2
朝早く起きたせいで下がりそうになる瞼をこすりながら、レイアは広く、豪華なつくりをした廊下を歩いていた。前世とは違う、機能性よりも見た目を重視しているのは、おそらくここが国立の機関であるからだろう。
―――――――――
数日前――父親の膝の上に初めて自ら乗ったとき――レイアは記憶が戻ってから二度目のおねだりをした。それは一言で言ってしまえば、『教育を受けたい』ということだった。まあ、いずれは貴族であるからにはそれなりの教育が受けられると思ってはいたのだが、早くこの世界のことについて知りたいと思ったからだ。
レイアの一族は、五等爵、公・侯・伯・子・男の中で二番目の侯爵という爵位を賜っていると、昨日の夜に母から教えられた。というのも、いつも豪華だなと思っていた私服が、外出するということを聞いた母により、いつもよりも豪華なものを用意された。それに怪訝な顔をしたレイアに、母は「これも貴族の使命なのですよ」言って、説明してくれたのだ。
前世には貴族制度などなかったし、そもそも絶対的な王というものがいなかった。この国は絶対君主制に近い政治体制をとっているようで、そのようなものは本でしか見たことのなかったレイアにとっては夢物語と変わらなかった。
自分の身の回りのことすらわからないなんて、とレイアは歯がゆく思った。おそらくあと数年もすれば本格的な教育が受けられるらしいが、たった一人で生きてきた前世の記憶を持つレイアにとっては、受け身でいることは非常に苦痛でもあったのだ。
レイアの申し出に、父は非常に難しい顔をした。しかしそれは、レイアの年齢を考慮してのことではなかった。レイアはこの世の知識と共に己の身を守る『魔法』と『体術』のことも学びたいといったのだ。
しかし彼女は侯爵家令嬢。令嬢には令嬢の振る舞いが求められる。おしとやかで、ひかえめであれというその世間の考え方の中では、本格的に『魔法』と『体術』を学ぶというレイアの主張は褒められるものではない。それどころか、ほかの貴族からは眉を顰められるだろう。
「魔法はまだいいとして、何故体術も学びたいんだい?」
「――きけば、まほうというのも、ばんのうではないとか。それに、わたしよりもまほうがすぐれたかたがおりましたら、わたしはなすすべもない……とおもったのです」
怪訝な顔を隠さない父に、レイアは一言ずつ言葉を選びながら答えた。しかし、どう考えても後妻にも満たない子供が言うべき言葉ではないと、言い終わった後に気付き、しょんぼりと眉を下げた。
だが、そんなレイアに安心させるように微笑みかけた父は、優しく言葉を紡ぐ。
「じゃあそもそも、どうしてそれらを今学びたいんだい? リーアはまだ小さいし、それに私の子供だから、きっと戦う力がなくても守ってくれる人はいっぱいいるよ?」
酷く甘い言葉だ。本当に己を愛してくれているのだと、実感できる声色で、――前世では、聞くことのできなかったものだった。
不意に涙ぐみそうになり、けれども泣くわけにもいかず、鼻を軽くすすってぐいっと挑むように父に顔を向けた。
「はい、わたくしはいまでも、いままでもとうさまやかあさま、たくさんのひとにまもられております。――しかし、わたくしは、このいえにうまれたということをぬきにしても、いづれおとうとやいもうとができるでしょう」
この国では家を継ぐのは男であろうというのが、レイアの考えだった。ならば貴族であるこの家にも、男の子供が必要であろう。それでなくとも、両親は若い。長女であるレイアの下に兄弟が生まれるのは、自然なことだと思った。
「うまれてくるきょうだいは、わたしよりちいさいでしょう? それに、かあさまはおせじにもとうさまのようにおつよくはありません。――わたしは、いづれできるであろうたいせつなひとを、まもりたいのです」
「……リーア」
「あのえほんのようには、なりたくない。こんどこそ――あ、いえ、えーっと、わたしこそは、たいせつなひとをいきて、いきぬいてまもりたいのでしゅ」
なれない長い言葉と動揺により、最後噛んでしまったレイアは、その間抜けさにほほを染めながら下を向いた。――父にどう思われただろうか、子供らしくない、不気味な子だと思われただろうかと、不安が襲い、カタカタと震えながらギュッと瞼を閉じた。
自分を守ってくれる人間など、前世にはいなかった。いたとしても、自分は強いから守られることはない、と突っぱねていた。でも、たった一人転生し、寄る辺ない身であったレイアは生まれてから確かに両親に守られ、愛されてきた。親からの愛というものを知ってしまった。――今更失うことは、酷く恐ろしかった。
それが永遠でないことをしっているレイアは、酷く絶望的な気持ちで父の言葉を待った。
「――そうか」
え、それだけ? っと泣きそうになっていたことも忘れ顔を上げると、そこにはいつも通り優しく微笑む父の顔があった。
――――受け入れて、くれるのか。
呆然としながら、安堵したレイアは、しかしすぐにはっと我に返った。
「それじゃあ、各教科の家庭教師は選別したのちつけるから後日として、まずは――」
この優秀な侯爵家当主は、てきぱきと予定を立てていく。
それを聞き取るのがやっとで、レイアはいっぱいいっぱいになるのだった。
―――――――――
そして現在、レイアが父に手を引かれながら訪れたこの場所は、国立の魔法研究所――魔法院と呼ばれる場所であった。
記憶を取り戻した一件で病弱と思われていたので、外出するのは久しぶりだったが、レイアは特に緊張などはしていなかった。
(前にもこんなばしょあったな。爆発したけど)
