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過ぎたるは及ばざるがごとし――ということわざがあるが、魔法に関していえば、前世では及ばざることよりも悪し、といったところだった。
強力すぎる魔力を前世ではいいように利用された彼女は、それが身に染みるほどわかっていたはずだった。
しかし、その油断も仕方がないといえた。
こちらの世界と、前世では、魔力の源が違う。
こちらの世界では魔力はその物質、というよりも元素に宿るのだ。よって空気中にも微量の魔力が宿っており、木々にも、人口の建造物にもそれは同じだった。そして人間は、その微量の魔力を細胞一つ一つで凝縮させ、圧縮させられた魔力を使い、魔法を使うことができる。さらに言うと、それは細胞の質によって優劣があり、貴族たちはそれを洗練させ、より強力な魔法を使えるようになっていったそうだ。逆に言えば、それにより平民は使えないものが多いそうだ。
前世の魔法はというと、それとはまた違っていた。
魔法は物質ではなく、魂に宿るものだったのだ。
思いの力が強さになる、と知り合いは言っていたが、そのメカニズムはよくわかっておらず、使えるもの、使えないものが3:7の割合で存在していた。
そして、八百万の神々という言葉があったその世界では、自然界にも魂が宿っていたため、精霊という存在もいた。
という事でレイアは、根本から違うのなら魔力というのもまた質のようなものが違うのではないだろうか、と予測を立てていたのだ。
――――まあ、大外れだったわけだが。
取り返しのつかないことをしたかもしれない、レイアがズーンと沈んでいると、場にそぐわぬ、快活な声が唐突に響いた。
「はっはっはっ! さすがは俺の娘だ!」
「!?」
ふわりとレイアの体が浮き上がる。いきなりのことにようやく意識を取り戻したレイアは、父に両脇を持たれ抱えあげられていた。――要するに高い高いをされていたのだ。
「よかったなぁ! 魔力がないと貴族ってのはちょっと不便だから、これなら安泰だ!」
「え、あ、は」
くるくると回されながら、レイアは必死に頭を整理する。
気味悪がられていない、そして、利用しようとも思われていない。父の表情からはみじんもそれらは感じられなかった。
――ああ、この人は、本当にいい人なのだ。
レイアは信じられない、というように心の中でそうつぶやいた。
「だがな、リーア」
しばらくの間レイアを振り回していた父は、地面に優しくおろすと真剣な目で語りかけた。
「強すぎる力は、自分や他人を傷つけることになる。小さい火は人を温めてくれるけど、大きな火は人をやけどさせる」
「はい、これからこのちからをせいぎょすることを、まなばねばならないのですね」
噛み砕いて説明してくれる父の言葉に、レイアは大きくうなずいた。
前世の記憶があるレイアには、力の制御などお手の物であったが、四歳児が強大な力を持っているという事は、客観的に考えて危険なことだとわかる。
「……まあ、リーアは今の状態でもうまく制御しているようだけど」
「え?」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、ぎくりとしたレイアは思わず聞き返したが、父は微笑むばかりでレイアの問いには答えなかった。
戦々恐々とレイアが冷や汗を流していると、後ろからすっかり忘れていた存在から声がかかる。
「あなたは、一体……」
眼鏡の男が恐怖をにじませた瞳でレイアを見詰めていた。
最初からこの男は、レイアに対していい感情を抱いていないようだった。
貴族の、それも侯爵家の小さな一人娘が、その権力を使いわがままを言ったのだ――と思っていると如実にわかる瞳だった。
馬鹿にするような、さげすんだ瞳でレイアを一瞥し、発する言葉はすべて父である侯爵家当主にだけ向けた言葉で、レイアとは会話する気すらなかったようだった。
だが、今はその瞳は一変していた。
まるで化け物を見るかのような、未知の存在に恐怖を隠せない――そんな瞳だった。しかし、レイアは驚かなかった。前世では飽きるほど向けられたものと、全くもって一緒だったからだ。
「とうさま――」
思わずそう漏らすと、父はうなずいてくれる。レイアの意をくんだように、その小さな手を大きな手で包み込んだ。
「用は済んだ、帰ろう」
いつもと変わらない、柔らかな微笑みだった。
―――――――――――
その日、日中では珍しく家で仕事をしていたアドナー家当主は、机に長時間座っていたため固まってしまった筋肉をほぐし、休憩がてらに外の空気でも吸おうかと、自室を後にした。
庭にでようかと廊下を歩いていると、ふと窓の外を見る。そこには、彼の愛する愛しい一人娘がいた。
小さなその少女は、彼の与えた、おもりのついた木の棒を持って、一心に素振りをしていた。
それは彼が許可した、そして少女が申し出た『体術』の練習だった。
彼の愛する娘は、実に特異な存在だった。
もっとわかりやすく言えば、子供らしくないと言える。もしかしたら、ほかのものだったら気味が悪いと思うかもしれない。
けれども彼にとっては、それもいとおしいと思う理由の一つにしかならなかった。
――――自分の小さい頃によく似ている、そう彼は思うのだ。
彼は幼い頃、神童と呼ばれていた。
しかし本人からすれば、持っている魔力量は一族の中でちょっと突出している程度であったし、勉学にはやくから興味を示したのは、父親の仕事ぶりを見て早くこうなりたいと思ったからであった。
才能はあったかもしれないが、努力もした。両親はそんな彼を誉めてくれたが、周りにいた大人は違った。己の子と比べて嫉妬でもしたのだろう、心無い言葉を投げかけられたことがあったのだ。
『気味が悪い』『子供らしくない』などという言葉を幾度となく、それも面と向かって言われた。けれどもあまり周りに興味のなかった彼は、意に介することは全くなかったのだ。
けれど、あの子はそうはいかないだろう。と彼は娘を眺めながら、思案する。その少女は、彼に似て頭の回転が速い。そして、彼と違って、感受性の高い子でもあった。
前者は彼に、後者は彼の妻に似たのだろう。そう思うと口の端がわずかに上がるのを感じたが、さりとてそれが良いことばかりではないと、溜息をつく。
まもりたいのです――と、娘は彼に告げた。まるで、過去に守り切れなかったものがいたかのような、少し悲しみを混ぜたような瞳で。
その言葉に、彼はその娘が過去に倒れた時のことを思い出したのだった。ありふれた物語が描かれた絵本だった。勧善懲悪の、めでたしめでたしで締められるその絵本は、一つだけ他と違っているところがあった。必死に姫を守り続けた騎士が、魔王を倒したのちに死す。娘はそれを聞いた途端、泣き出してしまったそうだ。
感受性が強い――いや、まるで本当にそれ(・・)を体験したことがあるかのような嘆きっぷりだった。そう考えたのち、昔読んだとある一冊の本を思い出した。人間は思い残したことがあると、その記憶を持ったまま、魂だけを同じとして姿を変え『生まれ変わる』のだという、そんな物語の本だった。
もしかしたら娘の魂は、その騎士のものかもしれない――。
まさかな、と彼はそれを笑い飛ばし、いつの間にか止めていた足を動かして歩みを再開させた。
しかし、と彼は歩みながら思うのだった。
――――あの娘の魂がどんなものでも、きっと妻と二人で愛し、守りぬく、と。