる前にそそくさと母のもとへと向かう。すると二人の登場にいち早く気付いた母が、待ってましたとばかりに瞳を輝かせた。
「あら、あなたちょうどいいところに」
「その方に決めたのか?」
「それはまだなのだけれども、彼女はリーアと同じ年ごろの子供がいるそうなの」
「ほう」
「それで、二人でピアノの練習をして、旦那様に披露しているそうなの!」
なるほど、とレイアは心の中で納得する。あの夫人は豪華な衣装を身にまとう夫人の中では、逆に目立ってしまうほど簡素な出で立ちをしていた。それに先ほどから続いていた、談笑という名の侯爵家夫人への売込み合戦にも、彼女はそれを遠巻きに見るばかりで参加していないようであった。
「そのきょく、わたくしもきいてみたいです」
ダメ押しとばかりに、レイアが子供らしい笑みを浮かべて夫人を見る。その気迫に押されたのか、彼女はこくりとうなずいた。
「ほかに、ひろうされたいかたはいらっしゃいますか」
弾けるもんなら弾いてみろ、と事態を遠巻きに見ていたほかの夫人に言外に告げると、やれ時間がない、やれ今日は具合が悪いと、口々に言い訳をしながらそそくさと退散していった。『猫ふんじゃった』すら弾けないのか、とぶぜんとした顔をレイアがすると、それを見ていた両親は耐え切れずといったように噴出した。茶器を片付けだしていたメイドたちも、つられて笑い出す。たった一人残された夫人は、それを唖然とした顔で見ていた。
「それで、あなたは私たちの講師になってくださる?」
そう仕切りなおして母が夫人に問いかけると、夫人は困ったように眉を下げた。
「それが、先ほども言いましたように私にもお嬢様と同じ年ごろの子供がおりますので、練習は週に一度くらいしかできないのです」
「まあ、確かに子供一人置いてそう何度もうちには来れないですわよね……」
週に一度は、流石に少なすぎる。はてどうしたものかと大人たちが思案しているところに、レイアは静かに挙手をした。
「どうしたの、リーア?」
「あの、そのこもこちらにつれてきてはどうでしょうか……」
「それは名案だわ!」
ばっとは母は夫人の手を両手で包み込んだ。
「ぜひ、うちの子と友達になってくださいな!!」
「そ、それなら週二、三回程度で――」
「それでよろしくお願いいたしますわ!」
「わたしも、よろしくおねがいいたします」
感極まって抱き付かんばかりに夫人に迫る母のドレスを、留めるように引っ張りながらレイアは頭を下げた。
「私からも、二人を頼む」
レイアの父からもそう告げられた夫人は困惑しきりといった様子であったが、しかし微笑みながら「こちらこそお願いいたします」と返すのだった。
――――――――
魔のお茶会、ひいては念願のピアノ講師を獲得した日から数日がたったある日の真夜中。
第一回目のピアノ教室を数日に控えていたレイアは、一度目が覚めてしまいベッドの上でまどろんでいた。
ピアノの講師となった夫人の名は、フィアー・ベルナール・ド・カーンと言って、男爵家の夫人なのだそうだ。男爵といえば侯爵家よりだいぶ下の位になる。だからあのように恐縮していたのだと、のちにレイアは納得した。
しかしながら、だからということもあるのか、彼女はほかの夫人たちには比べるべくもないほどの人格者であった。侯爵家にピアノ講師に来るというのに、お給料も法外な値段を要求せず、むしろ子供もともに通わせてくれるのだからと、もっと安くでいいといったほどだった。
それよりなにより、彼女はどこか母と同じ雰囲気を感じた。おそらく彼女も優しい人なのだと、レイアは想像する。いやむしろ、母親が落ち着いたバージョンなのではないかと、クスリと布団の下で笑みをこぼした。
だんだんと夜が更けてゆき、小さな体は眠りを要求する。ゆっくりと深い眠りに落ちていこうとしたその時――
パリン!
「!!」
まるで警鐘を鳴らすかのように、甲高い音がレイアの脳内に響く。
一瞬にして覚醒まで引き上げられたレイアは、ばっと布団を撥ね飛ばし起きる。
(この感覚は、――侵入者!)