正しくは爆発させた、というのが正しかったが、そんなことはどうでもいいとばかりに、レイアはあくびをかみ殺した。
図太い、ともとらえかねられないその様子にも、父は穏やかな笑みを浮かべるだけだった。
「ここが、測定所だよ」
そういって父は扉の前で立ち止まり、それをノックする。さすがに居住まいを正さねばと、レイアは背筋を伸ばして扉が開かれるのを待った。
数秒もたたず、ガチャリとドアが開かれた。そこから現れたのは、どこか冷たい印象を与える目をした細身の若い男であった。
「お待ちしておりました、ヴァンス候」
「ああ、急なことで済まない」
言葉のわりに冷たいな、とレイアが思ったが、父の言葉になるほどと心の中で納得した。
行きがかりに父から、「魔法院は気難しい人が多い」という話をレイアは聞いていた。レイアがなるべく早く勉学に取り組みたいと懇願したため、父が話を通してくれたのだろうが、数日でというのは急なことだったのだろう。
「もうしわけありません、わたくしがちちにおねがいしたせいで……」
そういってレイアはぺこりと頭を下げた。すると、眼鏡の向こうの冷たい瞳が揺らぐ。その表情は、困惑と取れた。
「……いえ、お気になさらず。こちらへどうぞ」
複雑な表情をした男は、動揺を隠すように顔を背けてレイアたちを室内へ通した。
そこは窓がなく、けれどもほの暗い光に満ちた部屋だった。そのかすかな光源は、部屋の中央に鎮座していた。レイアでも、一目でそれは普通の照明器具でないとわかった。それは、不思議な模様の彫られた、レイアの背丈ほどもある台の上にあった。原石というよりは、形を整える前の宝石のようなそれは、蜂蜜のような色で薄く光をともしていた。
初めて見るそれにレイアが見入っていると、ゴホンという咳ばらいがする。
慌てて宝石から目を離すと、再び冷たさを取り戻した瞳とかち合った。
「私は、教会所属の魔導士です。今回はヴァンス候令嬢の魔力量を測定したいとのことで、私と、そしてこの研究所の魔力測量専門士の方が立ち会わせていただきます」
「よ、よろしくお願いいたします」
眼鏡の男の後ろに控えていたもう一人の男が、緊張したように深く首を垂れる。すっかり宝石に目を奪われていたレイアは、そこではじめてその男の存在に気付き、慌ててぺこりと頭を下げた。
「おいそがしいなか、ごめいわくをおかけします。よろしくおねがいいたします」
「い、いえ、こここ、こちらこそ!」
測量士のあまりの恐縮使用に困惑して父を見上げると、よくできたといわんばかりに頭をなでられた。気にするな、と言外に言っているようだった。
「では、さっそく測量させていただきます」
さっさと終わらせたい様子が見え見えな眼鏡の男は、スパンとそう言い切ると、さっさと白といわんばかりにレイアを促した。
あまりの態度に少し瞠目したが、レイアはすぐにはい、と返事をした。測量といっても簡単だからだ。
あの部屋の中央に鎮座している宝石は、魔力を吸い取るものらしい。前世では見たことも聞いたこともなかったが、この国ではたった一つだけあるのだ父はレイアに教えてくれた。直接人がそれに触れると、途端に魔力がすべて吸い取られ、吸い取られた後は、特殊な昔から伝わる特別な機器でそれを測量するのだという。
前世では十億人に一人の魔力、といわれていたが、今世ではどうだろうか。弱くないといいな、と少し不安になりながら、そっと宝石に歩み寄り、手をそれに乗せた。
「――――っ」
とたん、すっと少量魔力がふれたところから吸い取られる感覚がして、思わず息をつめた――その瞬間。
パリン!
「「「「!!!」」」」
甲高い音が響き、その場にいた者全員が驚きに目を見開いた。
砕けた――。そう掌に伝わる、宝石の感触が変わっていく事実にレイアの脳裏に父のおどけた声が響いた。
『高価なものだから、決して傷つけたりするんじゃないぞ。我が家の財産が底をつくからな――』
まあそんなことあるわけないだろうが、と言われたっけ……呆然としながらそんなことを考える。掌の中でざらっとした感触がした。
「うわぁ!!」
途端に我に返ったレイアは、なりふり構わずに素早く修復魔法をかけた。なかなか前世でも使わなかったそれに、不安がよぎりつつも必死に祈ると、宝石は砂状から、もとの大きな固体の状態へ戻っていった。
「よ、よかった……」
「な、なにが……」
眼鏡の男がやっとの様子でそう漏らすと、呆然としていた測量士がはっとした表情で、レイアのほうへと歩み寄ってきた。
怒られるっ、と身をすくめたレイアだったが、以外にも測量士はレイアを通り過ぎ、宝石へとすがりつくように身を寄せた。
「な、直ってる……」
唖然とそうつぶやきながら、測量士は恐る恐る宝石へと手を伸ばした。――が、すぐに手を引っ込めた。
「満杯」
「……は?」
ポロリと思わずというようにこぼした測量士の言葉に、眼鏡の男は何事かと問う。だが、測量士はなんだか複雑な表情で首を振り、触ってみてくださいと告げた。
蚊帳の外に置かれてしまったレイアは、おどおどと父の顔を見る。すると、何か考え込んだ風な顔をしていて、さらにレイアを不安にさせた。
「触ってと言われましても――」
そう渋る男に測量士は強引にその手を取って、宝石の上へ乗せた。
びくっと身をすくませた男は、次の瞬間目を見開いてぽかんと口を開けた。
「魔力が吸い取られない……」
という事は、と続けてつぶやいた眼鏡の男は、まるで恐ろしい目でも見るかのようにレイアを見た。
そこでやっとレイアは気づいた。
――この世界でも、己の力は強い。
という事実に。
そして思わず、心の中で叫ぶ。
――失敗した!
さっと血の気が引くのがわかった。