前世の癖で、レイアは眠るときは建物の周囲に索敵用の結界を張るのが日課になっていた。四年も何もなかったので、正直必要ないのではないかと思っていたのだが、長年の習慣はやめられず、記憶を取り戻してからずっとこっそりと結界を張り巡らせていたのだ。
「こんなよふけに、おきゃくさまは……ありえない」
現在時刻は丑三つ時を過ぎたころだ。来客などあり得ないと、レイアは素早く部屋を飛び出した。
屋敷の中に、初めて感じる気配があった。緊張に瞳孔を縮めながら、魔力を薄く広げて精密に索敵をする。異質な気配が二つ――二方向からこちらに向かっているようだった。
レイアにほど近い片方が、もうすぐ屋敷に侵入する。そちらの方向に体を向けると、廊下の突き当たりの窓が、勢いよく破られる。
ガシャンという耳障りなガラスが砕け散る音に、眉を寄せながら、応戦の構えをとる。先手必勝とばかりに駈け出そうとしたレイアだったが、
「なんだ、一体――リーア!」
後ろから現れたのは、寝間着姿の父だった。なぜ、ここは両親の寝室からは遠いのに――とレイアが驚いていると、侵入者がこちらへと駆け出してくる。
「しんにゅうしゃです!」
レイアが叫ぶと、はっとした表情になった父はすぐに魔法を撃つ構えをとる。
それを見たレイアは、父のほうへと駆け出した。
「早くこっちに――って!?」
そういってかばうように手を伸ばした父の手を軽く無視して、そのそばをレイアは駆け抜けた。
「とうさま、そちら(・・・)はたのみます!」
「――それは!!」
必死に呼び止める父の声を背に、レイアは全力疾走した。全身に筋力補助の魔法をかけ、人ならざる速さで向かうのは――――母がいる寝室だった。
勢いよく寝室の前へ行くと、その扉は少しだけ開いていた。それを破壊せんばかりに開けると、そこにはベッドの上でおびえた表情をしながら縮こまる母と、“懐かしいにおい”が染みついた男がいた。
「かあさまに――――さわるなッ!!」
咆哮するとともに、母のいるベッド全体に『攻撃』と、そして『視界』を遮断する結界を張る。そしてゆらり、ゆらりと男へと近づいた。
(ああ、なつかしい……)
何もかもが懐かしかった。
男から立ち上るにおいも、こうして誰かに視界遮断の結界を張るのも。
驚いた顔をしていた二人目の侵入者は、魔法を自在に使うレイアを見て一瞬びくりとおびえたように体を震わせたが、だがそれが年端もいかない少女だと知ると、先ほど母にも向けていただろう残虐な笑みを向けてきた。
それを見てなぜか不思議と笑みが浮かぶ。いつの間にかレイアのその手には、刃のつぶされた槍が握られていた。おそらく無意識に廊下に飾ってあったものを、取ってきたのだろう。
「――本当に、懐かしい」
やけにゆっくりとした動作で、侵入者が近づいてくる。それを笑みを浮かべながら、まるで他人事のように眺めていたレイアは、徐に呟いた。
『――我の呼びかけに答え、面を上げよ【無銘】』
侵入者はその時、始末しようと近づいていた少女の口から、聞きなれない異国の言葉のような音を聞いた。それに首をかしげる暇もなく、次の瞬間男は己の目を疑う。
グニャグニャと少女が手に持っていた槍の形状が変わる。そしてそれが収まりを見せると、そこにはもう槍はなく、少女は男が見たことのない細身の片刃の剣を握っていた。
「し、――――ね」
あまりの驚愕に茫然としていた男が、その呪詛のこもった二音にはっと視線を上げるとそこには血に染まった目をした少女の顔が迫っていた。
「ウグゥッ!」
飛び上がったレイアは、その強化された筋力を使い男の腹にけりを入れた。あまりに強烈なそれに、男は部屋の端の窓際まで吹っ飛ぶ。
それをやった張本人であるレイアは、どこか薄い膜を隔てたような気分でそれを眺めていた。
――ここはいったい、どこだろう。
ここは、私の家……いや違う。
混乱した頭でレイアはぼんやりと考える。ここはあの場所ではない(・・・・・・・・・・・)。でもあの時と同じ、『大切なものが失われようとしている』ことはわかった。
「ころさ……っちゃ」
気絶してしまった男に歩み寄ったレイアは、何も感じさせない瞳で男を見る。そして小さく息を吸い、手に持っていた刀を振り上げた。
「ころさなくっちゃ――!」
『おねえさま』
振り下ろした刃は、男の首筋の手前で止まる。ぴたりと全身の動きを止めたレイアは、ゆっくりとかがめていた体を起こした。――懐かしい音の出所を探すように。
しかし次に聞こえてきたのは、探し求めていた音とは違ったものだった。
「――ふたりとも、無事か!?」
「!?」
聞きなれた声の、聞きなれない酷く焦った声。なぜかそれを聞いた瞬間、レイアは詰めていた息を吐き出し、全身の力が抜けていくのを感じた。
「これは――!」
乱れた足取りが、近づいてくる。すると、見慣れた姿が視界に入った。
「とう、さま」
「レイア、大丈夫か!?」
「……しんにゅうしゃは、きぜつしております」
やっとという体でレイアはそれだけ呟くと、固く握りしめていた刀を取り落した。すると刀は槍の姿に戻り、同時に母に張られていた結界も解かれる。
「リーア――! とあなた!」
「よかった、お前も無事だったか。――犯人は、どこかに縛って放り込んでおこう」
父がそういうと、部屋の外にいた父の執事やメイドたちが、気絶した侵入者を運び出していった。
寝室にはレイアと両親、三人だけが取り残された。
「リーア、無事でよかった……!」
母が涙ぐみながらレイアに寄り添う。けれどもそれも目に入らないかのように、ただひたすらにレイアは呆然と空を見つめていた。
「わたしは――」
「リーアは、母様を守ろうとしたんだ」
よくやった、と父はレイアの頭をなでた。
その暖かい感触に、何故だかレイアは酷く泣きたい気分になったのだった。